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大阪のパワースポット『サムハラ神社』とテニスの聖地『靭公園』

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大阪メトロの阿波座駅から徒歩10分弱。

 

 

サムハラ神社


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マンションやオフィスビルの立ち並ぶ街の中にあります。


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サムハラ神社です。


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想像以上に小さな神社ですが、かなりのパワースポットらしいですね。

 

祭神は天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の造化三神。「サムハラ」はこれら三神の総称であるとしている。奥の院が美作加茂(岡山県津山市)にある。

 

1935年(昭和10年)に田中富三郎が出身地の岡山県苫田郡西加茂村(現・津山市)にて旧い小さなほこらの荒廃を嘆き再興したのが本社の起源。

 

しかし翌年岡山県特高課から無許可神社で商品広告しているとして自主撤去を求められ、サムハラ信光会は11月27日に解消し、撤去を行った。

 

戦後1946年(昭和21年)にほこらは再建され、当神社は大阪中之島の豊国神社隣接地に自費で1950年(昭和25年)に建立。1961年(昭和36年)に現在地へ移築遷宮された。

サムハラ神社 - Wikipedia

 

けっこう新しい神社なんですね。🤔


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参拝する人の行列ができていました。

 

また、社殿の中ではご祈祷が厳かに行われていました。

 

雰囲気が他の神社と違いますね。

 

なんか皆さんの真剣さが違う・・

 

ちょっと物見遊山の私は場違いな感じがしました。😅

 

行列に並ぶこともなく、写真を撮って早々に退散です。


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サムハラ神社は漢字で書くとこうなるんですね。


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こりゃパソコンで漢字変換できないですね。😅

 

グーグルマップでもカタカナ表記になっています。

 

 

 

靭公園

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サムハラ神社のあとは靭(うつぼ)公園にやってきました。

 

怖い顔をした魚のウツボではありません。

 

靭は矢を入れて背負う武具の名称だそうです。

 

豊臣秀吉がこの辺りを巡視した際、魚商人たちが「やす(矢巣)」「やすい、やすい」と掛け声をかけているのを聞き、「やす(矢巣)とは靭(矢を入れる道具)のことである」と洒落で言ったため、「靭」という町名が付けられたという説が伝わっています。

 

靭公園の存在は知っていましたが、来るのは初めてかもしれません。


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靭公園にはテニスコートがたくさんあり、関西テニス協会の本部もここにあるようです。

 

ちょうど世界スーパージュニアテニス大会が開催されていました。


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錦織圭選手やウォズニアッキ選手もジュニア時代に出場したそうです。


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へー、無料で観戦できるんですか。😀


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せっかくなので見てみました。センターコートです。観客はパラパラ。


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テレビでウィンブルドンの試合を見たことはありますが、生でテニスを見るのは初めて。

 

ジュニアとはいえサーブの球はめちゃくちゃ速いし、よく動きますね。

 

オッサンがやったら足もつれてコートに顔面ダイブしそう。😅


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世界大会らしく欧米の選手も出場していました。

 

外にも選手たちがいましたが、テニス選手は男女とも爽やかで美男美女が多く、キラキラしていました。

 

暑苦しい松岡修造も若いときはそうだったんでしょうね。😆


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靭公園の一角に靭海産物市場跡の碑がありました。

 

豊臣秀吉の頃から海産物を扱う市が存在していたそうです。


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大阪の中心部でこの緑は貴重です。


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大塩平八郎終焉の地の碑がありました。

 

天保の飢饉が引き金になった大塩平八郎の乱の人ですね。

 

 

 




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