どうも、抹茶マラカス(@tea_rwB)です。
今回はこの夏の覇者になりそうなピクサー最新作。『わたし時々、レッサーパンダ』と合わせて2020年代ピクサーのマスターピースになりうるとすら思える出来でした。
なお、今回はFilmarksさんの募集に当選した形で、公開前にレビュー投稿が必要なためのブログになります。公開日まで何も知りたくない人は公開されてからお会いしましょう。

WATCHA5.0点
Filmakrs4.8点
(以下ネタバレ有)
ピクサーさん、ええ加減にしてください。こんなもん作られたらたまったものではない。最近はめっきり続編商法の発表ばかりでボブ・アイガー率いるディズニーにはひどく落胆している。『わたし時々、レッサーパンダ』や『あの夏のルカ』を指して監督のカタルシスを追求するのではなく、経験の共通性を語るものであるべきだ、と自身の監督作『ソウルフル・ワールド』を差し置いて批判するピート・ドクターのインタビュー読んでも悲しかったのです。そんな中で前作の監督を務めたピート・ドクターがプロデューサーに入って、ピクサーとしてはドル箱のはずのトイ・ストーリー系以外では久々の続編を製作。げんなりする準備はできているはずだった。それでもやっぱりピクサーさんは恐ろしいものを繰り出してくる。ことごとくDisney+で無料配信送りにされたピクサーさん可哀想、の時期を思い出すことになるとは。しかも結果的に経験の共通性の映画でもある。
前段をさておくと、映画いや、物語というものは基本的に成長譚だ。つまり、なんらかの葛藤を抱えてそれを乗り越えて成長する、というのが一つの基本的な筋といって差し支えないだろう。映画が始まった時と終わった時、その両地点での比較における変化こそが語られたことだ。その点で、この『インサイド・ヘッド』という作品は非常にユニークというか、無二のものだと言える。外側で人間としてのドラマが進行しつつ、その達成の内側に感情たちの奮闘がある、という立てつけは人間の側と感情の側の二重の物語を導くことに成功している。本作で言えば、アイスホッケー合宿に参加し、高校でのチームに入れるかどうかに躍起になりすぎて折角できた友人たちを傷つけてしまい、反省する、というのがライリーの側のストーリーだ。別に実写映画でも良く見られるテーマでもあり、実際にそういう流れだけで作られた作品だっていくらでもある。だが、本作はその内側で、ヨロコビたち前作の感情が思春期になって登場した新たな感情たちによってクーデターを起こされ失脚、そこから再度王権を取り戻す過程で単なる貴種流離譚にならない着地をするような、内省的なものとはまた違うアクションの物語を兼ね備えている。
感情たちをキャラクター化して、心の内ではいったいどういうことが起きているのだろう?を映像化するという試み自体が異質であるが、それを成し遂げることが出来ている異常性は際立つばかりである。今回はヨロコビ、カナシミ、ビビリ、イカリ、ムカムカの続投チームとシンパイ、ハズカシ、ダリィ、イイナーの思春期チームとの対立を通じて、ライリーらしさってなんだろう、即ち自分らしさの確立をなんか地下の根源たるとこから生えてくるもので表現して見せる。当然に、ヨロコビを中心にした楽観主義に基づくこれまでの自分らしさと、環境に適応するための不安・悲観主義がモットーなシンパイが築き上げようとする自分らしさのどっちを選ぶのか、なんて物語にはならない訳で、どちらもくっついて一面的ではなく色んな感情が蠢くのが自分であり、そういう感情を飼い慣らすことが成長だと実に分かりやすく示す。思春期に突入した時期の感情の揺らぎ、ちょっと振り子が大きく揺れすぎる感情描写が微に入り細を穿つ。
しかも、その上で今回はヨロコビたちが最高のライリーでいるために封印してきた嫌な思いの記憶たちも解放、文字通り記憶の濁流に呑まれるフラッシュバックの瞬間の映像化にも挑戦し、いやはや納得させられる。記憶の果てに追いやった悪い記憶と秘密裡に管理される且つて好きだったものとの違いはあんま良く分かっていないが、しかし最新のピクサークオリティの3Dアニメに突如としてやってくる2Dのカートゥーン調のキャラクター、そして中村悠一ボイスで完全にコメディリリーフを全うするゲームキャラ。単にうまい映像を作るのではなく、粗さのあるものと融合させて意図的にchaosを作り出していくアニメーションづくりはもはや最先端どころか、当たり前の挑戦になりつつあるようにも思える。2Dと混ぜる方面で凄いと思いきや、シンパイが感情の暴走を起こして自己を見失っている描写も見事であるし、ヨロコビの小さな震えまでも描写できるようになっていることもまた驚きというか、ピクサーさんどうしてそんなに頑張るんですか、というレベルである。結局のところ、ありのままの自分を受け入れて愛してあげよう、がライリー個人としても、それぞれの感情因子としても共通の結論であり、なんというか盤石すぎて引くレベルである。もともと複雑なレイヤーの絡んでいた作品の続編に要素を投入して複雑化極まれり、なんだけどそれこそ人間!と讃歌しておいてそれを分かりやすく交通整理している手腕は偉業だと思う。
日本版ローカライズとしての文字表記は多少マシになったがまだ不十分とは感じるものの、吹替声優は基本問題なく、竹内結子のイメージを多少持ったまま、しかし明確に小清水亜美!と喝采を送れる主演もだが、芸能人声優とは思えぬ担当量を完璧にこなした多部未華子にも拍手を。多部ちゃん凄い。花澤香菜と逆だと途中まで思ってた。日本ディズニーの仕事、という面で言及しておくならば、製作陣が来日しての試写会イベントとしては非常にお粗末であり、通訳者の紹介もなければ過剰にXの期待コメントをピックアップして、イマココにいる、それも世界トップクラスのアニメ映画職人たちを前にまともな質問が無かったのが極めて残念だった。監督のケルシー・マンは大はしゃぎでコスプレイヤーにもレスしてた。テンションが高かった。コスプレイヤーの中にはなんかメリダもいた。お前はなぜだ。