
日本100名城の掛川城に行ってみました。

静岡県掛川市のJR掛川駅北口です。

北方向に歩いて5分。

掛川城が見えてきました。

散りつつありましたが桜がまだきれいでした。

入場料は天守閣&御殿で410円でした。

小さな山のてっぺんに天守があります。

全国で最初の木造復元の天守だそうです。
鉄筋コンクリートのハリボテ城だとずっと思っていました。😅

柱も梁も木材です。

土佐のイメージが強い山内一豊の像がありました。
1590年の豊臣秀吉による天下統一の際に、それまで掛川城を含めた遠江を領有していた徳川家康は秀吉により関東に追いやられました。
秀吉は、関東の家康を牽制するため東海道、中山道をはじめとする街道筋の要所に、秀吉配下の武将を配置し、城の整備をさせました。
掛川城には山内一豊が入城し石垣を築き、天守として高層の瓦葺き建物を建て、近世掛川城の礎を築きました。
現在の復元掛川城は17世紀中頃の掛川城をイメージしたものだそうです。

かなり急な角度の階段で、膝の悪い人には超きびしい。
エレベーターはありません。😀

写真撮影は全面的にOKです。

甲冑もありました。

また急勾配の階段です。

最上階にやってきました。

南側、駅方向の眺めです。

東側ですが肉眼ではうっすらと亡霊のような白い富士山が見えました。

天守の東側には御殿があります。

御殿が現存している城は少ないらしく、国の重要文化財に指定されています。
御殿は、城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用されました。書院造と呼ばれる建築様式で、畳を敷きつめた多くの室が連なり、各室は襖によって仕切られています。
当初は、本丸にも御殿がつくられましたが老朽化したり災害にあって、二の丸に移りました。
現存する御殿は、嘉永7年(1854年)大地震で倒壊したため、時の城主太田資功によって、安政2年(1855年)から文久元年(1861年)にかけて再建されたものです。
安政2年から明治2年(1869年)までの14年間は掛川藩で使われましたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用され、廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学校として使われました。その後も女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けました。
その後、現存する城郭御殿としては、京都二条城など全国でも数カ所しかない、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建築物として、国の重要文化財に指定されています。

爪楊枝細工のお城がいくつも展示されていました。

凄いですけど、やってみようとは思わないです。ハマると人生ムダにしそう。(笑)

二間続きのお殿様の執務室です。


床の間です。

杉良太郎氏の個人コレクションの甲冑が寄贈されていました。

杉氏はもともと手前の紺色の甲冑を保有していたそうです。
その時は何か家に重苦しいような空気が漂っていたそうです。
そこでひょんなことから奥の茶色の甲冑を手に入れました。
するとそれまでの重苦しい空気がスーッと解消されたそうです。
調べてみると掛川城にゆかりのある二人の武将の物だったことが判明しました。
杉氏のコレクションという形で2つの甲冑は時代を越えて再会することとなりました。
これも何かの縁だと思った杉氏はふたつの甲冑を掛川城に寄贈することにしたそうです。
俳優の杉良太郎さんが掛川城主の甲冑を寄贈してくださいました! | 掛川観光情報 観光と交流の町「静岡県掛川市」

太田資俊の甲冑。掛川藩初代藩主です。茶色いほうは掛川城主松平忠喬のものです。



1月には将棋の王将戦もこちらで開催されたそうです。

ショップで藤井聡太王将が食べたお菓子が売られていましたが、荷物になるので買いませんでした。


絵になる城と桜のコラボです。