どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回は若手のホープ、っていうか年下!山中瑤子監督の新作、というか初長編の感想です。3本見て夜も遅いので手短に。本作で助監督を務めた平波亘監督による『サーチライト-遊星散歩-』を見に行った際の上映後トークショーに山中監督が登壇しており、情報解禁前の本作のことを少し喋ってくれていました。

WATCHA3.5点
Filmarks3.5点
(以下ネタバレ有)
まあ兎にも角にも河合優実ですね。そもそも山中監督の『あみこ』を見て演技を志したかなんからしく、じゃあ山中瑤子という存在が無かった世界線の邦画ってやばかったのでは?と思わせる存在にまで成長した彼女が全編映りっぱなしでガンガン映画を引っ張る。寛一郎と同棲しているけど金子大地と浮気しててそっちを本命に切り替える、まああまりgoodとはいえぬ主人公に、しかし引力を持って行く演技は流石の一言。これは山中監督の演出力も凄いとは思うのですが、冒頭の町田駅(町田に行ったらロックなカレー屋YASSカレーへぜひ)遠景からのズームインで歩いている河合優実、その時点でコイツちょっとヤバいやつでは?感が漂う凄さ。歩き方、走り方が、それこそ金子大地と共演していた『サマーフィルムにのって』とかと全く印象が変わっている。すっごい。
その上で、過去の監督作と同様に描かれるのは世界がままならない話。『あみこ』も『魚座どうし』も学生、子どもの視点から世界が想定していたようにはぜんっぜん構成されていないっていう絶望を、ズレを、ちょっと世界がなまじ美しく見えるように撮っておいて描いているっていう印象なのですが、本作もそれを踏襲。金子大地と喧嘩して彼女が転落大けがするあたりまではその大人版をやっているんだな、って感じで見ていました。金子大地の実家がインタースクールに入れようとしてたり、映画を勧めてきたり、どうも世界が違う人種っぽいぞ?みたいな。うわー世界が違うで爆発するんだーと思うんですが。ところがどっこい、彼女は身体的にもままならない状態になって都庁で金子大地の同級生と会うとこれがもう逃げられない状態でしんどいしんどい。キャンプ?の時は逃げが効いたのに、逃げれなくて、ああいう状況だともうダメ。で、それが多分彼女の悪い時の心情とリンクしているというか。世界が絶望的に自分にフィットしていない瞬間な訳で。
で、ここからが新境地なのか、ちょっとまだ測りかねているんですが彼女はメンタルクリニック、医療に接続する。ままならない生きづらさを抱えている時に、本当に一人で抱え込んで自死を迎えたり、相手を殺してしまう前に第三者に接続する。それってとても大事な綺麗事なんですけど、それをする。この終盤、怒涛で濱口印の心理カウンセラーが展開するのは箱庭療法だったし、金子大地と取っ組み合いになっている自分を眺めている自分という世界に入っていくことをスマホとかのピクチャインピクチャのような形式で見せる。世界がズレている時、それは世界に枠があるということを思い知る時であり、その枠を意識さえできれば、少しその世界に適応できる。私も一時カウンセリングに通っていましたが、その時は自分の中の感情や人格を一回並べた椅子に与えて見て、彼らにロールプレイさせたりする客観視を学びました。なんだかそれを思い出す。タイトルになった『ナミビアの砂漠』が本当にナミビアの砂漠の映像であることには驚いたけど、それもまたスマホの中の映像で、広がる大自然なんだけど枠があることが大事な気がする。
適応することが良いことなのか、悪いことなのか、でもそれは生きづらさの軽減にはきっと役立ってくれる。このタイミングで飛び出してくる唐田えりかが一気に空気感を持って行きながら、映画は終わりを迎える。
さて、最後には河合優実はスマホで中国の家族とのビデオ通話をする。途中ほのめかされてはいたけど、彼女のルーツも中国にあるようで、それは山中監督も同じ。『あみこ』の舞台が山中監督の生まれた長野であり、あみこ=山中瑤子であるとしたら、本作のカナ=山中瑤子でもあり、そしてそれは河合優実=山中瑤子として必要十分条件に達しているようでもある。互いを信頼し合うこのコンビで映画を見ていきたいし、そして山中監督が自分を映画に投影しているのであれば、この先の映画もまた楽しみで、そういう意味では細田守と似たタイプの監督なのかもしれない。