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2025.5.10 食わない人

 さて。

 2年が経過して、それにしてもともかく、書く余裕というものが消失していたのは、娘のこともあったけれど、そればかりでなく、ついに父の介護が始まってしまったという事情による。最初は週に1度に実家に通うことで足りていたのが、気づけば、毎日になってしまった。まず、床に落ちているおむつを捨て、廊下に尿の水溜りがあれば、これを拭き、食べていない前日の夕食の残飯を捨て、皿を洗い、夕食の準備をする。土曜日にデイサービスの送り出しを行い、2週に1回は、在宅勤務の合間を縫って、通いのマッサージの先生を向かい入れる。月に1回、医者に連れていく。

 もちろん、要介護2なので、そうは言っても、私の介護の負担は比較的軽めであり、加えて、皮肉なく優れた介護制度のおかげで、週2回の掃除と洗濯はヘルパーにお願いできるばかりでなく、他の予定をあまり入れなくなってしまったので、時間的な余裕はなくはなく(その証拠に、介護が始まってからのほうが読書量は飛躍的に増えている)、それにしても、余裕というか気力がなく、何かをまとめて考えて書けるような感じでもなかった。むろん、介護のことを書いても、気晴らしにならないというところもある。

 そう述べて直ちに前言を翻すことになるが、それにしても、久しぶりに書きたいと思ったのは、介護のことで、より具体的にいえば、父がどんどんと食べなくなっていることを受けて、分からなくなってしまったことを書きたい。

 つい半年前までは、食事を持っていけば、さらっと食べて、じゃあ、さよなら、というところだったのが、このところは、まず、起き上がらせるのに説得を行い、次に着替えさせるのになだめすかし、最後に食卓に座らせ、水やお茶ばかりを飲んでいるのに対し、一口で良いから、食べるように順々と説き伏せ、ようやく、ごはんをひとかけら、介護食を半分を口にするという次第になり、その経緯の中で、いろいろと考え、うまくまとまらないことをようやく書こうかという気になったのだった。

 食事を並べて、起こそうとすると、父は「横になっていたい」「あとで食べる」「もう死ぬんだからいい」「また、無理強いして」と、いろいろと言うわけだが(その結果、ヘルパーでは手に追えないとのことで、私が対応することになっているわけだが)、それをなだめすかし、さらに食卓でごねるのを受け流し、食べさせるという作業を行なっている中、不思議に思うのは、それにしても、俺がこのように何とか食べさせようとする理由は何なのだ、ということであり、いや、本人がそう言うなら、無理に食わなくて良いのではないか、という抽象的な、しかし、本当のところは、全くそうは思えない思いも浮かび、結局、父が全く食べないのも癪に触るという素朴な衝動に駆られ、順々と説得する。ほとんど食べさせられない日は敗北感を抱えて帰宅し、逆に、ある程度食べれば、奇妙な達成感を得て帰宅する。それにしても、どうして、そうなのだ、と不思議になる。

 息子のパターナルな配慮という語義矛盾をはらむ言葉で整理するというか、自由とパターナリズムの相剋ですな、と腕を組んで頷くこともできるのだが、しかし、そういうものでもないだろうというか、少なくとも、私個人の中では、そういう葛藤はない。食べなければ、死ぬんだから、無理してでも食べさせるべき、という判断に揺るぎはない。私は、一般論として、どちらが正しいかという話をしているわけではなく(加えて、社会一般的な正義を固定的に考えたり、それがいかにあるべきかとの結論を探る作業も私は嫌になってしまったところもあるのだが)、本当のところ、私個人がどう思って、そういう結論になるのかを知りたい。つまり、父がいかにごねようが食べさせるというほうが性に合っており、その性に一切の疑念も抱いていない。私が知りたいのは、それにしても、俺は、どうして、食べさせようとしているのか、という個人的な理路ということになる。

 もちろん、私が読んだ限りとの留保をつけるので、まったく間違っているかもしれないが、食べようとしない人に無理して食べさせようとしても、本人が食べずにこれを拒否して、食べさせようとする人がやきもきするというシチュエーションは、19世紀以前の小説の中であまり描かれてこなかったのように思う。これは、20世紀に入るまでは、多かれ少なかれ、皆が皆、空腹で、そういう問いすら浮かばなかったからなのかも知れない。20世紀に入って、窒素を固定化し化学肥料ができ、作物が取れるようになり、家畜も増え、(少なくとも、先進国と呼ばれる国々の中間層にとっては)食うに困らなくなってようやく、カフカの「断食職人」という食わない人の原型が現れたのではないか。

 それにしても、この段階では、まだ、食わない人の傍にいて、やきもきする人というのは不在であり、むしろ、断食を見せ物として喜んでいる人が食わない人の近傍にいるのであって、そういう意味では、食わない人に対し、いかにも無邪気というか、食わない人の意思決定を問題だと思う視点はなく、カフカの「断食職人」の文脈では、ハンガーストライキは功を奏しない。19世紀的世界観というか、食わなければ、食わないでいい、というレッセフェールの世界がそこにはある。

 その後、どういう文学史的な経緯を辿って、クッツェーのマイケル・Kが出てくるのかは私には分からないし、もしかしたら、私が読んでいないベケットの小説の中に食わない人が出てくるのかもしれず(石をしゃぶって、小便を垂れる人は出てくるので、いかにも、ベケットの世界にも、食わない人がいるような気もするのだが)、こう言い切ることはできないと思いつつ、マイケル・Kは、カフカの断食職人を承継しながら、同時に、食うのが当たり前であるとする、こちら側の価値観をじわじわと侵食し、あやうく転覆しかねないところまで押し寄せてきていると私は感じる。

 断食職人を承継しているというのは、マイケル・Kの「K」がカフカから取られているとの文庫本の解説知識に裏打ちされた脆弱な見解ではあって、そう言い張るつもりはないと重ねて留保をつけるが、しかし、あの人は断食職人の血を引いていると、私は思うし、食わないことに自縛されているんだから、それはそうだろう、と乱暴に言い放つ心構えもある。

 それを前提として、あの作品では、断食職人が我々に近づいてきているというのは、マイケル・Kが食わなくなる過程が描かれているからという理由がひとつ。つまり、断食職人が食べない理由がよく分からないのとは異なって、彼がひとつの決断ないし自律した意思決定の結果として、食わなくなった事情、つまり、山羊を殺して食べた後に食べなくなったとの経緯が詳細に描かれており、これを読むと、ああ、この人、自らの暴力性を否認するに至ったんだな、と納得できる。断食職人と読者との間にあった断絶は、マイケル・Kによって架橋される(正確にいえば、かぼちゃや昆虫は食べるので、全く食べなくなったというわけではないが、しかし、より暴力的ではない形で食べようとするマイケル・Kの姿は、食わないという意思決定に連なっていくものであると、私は思っているのだが、まあ、しかし、物語の終わりで食べ始めてしまい、あれをどう解釈するんだと問い詰められれば、言い繕わなければならないので、そう言い張るつもりもない(のだが、まあ、言い繕う自信はあり、ただ、面倒なので、言い繕わないし、言い張らない)。)。

 もうひとつ。マイケル・Kがこちらに近づいてきた挙句、こちらの考えを転覆しかねないという印象をもたらすのは、マイケル・Kに食わせようとしてうまく行かずに揺れる医師の独白であって、当初、食うのが当たり前であるとしていたはずの医師がどんどんとその価値観を疑い始める過程も丹念に描かれ、これを読むことによって、あの哀れな医師を介し、食わないというのも、ひとつのあり方として、ありかもしれないと、読者が、いや、私がそう考えそうになるのであり、まあ、優れた小説というのは、人を感化するところがあるといえば、それまでであるが、それにしても、父に何とか食べさせようとする性をもつ私ですら、そのあたりまでは、断食職人ないしマイケル・Kに近づいていくわけだ。

 いや、まあ、そうかもしれんな、と思いつつ、ふと、ハン・ガンの『菜食主義者』を思い出すことになるのだが、あの小説では、食べることと暴力はより近づいてくる。もっと言えば、食わない人に食べろということ自体が暴力であるかのように描かれることになり、さらに、そのような干渉がまた男性性の暴力に結び付けられることによって、男である私は、かなりきつい思いをしながら読み進まつつ、人が食わなくなる、その先のことを知りたいと思うに至る(ただ、あの小説において、暴力と食べさせようとする行為は異なる行為であって、これを同一の地平にあるかのように解釈してしまってよいのかとの懸念もあるのだが、そう読む余地は十分にあり、また、仮に、そう読んだとして、食べさせようとする行為の暴力性には、両儀的なニュアンスが含まれているのではないかと考えられなくもなく、誰が何を食べさせようとしているのかという観点から、もう少し丁寧に論じなければならないのは事実なのだが、ややこしくなるので、さしあたって言い放っておく。それとともに、フェミニズム的観点から、あの小説を読むことが、さしあたっての正解であるというのは、そうなのかもしれないが、私は、そういう風に読んでそういう風に語るのも、もう嫌になってしまったし、自らを省みるつもりもないし、かといって、義理の妹とセックスをしたり食べるように勧めて何が悪いと開き直るほどは強気でなく、かといって、男がああいう風に欲情してしまうところもよく分かり(読み手を宙吊りにするため、そういう風に作られているのではないか)、いずれにしても、中途半端なところに留まるほかなく、私からすれば、それがしっくりくるので、きつい思いをしたという感想を抱いたことだけを書いておく。)。むろん、優れた小説であるので、説得力は半端なく、結末もよいというか、そういう視点からすれば、そうなるだろうと思う。食わない人の系譜という観点に戻ると、食べるという自明な行為に違和感に感じ(いや、父はともかく、俺は食うことを止めないが)、マイケル・Kのさらに先にまで持っていかれる。

 そうしながら、ふと立ち止まり、振り返る。それはそうなのかもしれないが、それは違うのではないかと小声で呟く。おそらく、そのように小声で呟かせる衝動のうちに、私が父に食べさせようとする理由があるのだろうと思う。

 マイケル・Kの医師や菜食主義者の主人公の家族が食べさせようとするのは、確かに、個人の自律的な意思決定を覆そうとする試みであって、個人が個人として領有する身体を侵害する行為にほかならないわけだが、私は、個人が個人として領有する身体というジョン・ロック的な価値観を肯定しつつ、しかし、これを貫徹することはできないし、そうすべきではないのではないかと考えているようであり、他者の身体を完全に自由に処分することができないのと同様に、自らの身体もまた、完全に自由に処分することは許されないのではないかと考えているのではないかと思う。

 では、なぜ、そうなのか、と私は問うているのだろうが、そこから先がよく分からない。自分の身体を完全に自由に処分できるということになれば、ひいては、他者の完全な同意さえあれば、他者の身体も完全に自由に処分できるとの理路に繋がるんじゃないですか、という分かりやすい話もできなくはないが、しかし、他者の完全な同意なんていうものは観念できるのですか、言わせてもらえれば、他者が他者である限りは、他者の完全な同意を自己は認識できないんじゃないですか、いや、時間の観念を考慮すれば、完全な同意というか自己の完全な同一性って、粗雑なアニメの主人公くらいしか持ち合わせていないんじゃないですかという心の声があり、それは理由にならない(そういう理由で、私は安楽死は否定しているのだ。たとえ、ゴダールがそうしたとしても。)。

 こうして、結局、よく分からないというか、まとまらないことになるのだが、実家に向かう中で、ふつふつと考えていることをまとまらないままに書いて、少しは気が晴れた。分からんことばかりですよ。

2023.4.23 許された祈り

 ものごとには、明らかになるべき瞬間があって、だから、例えば、3月に京都を再訪し、君島大空を紫明会館で見たときのことは、今、記憶にあっても、おおよそタイミングが違うし、その時のことをうまく書けない。

 今書くことができ、そうしようと思うのは、その時に恵文社一乗寺店で買った『奈良へ』という漫画のことだ。町田康の筆圧が強すぎる推薦文が記された帯を見て、「そんなことを言っても、へへん!」くらいの気持ちで購入した。そして、私からすると、その筆圧の強さから想定されるような、がっと読んで、ぐっときた!という感じでぜんぜんなくて、むしろ、ゆっくりとコップに水が注ぎ込まれるように、静かな感慨に少しずつ満たされていくという印象ではあったのだけれど、どういえばいいのだろうか、地味な傑作だと思う。

 関東の人間なので、近鉄奈良線に乗るまでは、まったく知らなかったが、奈良というのは、関東でいうところの埼玉、群馬に近い。ヤンキーのガラパゴス感といえばよいのだろうか。進化の過程において、どこかで分岐点を間違えてしまったヤンキーがまだ存在しているという意味で、奈良は埼玉に似ている。

 私は、室生寺に行くときに近鉄奈良線に乗り、また、伊勢神宮から戻るときに近鉄奈良線に乗ったが、その2回という僅かな機会であったにもかかわらず、蛭子能収が酔っ払って描いたようなヤンキーに出会っているし、伊勢神宮から戻るときなどは、私と同世代の元ヤンキーといえば良いのだろうか、金髪のパンチパーマでベルサーチもどきのシルク(っぽい)シャツを着たおっさんにも出会っている。私の前の席に座った。昔のヤクザやんけ、とつぶやきたくなった。ヤクザは、近鉄奈良線に乗らないけれども。

 地政学的にいえば、近鉄奈良線は、関東でいうところの西武池袋線で、難波は池袋といえば、こうした事象は、関東の人間にも飲み込みやすくなるのではないかと思われる。と書きつつ、難波には、岸和田のだんじりの血と和歌山の漁師の血が流れ込んでいるので、なかなか複雑なのだが。

 いずれにせよ、関東の行き止まりの埼玉、その果ての群馬に対して、関西の行き止まりの奈良はとても似ているのだが、埼玉と奈良は大きく異なるところがあって、奈良には、東大寺法隆寺がある。埼玉には、それがない。その結果として、奈良には、祈りがあり、救いがある。埼玉には、救いがないということになる。いや、埼玉には、浦和レッズ大宮アルディージャはあるが、東大寺法隆寺に比べば、ねえ…いや、すみません…。

 大きく話が逸れてしまったけれど、『奈良へ』で描かれている奈良は、そのような文脈で捉えなければならない奈良であって、一方で行き止まりのどん詰まりでありつつ、しかし、その果てには、『凶悪』の群馬ではなく、東大寺があり、法隆寺があり、生きることの倦怠と虚しさが反転し、救いになる瞬間が待っている。しみじみとよい。

 若い人には、分かりにくいとは思うのだけれど、でも、そういうもんですわ。つまり、生きていれば、祈ることが許されるときがある。

 般若心経を聞きながら、ぜひ読んでもらいたいと思う。

 

 

2023.02.22 人の営みボット

 どういったわけで、そういったことになったのかを最初から辿ってみると、学校に行かなくなった娘のことがあり、ホールデンのことがあり、そういえば、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』のユキもいたということがあり、そうして、娘にあれを読ませてはどうかと考え、しかし、羊三部作があっての『ダンス・ダンス・ダンス』なので、少なくても『羊をめぐる冒険』を読まないわけにもいかないだろうということがあり、しかし、その行程を娘に歩ませるとなると気が遠くなるところもあるので、さしあたって『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』がいいだろうということになり、このところ、毎日、娘に『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を読ませている。

 「ええ、分かっています。そういう風に読むものではないということは分かっています。」と急いで言い添えた上で、しかし、それで娘が気に食わなければ、あれはその程度の小説であり、それをあれほど胸を高鳴らせて読んだ私はその程度の読者だったのだと開き直りたい。あれは、どのような契機でどのように読んだとしても、いい小説なのだ。

 ところで、こういう風に考えるのは、私だけではないはずだと思うのだが、村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』では、片腕がない詩人のことが気になるのではないだろうか。

 ベトナム戦争に行って、片腕を失い、カメラマンの恋人を作り、片腕で優れたサンドウィッチを作り、そして、トラックに踏み潰されて死んだ、あの片腕のない詩人だ(しばらく読んでいないし、今、紐解くまでのこともないと考えているし、誤読していたならば、それはそれで面白いので、事実誤認が含まれている可能性はあると、すぐに留保を付けたいのだが)。

 死んで時間が経っていないのに、死者がきれいに片付け、秩序立てられていた台所が生者によって少しずつ乱されていく場面について、読んだ当時、ということは、発売されてすぐの高校生だった頃になるのだが、私は、「ああ、生というのは儚いものなのだなあ」と、うすらぼんやり考えており、さらにいえば、語り手やユキが少し馬鹿にしていたことに引っ張られて、あの詩人を軽く見ていた。今で言うところのモブキャラ扱いをしていたといえば良いだろうか。印象深いが軽い脇役。あらかじめ死することが定められており、しかも、それが隠喩としてしか機能しない登場人物。ひどい。

 しかし、歳をとるにつれて、というか、このところ、ペイブメントのライブにも、レッチリのライブにもいかず、家にしか目を向けていないので、そういうことになるのだろうが、毎日、台所の作業台の上に置きっぱなしにされた牛乳パックを冷蔵庫にしまい、どこからか湧いて出てくるような輪ゴムをしまい、底にコーヒーが少しだけ残ったイッタラのマグカップをシンクの中におき、コーヒーの滓を拭き取り、といった生活を続けていると、あの詩人のことを思い出してしまう。実際に生きており、一時期一緒に過ごしたことがある人物のように感じる。しかも、親しい人物として。

 おそらく、あの詩人も自分が軽んじられ、脇においやられ、しかも、恋人からもその娘からも才能がないが、生活するには、ちょうど良いところに収まるマグカップとして扱われていることに気づいていたはずだ。しかし、それでもなお、彼は、毎日、台所の秩序を守り、味のよいハムと新鮮な野菜を見分け、優れたサンドウィッチを作り、詩をつくり、音もなく過ごしていたのだろう。しかも、戦争で大怪我をして片腕のみになっていたというのに。

 さらにいえば、私の記憶では、彼は、それまで他の女の人と静かで充足した生活を送っていたのに、それを捨てて、アメと一緒になっていたはずで、そうなると、その女の人を捨てたことに対する何らかの感情も濡れたタオルのように抱えていたとも考えられ(テキストにあたっていないので、単に私の妄想かもしれない)、それにもかかわらず、そういったモブキャラ的な生活を送っていたわけで、実のところ、モブキャラどころの騒ぎではない奥行きと陰影をもった人物であり、ああ、もう少し話をしてくれればよかったのに、と思う。

 話がずれてばかりで申し訳ないが、そんな人物に比べれば、私などはもう、冬の間に凍え死んで、駐車場の端に干からびて平たい死骸になった鼠のようなものなので、図々しいのかもしれないが、しかし、今、台所の作業台を片付けながら、どこかしらで、あの詩人のことを思い出し、自分を重ね合わせているところがある。もちろん、妻も娘も私を軽んじ、才能がないと陰で言っているわけではない(と思う)し、戦争で片腕を失っているわけでもなく、サンドウィッチも上手に作れないのだけれど、それにしても、私は、ふきんを金物の洗濯ばさみに挟み、干しながら、あの詩人のことを思う。もしかしたら、台所を片付けるという作業には、そのような内省を迫る何かしらがあり、人生においては、そういった作業が必要になる時期があるのかも知れず、その効果として、あの詩人が浮上してきただけなのかもしれないが、事実として、あの詩人をかつて一緒に過ごした友人のように思い出す。

 …読み返してみて、あまりに暗い。

 反省して、少しは役に立つことを書くと、暗殺者のパスタというのがありますね。最近、これにはまってしまい、よく作っている。

 作り方は簡単で、カゴメの「アンナマンマ・トマト&ガーリック」とデルモンテの「基本の完熟トマトソース」を鍋に入れ、カゴメの瓶のぶんだけ水を足します。そして、そこにコンソメを1つ入れて、しばらく煮立たせます。その間、乾燥パスタを1人あたり150グラム取り出して、バキッと半分に折って、オリーブオイルを多めに入れた熱したフライパンに投げ込み、しばらく焼いたら、煮立っているトマトソースを少しずつ入れていき、トマトソースの鍋が空になるあたりがちょうどいい感じ。トマトソースをおたまで混ぜている間は、『グットフェローズ』のことを考えると、とてもいい感じ。FBIが呼び鈴を鳴らさないのを祈るばかり。

 

  • アンナマンマ

 

 

2023.02.18 ライ麦畑で右往左往

 こう書くと、冒瀆以外のなにものでもないような気もするし、自分でもどうかとは思うが、娘が学校に行かなくなって1か月を過ぎたところで、「ホールデンの親も大変だっただろうな…」とふと考えてしまうことがあって、だから、親目線で『ライ麦畑で捕まえて』を読みはじめてしまう。

 いや、もちろん、娘はホールデンにまでは至っていなくて、いきなり寒空の下に出かけていって連絡が取れなくなるということもないわけではあるけれど、それにしても、ベクトルはそういう方向で、娘が家にいるのが好きでなければ、寒空の下、どこかに行ってしまっていただろう。

 私も家にいるのが好きなほうなので、家にいるわけだが、娘はそれが気に食わない。私に対して、「出てってくれ」という空気を漂わせ、何もいわずに自分の部屋で阿呆な音楽やYou Tubeを流しながら、絵を描いている。「出てってくれ」というのも分からなくはないが、それにしても、ここは俺の家のはずだが…とじっと手を見る。

 話がずれたが、親目線でホールデンを見てしまうとなると、「で、お前は、どうしたいんや…」と途方に暮れてしまう。「なんで、お前は、求められてもいないのに、歴史の先生のところまでわざわざ出かけていって、悪態ついているんや…」と、はじまりのはじまりのところで当惑する。

 とはいえ、本当に困ってしまうのは、逆に、そういう当惑の軸からぐっと180度回転した場所からの風景も見えてしまうことで、ホールデンからすれば、そうしないわけにはいかない。その切実さは、よく分かる。

 語られてはいないものの、ホールデンと歴史の先生の間には、どこかしらで相通じるものがあるかもしれないと期待させる何かしらのエピソードがあったはずで、そのときに自分に生まれた感情を裏切らないため、学校を去るにあたって、ホールデンはわざわざ挨拶に行ったのだろう。しかし、歴史の先生は、通り一遍の対応しかない。ああ、この人もそうだったのかと、がっかりするのもよく分かる。「分かるよ、ホールデン」と親ではない私は声をかけたくなる。

 他方で、そうは言っても、歴史の先生は、もう定年で辞めようと考えているほどの老齢で、その上、凍えそうな曇天の下、体調が優れなくて伏せていたところ、突然、ホールデンという、何を考えているのかよく分からないような子がやってきたわけで、少しでも血圧を上げて、なんとかしようと思うけれど、指先は冷えて、血が巡らない。頭に至っては、歯車の錆びた時計のように、ほとんど動かない。

 それでも、そんな子だから、やっぱり心配で、寝間着のままでも会ってやらないといけない。無理に血圧を上げて、退学になるその子に対し、何か、何であれ、ためになることを言ってやらないとならない。でも、頭はさっぱり動かない。立ち上がるのも億劫だ。むしろ、布団に戻りたい。でも、この子を追い返すわけにもいかない。

 となれば、自分の狭い世界の中で紡ぎ出された型通りのことを言ってやるのがぎりぎりのところで、ホールデンが気に入るような言葉を探り当てるのは、いや、全くのところ、絶対に無理。「どないしろ、ちゅうねん!」と悪態をつきたいのは、歴史の先生だったはずだ。とはいえ、先生はそれをぐっと我慢して、しかも、少しまずったと気づいて、自分の指先に血液が還流するまでの時間を稼ごうとして、ホールデンホットチョコレートを勧める。しかし、ホールデンに断られてしまう。分かる。分かるよ、スペンサー先生。

 親としての私は、汚れちまった悲しみに暮れながら、そんなことを思う。

 とどのつまり、もう、あっちに行ったり、こっちに戻ったり、とライ麦畑で生き惑うことしかできないということに落ち着き、しかし、落ち着かないので、今もまた、娘の部屋に行って様子を見て、声をかけたら、「黙れっぴ、黙れ、カスッぴ」と『タコピーの原罪』の口調を真似た娘にディスられて、こちらの部屋に戻ってきた。

 ところで、Yard Actは最高ですね。

 


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2023.1.23 新しい生活


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 数えたほうが良いのか、それとも、ぼんやりと幾つかの記憶をないまぜにしてしまったほうが良いのか、私にはもう分からなくなっているけれど、大阪で暮らしていた間は、君島大空が関西にやってくる度に、君島大空のライブに行っていて、だから、関西での生活の記憶は、私においては、君島大空の音楽と絡み合っている。

 11月20日に急遽横浜に戻らなければならなくなって、「ああ、これで最後かもな」と思いながら歩いた出町柳から一乗寺、そして、一乗寺から元田中までの道すがら、君島大空の音楽を聴いていたわけではないけれど、その日の夕暮れの美しさと、少し冷えた空気と、そして、最後に寄った「やまのは」という喫茶店の窓から見えた手前の都市計画道路(?)と遠景の山の稜線と、マンデリンのコーヒーを飲みながら読んだ、その日に恵文社で買った『イリノイ遠景近景』の、イリノイ州のとうもろこし畑の描写とは、分かちがたく結びついて、君島大空の「19℃」という曲に包み込まれているように感じる。それは、「やまのは」という喫茶店の暗がりと「19℃」という曲のPVが喫茶店を舞台にしているということからの不合理な連想なのかもしれない。それにしてもと考えてみると、西荻窪の喫茶店の映像が京都の学生街の喫茶店に連なっていくというのは、ごく自然なことであるようにも感じる。少なくても、私にとって、ということではあるが。

 12月の終わりに、私は大阪と京都を後にして、年が明けて、横浜で凍えているばかりだったのだけれど、大阪を去る前にそれなりの策は考えてあって、つまり、11月30日に梅田で見ることもできた君島大空のライブに行くことは控え、1月23日に横浜で見ることにしていたのだった。チケットを取った時には、ずいぶんと遠い先のことで、仕事との兼ね合いも気になったけれど、結局、あっという間にその日はやってきて、仕事は、やはり、どうとでもなった。

 ライブの数日前に流れてきたツイートによれば、数日前だというのに、チケットが完売していないという。少し驚いて、廻りを見回してみると、当然ながら、妻と娘がおり、娘は、12月から学校に行くのを止めてしまい(あのような担任教師が居座っていることからすれば、それは当然のことであり、むしろ、そのセンスを褒めたほうが良いのかもしれないが)、家にずっとおり、くさくさしているようでもあったので、家族皆で行くことにした。

 正直にいえば、私は、みなとみらいが全く好きになれず、水没してしまえばいいと思っており、あの近辺でぎりぎり許せるのは、野毛商店街とそこから野毛山動物園に登っていくあたりと日本大通りと中華街とニューグランドホテルくらいのものなのだが、その点を踏まえても、今回行ったKTZepp横浜はものすごく気に入ってしまった。自分の家から行きやすいし、ライブハウスの動線もよくて、喫煙所もあり、見やすい。もうZepp東京とかZepp羽田をなくして、KTZepp横浜だけでいいんじゃないかと思う。といっても、会場から出ると、京都や大阪と比べて、街の魅力のなさにがっかりしてしまい、KTZepp横浜以外はすべて水没すればいいと思うわけだが。

 話がずれた。

 君島大空の新しいアルバムは、もちろん、聴いていて、ものすごく面白いアルバムだと思った。おおまかに分類すれば、3部構成というか、レコードの表(「映帶する煙」〜「世界はここで回るよ」)と裏(「19℃」〜「光暈」)と、そして、表(「遺構」〜「No heavenly」)といった色調が目まぐるしく変わっていくアルバム。特に「エルド」から「光暈」からの繋がりが好きで、言葉に尽くせないので大雑把にいうが、とても素晴らしい。もっとも、ここで終われば、「ああ、はじまったところに一周して戻ったな」ということになるわけだけれど、さらに「遺構」と「No hevenly」を最後においたところが偉い。この2曲で、円環が解けて世界が開かれ、新しい場所にぐっと足を踏み出した感じがする。

 私が合奏形態というかバンドでの演奏を見るのが初めてだったからかもしれないが、ライブは、そうしたぐっと足を踏み出した流れの先にあって、独奏は、雨音の中の独り言といえば良いのだろうか、ごく私的な物語が1人称で語られているように感じていたけれど、合奏形態は、大きな物語を3人称で繰り広げていくという広がりと奥行きが感じられて、ものすごく気に入った。特に、「火傷に傷」から「遠視のコントラルト」までの流れは、すさまじく、「火傷に傷」の独奏から合奏へと移り変わる、あの瞬間は眩暈がした。

 そうして、いつものようにライブはすぐに終わって、いつもならば、1人ですっと帰っていくのだけれど、その日は、離れた席に座っていた妻と娘を探して帰ることにした。娘に感想を聞くと、「楽しかった」と一言だけの、つれない言葉が返ってくるだけだったけれど、それにしても、娘に感想を聞くというのは、新しい生活だな、と思う。横浜で凍えているだけというわけにもいかないのかもしれない。




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