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内橋克人&清野幾久子「福田徳三に学ぶ」in『世界』2013年4月号

 一年以上前に出た『世界』に掲載されたものだが未読だった。内橋氏の発言にはほとんど納得するものがないのだが、この対談は非常に面白く読んだ。

 自民党改憲論者の一部では、まるで戦前には生存権社会権が存在せずに、戦後GHQがつけたしで持ち出してきたかのような暴論を主張する者たちがいる。もちろんそんな認識はただの歴史知らずのトンデモである。

 清野氏がなぜ福田徳三は生存権の思想、そして清野氏の解釈だと非侵略の思想(これについては僕は留保する)をもてたのか、を戦後のGHQ民生局の職員ベアテ・シロタ・ゴードンと比較して共通する要素を三点あげている(語学などの優秀性、国際的経験、他者の苦難への共感)。

 「この三点で二人は共通しています。そのためベアテさんは非常に優れた、現実を見据えた人権条項の草案を書くことができ、福田徳三も今日の憲法につながるような生存権論を持つことができや。そこがおそらく、日本国内で大日本国憲法から離れない新憲法をつくろうと考えた人々とは決定的に違っていた点です」(178頁)。

 両者の対談では、環境権の認識で面白い対立がある。残念ながらその対立点はぼやけている。それは内橋氏は環境権を所有権の絶対性への修正として積極的に評価する一方で、清野氏は近代的憲法の発想を超えるものが環境権にはあり、それは将来世代の所有権にまで制限をかけるところだ、という認識がある。環境権の問題は面白そうで、清野氏の他の論説も読んでみたい。

 また清野氏は憲法制定過程での、鈴木義男の貢献(憲法二五条の導入)に注目しているとするが、これも面白い探究ポイントだと思った。同じ福田徳三を研究していてもやはり専門がずれるとこれだけ違う話題がでてくるのか、といういい見本の対談であった。

参考:ミカエル・クレプファー『ドイツ環境法の歴史』(清野幾久子訳)
福田徳三における『生存権論』の受容とその展開-明治憲法下における『生存権論』の一断面
福田徳三の「国体」・「国本」論 : 福田徳三における国家・社会・生存権(1)

興味深いのだが、ベアテ・シロタ・ゴードン自身は憲法案が国会で修正されていく中で、「生存権」が加わったことを知らなかったらしい。このインタビュー記事の真ん中辺を参照のこと。
http://www.shinyawatanabe.net/atomicsunshine/BeateSirotaGordon/interview




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