どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
なんか疲れた、そしてそこからの流行病ですっかり感想をブラッシュアップするのを忘れて放置していたジャパニーズ・ヌーベルバーグその2でございます。

WATCHA3.5点
Filmarks3.4点
(以下ネタバレあり)
大絶賛の中、申し訳無いがシンプルにもうひと展開あると思ってしまっていたので物足りなさが残っている。
雪が解ければ野球、積もればアイスホッケーという小学6年生のタクヤがスケートリンクでフィギュアスケートをしているさくらに見惚れ、フィギュアスケートに挑戦していく。そこに元選手の池松壮亮が寄り添い教えてあげると…という話の流れ自体はスポ根に容易に流れうるものだが、この映画はそういう汗とか情熱の方向には行かない。まずはとにかくさくらのスケーティングを美しく、しなやかに捉え、スケートリンクって本来あんなに外の光が入ってきてしまっていいのか、というぐらいの光を当ててスポットライトが当たり続けているかのように柔らかな映像がある。ここの演技の撮り方もだし、子役2人、いやタクヤの同級生のすっごい良い奴も含んで3人かな、ここが本当にいい子役の撮り方が出来ていたというのはまずもって手放しでほめるべきところだ。
当初は秘密の放課後特訓みたいに、滑れるようになる原初の喜びみたいなものを描いていくのかと思ったら、何か思いついちゃった池松壮亮。タクヤとさくらを組ませてアイスダンスさせるとか言い出す。雲行き怪しすぎるったらない。私の心からの心配をよそに、さくらも意外と楽しそうにアイスダンス踊り出しているし、幸せな未来が…なんて思った私がバカでした。池松壮亮がプライベートで同性カップルであることを知ったさくらは、タクヤに女性のかっこさせて滑らせて喜んでいるんだ、気持ち悪いと吐き捨ててそしてもう交わらない。無論、そこまでの時間を否定するものでは無かったはずだし、彼女自身はスケートを続けているようだが、もう池松壮亮にも習わないし、アイスダンスもしない。タクヤもホッケーに戻って、雪が解けて野球して、中学校のブカブカな新しい制服に身を包む。ひと夏じゃない、ひと冬の思い出。さあ、この2人にとって一体どういう時間だったのか。ついに二人が向かい合って話すぞ!というところで映画は終わる。でも、彼らはちゃんと大丈夫、そう思える。
ただ、映画を見ている観客にとってはちょっと飲み込みづらさがあるのも事実で。監督の前作の『僕はイエス様がきらい』で宗教や信仰に対して描いたものが、今回はLGBTQに題材が移った。時代設定も含めて完全に一昔前の田舎の偏見、なんだろう。ただ、一方で僕らの生きる現代はポスト高橋大輔であり、ポスト羽生結弦であり、ポスト宇野昌磨である。ポストプルシェンコだし、ポストユーリonICEである。男の子がフィギュアスケートをしていることに対して、同性愛趣味の延長という捉え方で対立が生まれることを頑張って飲み込んでも、その後のイベントがこのくらいだとちょっと2024年に描くものとしては弱さを感じてしまった。むしろ、変な食べ方を矯正しようしたり、普通アイスホッケーだろ、と宣うタクヤの家族たち、彼らが吃音に対してどう受け入れてあるいはどう受け入れていないのか、そしてその彼らの「普通」ってなんなのかの変化とかがみたかったというか。カメラのフォーカスが次第にどんどん池松壮亮に寄っていったのが個人的には期待外れだった