
会津若松市にやってきましたが、見逃せないのは日本100名城の鶴ヶ城こと会津若松城だと思います。

朱塗りの廊下橋を渡って二の丸から本丸へ。

廊下橋から眺める堀です。

苔むした石垣の横を歩きます。

立派な復元天守です。もともとの築城は1384年で、その後蒲生氏郷や加藤明成によって改修されました。

若松城は梯郭式の平山城で、本丸を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置されていた。城下町の南端に位置し、会津藩の政庁として会津の政治の中心であった。藩主の会津松平家は徳川将軍家と密接な関係にあり幕末には戊辰戦争の激戦地となった。
現在、城跡は「鶴ヶ城公園」となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。史跡外の三ノ丸跡には陸上競技場、市営プールおよび福島県立博物館がある。天守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、内部は若松城天守閣郷土博物館となっている。

土曜日の訪問でしたが、内部の博物館は観光客で混雑していました。

会津若松城(鶴ヶ城)は、1384年に葦名直盛が東黒川館として築いたのが始まりとされます。
1589年、伊達政宗が摺上原の戦いで葦名氏を破り、会津を支配しました。
しかし翌年、豊臣秀吉の命により会津を没収され、政宗は仙台へ転封されます。伊達家に統治はわずか1年だったそうです。

その後1590年、蒲生氏郷が大改修を行い、七層の天守を備えた近世城郭へと発展させました。以後、上杉氏や加藤氏、保科氏が治め、会津藩の中心として栄えました。
ちなみに保科正之は徳川二代将軍秀忠の子で、三代将軍家光の異母弟にあたります。
正之は徳川家の信頼を受けて会津藩主となり、以後、松平姓を許されて会津松平家と称しました。
以降、幕末まで会津藩を治め、最後の藩主・松平容保は京都守護職として幕府を支えましたが、幕末の戊辰戦争で敗北しました。
松平容保は岐阜の高須藩(現在の海津市)出身ですね。先日訪れた海津市と会津若松がつながるとは・・

レプリカの兜が展示されていました。

NHK大河ドラマ「八重の桜」で使われた衣装が展示されていました。

手前は綾瀬はるかさんが演じていた新島八重の衣装です。
新島八重は戊辰戦争の会津戦争では銃を手にとり、籠城する会津藩を守って戦いました。戦後は京都で新島襄と結婚し、同志社英学校(現・同志社大学)の創設を支えました。
新島八重の兄で西島秀俊さんが演じた山本覚馬の衣装もありました。

最上階からの南側の眺望です。

北西の方向です。
茶室麟閣

共通入場券を持っていたので隣接する茶室麟閣にも行きました。

千利休の子、小庵が建てたとされる茶室です。

戊辰戦争後、市内に移築され、後に鶴ヶ城本丸内に移築・復元されました。

大町通り・蒲生氏郷墓

会津若松市の中心部です。

大町通りは「JR会津若松駅」から「鶴ヶ城」を結ぶ会津で最も古い歴史を持つ商店街です。沿線には寺社仏閣が多く、その歴史的な佇まいと会津の伝統産業である会津漆器や呉服などを扱うお店が数多くあります。

蒲生氏郷墓入口の案内柱がありました。先述の会津若松城の大改修を行った人物です。
もともと近江日野の出身で、その後伊勢松阪、最期に会津若松にやってきました。
氏郷は松阪城の築城主ですね。

蒲生氏郷の墓所がある興徳寺です。

こちらが墓所のようです。五輪塔がありました。
七日町通り

大町通と交差し、只見線の七日町駅につづく七日町通りですが、商店の多いエリアです。

滝谷建設工業株式会社とあります。

建物上部には呉服百貨店、英語でデパートメントストアと彫られています。

上品かつ重厚な会津漆器のお店の白木屋さんの建物です。300年以上前の慶安年間創業だそうです。

七日町通りは個性的な建物が多く散策が楽しいです。
野口英世青春通り

野口英世博士が青春時代をおくったという野口英世青春通りを会津若松駅目指して歩きます。
野口英世は近くの猪苗代町の出身です。
途中、グーグルマップで見つけた会津若松名物ソースカツ丼の店に立ち寄りましたが、見事に営業していませんでした。
マルモ食堂

ほかを探したところ、近くでは駅前のマルモ食堂さんという店で提供しているようでした。

昭和感全開のお店ですね。

私が夜の部のお客第1号のようでした。

ソースカツ丼1,200円です。
会津ではカツ丼と言えばソースカツ丼らしいですね。私は玉子でとじたものを想像します。

こちらはどちらかというと辛めのソースですね。豚肉の脂の甘さとあうと思います。