ちから桃 (ちからもも)


昔、雲原村に仙吉という少年がいた。
仙吉は同年代の子供に比べて背は高かったが、力は彼らの半分もなく、よく頭痛になったり、奉公先で働いてもすぐに息切れする程病弱だった。
だが仙吉は力強い力士になることを夢見ており、毎朝八幡山に登って氏神に祈願し、全裸でお宮の周りを走り回り、境内にある大きな石を動かそうと試みた。
来る日も来る日も「この石を動かせる力を下さい」と願いながら大石を持ち上げようとしたが、何度挑んでもびくともしなかった。
そして二十一日の朝、仙吉は「今日こそ最後の日、私の願いを叶えて下さい」と念じて大石に手をかけたが、やはり動かすことは出来ず、失望と疲労で気絶してしまった。
ふと誰かに名前を呼ばれ目を覚ますと、大石の上に白髭の老人が立っていた。
老人は「願いを叶えたければ桃太郎の桃を喰え。桃の場所が知りたければ、明日鳥の鳴く前に南の山の奥まで来い」と言って姿を消した。

翌朝、仙吉は南の山へ向かい、一里(約4km)程歩き続けると、やがて幅が5m程ある川に行き着いた。
川の畔の大石に老婆が腰かけており、「わしを背負って向こう岸へ運べ。わしは九十九歳だ」と命令してきたので、仙吉は「這って渡れ」と言って無視した。
するとその時、烏の鳴き声が聞こえたかと思うと、どこからか「駄目だぞ!」という昨日の老人の声が響き、振り返ると老婆の姿は消えていた。
家に戻った仙吉は「お婆さんは九十九歳だと言っていたな。運んでやればよかった」と申し訳ない気持ちになった。

次の朝、仙吉は昨日よりも早く起きて南の山へ向かうと、老婆が川の畔の石に腰かけており、また「背負って運べ」と言ってきた。
今回は対岸に運んでやろうと思い背負ったが、老婆は石のように重かった。
それでも何とか川を渡り切ると、老婆は礼も言わず「わしの鼻水を拭いてくれ。わしは九十九歳だ」と言ってきた。
仙吉は腹を立て、無視して先へ行こうとすると、また烏の鳴き声と共に「駄目だぞ!」という老人の雷のような声が響き、老婆は消えてしまった。
その夜、仙吉は「せっかく運んでやったんだ。鼻水も拭いてやればよかったな」と反省した。

三日目の朝、仙吉はもっと早く起きて山へ行くと、やはり老婆が石に腰かけており、「背負って運べ」と言ってきた。
仙吉は老婆を背負って対岸まで運ぼうとしたが、昨日よりも更に重くなっていた。
川を渡り切ると、老婆が「鼻水を拭いてくれ」と頼むので、仙吉は手拭いで鼻水を拭い、顔を綺麗に拭いてやった。
すると仙吉の目の前に、赤い桃に似た実をつけた木が忽然と現れた。
木の下には例の老人が立っており、「仙吉よ、よく来た。これが桃太郎の桃だ。桃太郎の生まれた桃の種がここまで流れて来て根づいたのだ。この桃を食べて力を試してごらん」と言って姿を消した。
大人の頭程もある実を取って食べてみると、とても美味しく、一つ食べただけで満腹になった。
ふと仙吉は老人の言葉を思い出し、老婆の腰かけていた大石に手をかけたところ、いとも簡単に動かすことが出来た。
こうして大力を得た仙吉は「君ヶ嶽大五郎」という四股名を名乗り、丹波・丹後・但馬から中国地方まで敵無しと言われる程の強い力士になった。
その後、誰一人として桃太郎の桃の木を見つけた者はおらず、仙吉も二度とその場所へ行かなかったという。

『天田郡志資料 上巻』「ちから桃」より


失敗を重ねながらも試練を乗り越え、桃太郎の桃を食べて超パワーを得た貧弱少年のサクセスストーリーです。
しかし桃太郎の桃にきび団子のようなパワーアップ効果があったとは。
種が流れて来たということは、桃太郎は雲原の上流(大江山?)で生まれたんでしょうか。
老人と老婆の正体はわからずじまいですが、彼らは仙吉をテストして桃太郎の桃を食べるにふさわしい人物かどうか見極めていたのかもしれません。
ちなみに君ヶ嶽大五郎(仙吉)は、寺の鐘を一人で担いだり、風呂に入っている老人を風呂桶ごと担いで運んだりするなど、とにかくすごいパワーの持ち主だったというエピソードが多く伝えられています。
また『福知山の民話と昔ばなし集』にもちから桃の話がありますが、こちらはたった一日で試練を乗り越え、桃太郎の桃の木まで辿り着くというショートカット版になっています。

君ヶ嶽大五郎の墓碑
力士・君ヶ嶽大五郎の墓碑。
雲原から与謝野町へ向かう国道のそばに建てられています。
表面には「越中国砺波郡(富山県)出身」という文字が刻まれています。

君ヶ嶽大五郎は実在した力士で(『日本相撲史』の明治二十七年の相撲番付表に四股名が見られる)、ちから桃伝説の仙吉のモデルになった人物と考えられています。
碑文にある通り、大五郎は越中国出身の幕内力士で、明治二十八年(1895)に四十歳で死亡するまでの数ヶ月を雲原で過ごしました。
『京都新聞』のコラム「ふるさとの昔語り」(平成十九年九月二十六日刊)によると、大五郎は身長が七尺(約2.1m)もある大男で、畑仕事が嫌になり、三十歳を過ぎてから京に上って関取になったものの、体を壊して行方不明になったそうです。
晩年は福知山の雲原で長兵衛という侠客の用心棒をしていたと考えられ、川沿いの賭場で大五郎っぽい大男が水撒きをしていたという目撃証言が残されています。
ただ、どうして大五郎(仙吉)が桃太郎の桃を食べて無敵になったという伝説が生まれたのか、その経緯はよくわかっていません。

また、桃太郎の桃は食べていませんが、多紀郡味間(丹波篠山市)の波多野竹右衛門という男は、文保寺の仁王像に三千七百二十一日間(およそ十年)も願をかけ続けたことで、六十貫(約225kg)もの大石を軽く蹴飛ばせる程の超パワーを授かり、無敗の力士になったという伝説があります。(『多紀郷土史考 下巻』)


伝承地:福知山市雲原


タグ :
#樹木
#桃
#桃太郎
#力士