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狐の珠

狐の珠 (きつねのたま)


ある冬の夜、善左衛門という男が厠に行くと、窓越しに狐が見えた。
善左衛門が「コラ!」と一喝すると、狐は驚いて逃げ出したが、その時キラッと輝く珠を落とした。
その珠を拾って家の中に持ち帰ったところ、戸の向こうから「善左衛門さん、その珠を返して下さい。それは私たちの命の珠で、その珠がないと力を失って生きていけなくなります。小判を持って来たので珠と交換して下さい」という声が聞こえ、チャリンチャリンと小判を戸口に置く音がした。
善左衛門は可哀想に思い、戸を少し開けて珠を返すと、狐は礼を言って急いで姿を消した。
戸口を見ると、そこには蹄鉄が四、五枚転がっているだけだった。
善左衛門は「はてさて寝ぼけたかな。はたまた狐に騙されたのかな」と笑って床に就いた。
それから善左衛門の家は年々、代々栄えていったという。

『山本の風土記』「キツネのはなし」より


狐に騙されても怒ることなく笑って済ます善左衛門、器が大きい。


伝承地:亀岡市篠町山本


山本の狸

山本の狸 (やまもとのたぬき)


昭和二十年代まで山本の辺りには竹藪が沢山あり、そこに多くの狸が棲んでいて、人を化かしては喜んでいたという。
狸たちは通行人に砂をまいたり、姉さんかぶりにたすき掛け姿の娘に化け、竹を背負って山本浜(保津川沿いの河原)の辺りを五、六人で固まってしゃなりしゃなりと歩くこともあったという。
他にも、法事帰りの尼が「いいお湯だ」と言って肥溜めに一晩中浸かっていた、老婆が通い慣れた道で迷い、夜明けまで川の土手を彷徨っていたという話もある。
昭和の初め頃は、山本のある所の大きな門に狸が背高坊主になって現れると言われていた。
ある日の夕方、少女が姉と子守をしながらそこを通りかかると、門の梁に頭がつかえそうな大坊主が下駄を履いて立っていたので、姉妹は泣きながら逃げ出したという。

『山本の風土記』「たぬきのはなし」より


他にも、太郎兵衛という人が娘に化けた狸を見物していたつもりが、気づけば石灯籠に頭を突っ込んでいた、というポピュラーな化かされ話も伝えられています。
このように山本地域は狸に化かされることが多かったので、親指を隠し握りこぶしを作って歩く、マッチや提灯を携帯するなど、化かされないための対処法があったそうです。


伝承地:亀岡市篠町山本


亀と馬の領地争い

亀と馬の領地争い (かめとうまのりょうちあらそい)


曽我部村字寺村にある與能(よの)神社の使いは亀で、同村字穴太にある小幡神社の使いは馬とされている。
昔、両社の亀と馬が曽我部村を競争して回り、先に通った場所を領地として貰う約束をした。
ところが油断した馬は小幡神社の前で居眠りをし、その隙に亀は與能神社から九つの字を通って穴太まで進んだ。
目を覚ました馬は慌てて穴太まで駆け抜けたが、亀に追いついたのは穴太寺の前だった。
そのため、與能神社は寺村、宮條、春日部、中村、法貴、犬飼、南條、四條、重利の九字の氏神となり、小幡神社は穴太だけの氏神になったという。

『丹波の伝承』「與能小幡両社の領地争ひ」より


與能神社
曽我部町寺の與能神社。
本文にもあるように、この神社の使いは亀で、近くの川や田圃で捕まえた亀は境内の放生池に放つ風習があるそうです。
ちなみに、かつて與能神社には別当寺の與能神宮寺という大伽藍があったそうです。
神宮寺の近くの谷筋には「大杉さん」と呼ばれる周囲10mもの杉の株が残っており、里人の天狗が棲んでいたという伝説があります。(『亀岡神社誌』)

亀っぽい石
境内の放生池に亀は見当たりませんでしたが、亀っぽい形の石はありました。

小幡神社
曽我部町穴太の小幡神社。
與能神社から北に3km程の所、西国観音霊場二十一番札所・穴太寺の近くにあります。

絵馬(神馬図)
本殿の脇に絵馬と鬼瓦が納められた祠があります。
この絵馬(神馬図)は穴太出身の絵師・円山応挙が描いたものだそうです。

円山応挙奉納絵馬
神馬の絵は応挙が描き、息子の円山応瑞が装飾して享和三年(1803)に奉納したと伝えられています。(『亀岡神社誌』)

朝寝坊して領地を逃したドジ女神。


伝承地:亀岡市曽我部町寺・與能神社、同町穴太・小幡神社


旭塚の畑跡

旭塚の畑跡 (きょくづかのはたけあと)


浄法寺村の観音堂の北、小高い田圃の中に旭塚という塚がある。
この塚の上に畑跡があるが、ここを耕せば祟りがあると言われている。
そのため、人々は恐れて触らず、畑は荒れ地になっていた。
天保の頃、聖隣寺の和尚がこの畑を耕作したが、その時に四尺(1.2m)余りの太刀が出土したという。
また明治の末頃にも木棺や直刀、菅玉が出土したが、誰の塚なのかはわかっていない。

『新編 桑下漫録』「旭塚」より


祟りを恐れぬ和尚、強い。


伝承地:亀岡市篠町浄法寺(旭塚は現存していない?)


釈迦堂のごご

釈迦堂のごご (しゃかどうのごご)


柏原の念仏寺に釈迦堂があり、毎年三月十五日には参拝者に「ごご(小さな団子)」が授けられる。
このごごをもらって食べておけば、その年ははめ(マムシ)に咬まれないという。
また、はめのいる所へこのごごを持っていくと、はめは動けなくなって死んでしまうという。

『口丹波口碑集』「柏原のお釋迦さん」より


このお団子は「ハメヨケダンゴ(はめ除け団子)」「オシャカサンノハナクソダンゴ(お釈迦さんの鼻くそ団子)」とも呼ばれているそうです。(『京都府方言辞典』)


伝承地:亀岡市篠町柏原町・念仏寺


美女に化けた狐

美女に化けた狐 (びじょにばけたきつね)


昔、曽我部村法貴の丈右衛門という人が、山から帰る途中で美女に出会った。
二人は連れ立って歩いていたが、美女が「疲れたから手を引いて」と言うので、丈右衛門は「狐が化けているのだな」と思い、その手を強く握りしめて歩いた。
すると今度は「手が痛いから持ち替えてほしい」と言うので、丈右衛門は逆の手を握って家まで戻った。
そして家に着くなり「そら狐じゃあ」と怒鳴りながら美女を庭に叩きつけた。
ところが、ガランガランという音がしたのでよく見ると、狐の手だと思って握っていたものは木の端くれだった。
美女に化けた狐は、丈右衛門が手を持ち替えた時に木の端くれを掴ませ、うまく騙したのだという。

『口丹波口碑集』「狐の話」より


手を持ち替える一瞬の隙を突いて自分の手と木を交換する早業。テクニシャンですね。


伝承地:亀岡市曽我部町法貴





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