写真が76枚もあるムダに長い記事となります。個人的記録ですのでご容赦ください。😀

JR東海道線の関ケ原駅です。
私は、20数年前から東京ー大阪間を分割して歩いていますが、まだ歩いていないのは二子玉川ー足柄、関ケ原ー京都、枚方ー大阪です。
今日は未踏区間の関ケ原ー京都間のうち、関ケ原から彦根まで歩いてみようと思います。
この春は垂井ー関ケ原を歩きましたが、その続きになりますね。
関ケ原宿

おおよそ旧中山道に沿うコースです。駅を出るとすぐに国道21号線です。現代の中山道。

周辺は関ヶ原古戦場にまつわる史跡が多いです。今日は歩くのが目的なので、ひとつひとつ立ち寄ったりはしません。

国道21号線と並行する旧中山道に入りました。

少し歩くと不破の関跡です。壬申の乱(672)の後に設けられたと書いてありますが、そんな大昔からここが道として機能していたんですね。

不破関は672年壬申の乱後、律令体制の整備に伴って(8世紀初め)に設置されました。東海道の鈴鹿関、北陸道の愛発関とともに古代三関の1つとされています。
関の機能については畿内(滋賀県からは大和政権の支配下)に入る侵入者を阻止する目的であると考えがちですが、壬申の乱で大海人皇子が美濃・尾張で兵力を蓄えたことなどから、謀反者などが畿内から東国に逃れるのを防ぐ機能があったと考えられています。
不破関は延暦8年(789)年に関の機能が停止されましたが、その後、鎌倉時代には通行料(関銭)を取っていたことも明らかになっています。江戸時代にかけては、歌に詠まれることが多くなり、松尾芭蕉は野ざらし紀行の中で「秋風や藪も畠も不破関」という句を残しています。

壬申の乱の幟ですが、関ケ原は戦国時代よりはるかに前からの歴史を有していたわけですね。

比較的アップダウンの多い道を歩きます。

関ケ原の戦いで亡くなった大谷吉継の墓が840mです。

黒血川というコワい名前の川です。
壬申の乱で両軍の兵士の流血が川底の岩石を黒く染めたことから「黒血川」の名が付いたそう。

すぐそばをJRの線路が走っていて煉瓦づくりのトンネルがありました。

今度は新幹線をくぐります。

道からも見える鶯の滝。
かつて今須峠を上り下りする旅人の心を癒してくれる格好の場所でした。水量は豊富で、夏は冷気が立ち込め、年中ウグイスが鳴くことからこの名が付いたとされると看板に書いてありました。

常盤御前の墓があるので寄ってみましょう。常盤御前って誰?

常盤御前は平安時代末期の女性で、源頼朝の側室だそう。
常盤御前の墓とされるものは、ここ岐阜県関ケ原町、群馬県前橋市、鹿児島県郡山町(現鹿児島市)、埼玉県飯能市と各所にあるそうです。
今須宿

東海道本線を走る貨物列車と伊吹山。

ここは線路が単線になっていますね。
東海道本線なのに単線?これは大阪方面に向かう下り線ですが、上り線は・・
架線柱の向こうに別の架線柱が見えています。上り線はここから大阪方向(写真手前側)にトンネル(新今須トンネル)となっているようです。
いっぽう下り線には1900年に作られたレンガ造りの短い今須トンネル(現役)があります。東海道本線が単線時代の名残でしょうかね。
この区間100回以上は電車で通過していると思いますが、上りと下りで違うことにまったく気づかなかったですね。

今須峠にやってきました。

この付近には茶店があって賑わっていたと書かれていますが、今は静けさしかありません。

峠を下ると今須の集落です。

中山道今須宿です。

問屋場であった山崎家の建物です。


常夜灯です。街道の名残があちこちに見られます。

関ケ原宿があった関ケ原駅からまだ4㎞しか歩いていませんが、中山道は宿と宿の間の距離がずいぶん短いです。

今須宿からしばらく歩くと史跡寝物語です。写真の小さな溝が滋賀県と岐阜県の県境です。
石造りの立派な説明書きには、この溝を挟んで両国の番所や旅籠があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話合えた」ので、寝物語の名が生まれたといわれていて、寝物語は中山道の古跡として名高く、古歌等にもこの名が出ていたり、広重の浮世絵にもここが描かれていると書いてあります。
ふーん、ここからは滋賀県米原市となります。

さらに少し歩くと浅井長政が築城した長比(たけくらべ)城跡の登り口があります。
長比城の見所と写真・100人城主の評価(滋賀県米原市) - 攻城団

この道が伊勢湾と大阪湾との分水嶺になっています。県境と一致はしていないんですね。

柏原宿

柏原宿に入ってきました。関ケ原駅からおよそ7㎞です。

街道臭がプンプンする街並みになってきました。

柏原宿は江戸から数えて60番目の宿場町です。もぐさが特産で最盛期には10軒のもぐさ屋があったそう。
街道沿いには現役のお店もあります。

柏原宿歴史館の建物は染料で財を成した松浦久一郎邸を改築したものだそうです。

中山道を歩いていると旅籠屋の看板もところどころで見かけます。現役?

どんどん西へ西へと歩きます。

旧中山道はいったん終わって左側の名神高速と並行する国道21号線に出ました。

現代の旅籠屋?違うか。このあたりカップル向けの旅籠屋が3軒ありました。ロードサイドでいいんでしょうね。
醒井宿

退屈な21号は終わり、この先旧中山道復活です。

醒井(さめがい)宿にやってきました。


街道沿いにある加茂神社からは湧水がこんこんと湧いています。居醒の清水です。

湧水は地蔵川となって街道沿いに流れ下ります。

地蔵川は有名なバイカモ(梅花藻)の自生地です。

バイカモの花のシーズンはもう終わりと思っていましたが、少しですが小さな花をつけていました。水中で咲く花です。

地蔵川は絶滅危惧種のハリヨの棲息地でもあるそうです。


米原市醒井宿資料館は旧醒井郵便局局舎の建物を利用しています。

JR東海道本線の醒井駅です。東京・名古屋から見ると米原駅のひとつ手前の駅になります。関ケ原駅からは13.5㎞地点です。

前から登ってみたいと思っている霊仙山?

家から持ってきたおにぎり2つ食べましたが、まだ物足りないのでドラッグストアのゲンキーでパンを買いました。
番場宿

中山道一里塚の碑。

中山道番場宿に入ってきました。

問屋場の碑がいくつかありました。けっこう大きな宿場だったのでしょう。グーグルマップには載っていましたが、本陣跡は見つけることができませんでした。

鎌刃城跡の案内板があります。

京極氏と六角氏の攻防、織田信長と浅井長政の攻防の舞台となった国指定史跡の鎌刃城跡。写真右側の山の上にある山城です。続日本100名城に指定されています。

番場資料館(泉亮之記念館)で続100名城記念スタンプや御城印を手に入れることができるそうです。

まったく存在を知りませんでしたが、けっこう訪れる人も多そうです。しかし調べてみると道が険しくトレッキングシューズが望ましい、夏は虫よけ、ヒル対策、さらにはクマ対策も必要とありました。

関ケ原から20kmを越えだいぶ疲れてきましたが、名神高速横の道を進みます。

振り返ると伊吹山が小さくなっていました。だいぶ歩いて来たものです。

道行く先に野生サルの群れを発見!!幸い私が近づくと逃げて行きました。わりと警戒心の強い奴らです。

名神高速道路です。

摺針峠の碑です。ここで道を間違えたようで旧中山道から外れてしまいました。そこまで厳密に中山道を辿っているわけではないので問題はありません。

今日初めてのトンネルを抜けました。長さ200mほどのこね坂トンネルです。
鳥居本宿

また中山道に戻ってきました。鳥居本宿です。

江戸時代末期の建物そのままの、そば処百百百百(どどもも)さんです。

街道を歩いていると古い看板も多くて見ていて飽きないです。

江戸から63番目の鳥居本宿です。関ケ原駅から約23㎞、10時30分前に出発してから約5時間経過しています。

さらに歩くと小町塚がありました。全国各地にある小野小町のお墓でが、このあたりの地名は彦根市小野町。

新幹線沿いを歩きます。ここから旧中山道から外れ、帰るために駅を目指しますが、南彦根駅まで行くことにしました。
彦根の街

歩くこと1時間、JR東海道本線に沿う「おさつ街道」です。さつまいもの関係かと思っていましたが・・

おさつ街道の名前の由来の工場がありました。

国立印刷局彦根工場です。新札もここで作られているんですかね。工場見学も受け付けているようです。

関ケ原を出発して約7時間、午後5時15分に南彦根駅に到着しました。距離にして30㎞です。

次回はこの南彦根駅からスタートです。
今回はONのシューズで歩きましたが、舗装路30㎞のわりには疲れはさほどでもないかも。
水ぶくれやマメといった足のトラブルも無し。
日が暮れなければ40㎞くらいは歩けた気がしました。