
11月26日(水)
以前、このブログで、
『70歳から楽になる 幸福と自由が実る老い』(角川新書/2023 年3月刊)
という本のレビューを書いたとき、
著者のスマナサーラ長老の言葉を引用し、次のように述べた。
私は、人生の最後のほうは、公園で遊んでいるような気分で生活するのが一番いいと思っています。
公園は、市町村など公の機関が、税金を使ってきれいに整備してくれている場所であり、あなたの管轄ではありません。
その公園に行って、お弁当を食べたり、友だちとおしゃべりしたり、散歩したり、ベンチで昼寝したりして過ごし、好きな時間に帰ってこられます。
そのために、あなたがしなくてはならないのは、自分で出したゴミを持ち帰ることくらい。ほかのことは、全部、誰かがやってくれています。
もし、その公園があなたの持ち物だったら、どんなに大変でしょう。雑草は抜かなければならないわ、ベンチのメンテナンスもしなければならないわ、知らない人がどんどん入ってきて汚すわで、気持ちが休まることがないでしょう。
自分のものではない公園だからこそ、楽に使えるのです。
(中略)
考えてみれば、これまであなたが使ってきたものの多くは、あなたのものではなかったのです。出張で使った新幹線も、途中で食事したレストランも、あなたのものではありませんでした。
でも、それで便利に暮らせたでしょう。そして、新幹線もレストランも、あなたのものだったら最悪でしょう。
なににつけ自分で所有するのではなく、誰かが管理しているものを使わせていただくという生き方が楽なのですよ。(149~151頁)

この言葉にはとても共感し、頷きながら読んだ。
以前(コロナ禍の2021年03月10日)、私は、
このブログで同じような主旨のことを述べている。
数年前から「ひとりキャンプ」がブームになっており、
芸人のヒロシや、バイきんぐ西村などが、
〈誰にも邪魔されないソロキャンプをしたい!〉
と、山を買ったことから、
一般人でも「山を買う」人が増えているようだ。
なんでも所有したがる(いかにも)日本人らしい発想だが、
前期高齢者の私は、断捨離をすでに終えていることもあって、
所有物を増やすことに興味はない。
自分の本棚は、市立図書館にあると思っているし、
わが家のホームシアターは、映画館だし、
わが家のDVD陳列棚は、TSUTAYAにあると思っているし、
わが家のリビングは、県立美術館だし、
わが家の庭は、天山、作礼山、八幡岳、鬼ノ鼻山だと思っている。
考え方次第で、1円もかけずに、
(実際は所有していなくても)無限に近いものを所有することができるのだ。
なので、山なんか買う必要はまったくない。
こういう考えなので、
私は1円もかけずに無限のものを所有している。
私の書庫(図書館)には毎月新しい本が並ぶし、
私のホームシアター(映画館)では毎週新作が上映される。
私のDVD陳列棚(TSUTAYA)にも毎月新作が並ぶし、
わが家のリビング(県立美術館)では定期的に高額な絵画が掛け替えられ、
わが家の庭(天山、作礼山、八幡岳、鬼ノ鼻山)の整備も、
それぞれの地方自治体がやってくれている。
ということで、今日は、私の裏庭(鬼ノ鼻山・西渓公園)で、
紅葉を楽しみたいと思う。
いつものように“憩いの森”からとりつく。

“鬼の滑り台”の横を通って、

美しい黄葉の林を抜け、


ゆっくり登って行く。

サザンカの木のトンネルでは、

花が咲きはじめていた。

色づいた葉を楽しみながら登って行く。


“鬼の展望台”に到着。

鬼の目が光っていた。


一旦下って、登り返す。

鬼ノ鼻山山頂に到着。

しばらく歩いて、

“鬼のテラス”で、

こんな風景を見ながら休憩。

“みはらしの丘”の方へ下って行く。

“みはらしの丘”からの眺め。

サザンカ・ロードをしばらく歩く。

こちらでも花が咲き始めていた。

もう秋の花はもうほとんど残っていなかったが、
アキノキリンソウだけが小さな花を咲かせていた。


この後、“私の山歩道”で(鬼ノ鼻山の)紅葉を楽しむ。

鬼ノ鼻山にも紅葉を楽しめる場所があるのだ。

私以外、誰もいない。

すべて独り占め。

楽しい。

真っ赤な紅葉。


手の指先まで赤く染まっていくようだ。

鬼ノ鼻山の麓にある西渓公園へ。

こちらでも紅葉が楽しめる。

紅葉のピークは過ぎていたが、

人も少なく、

静かな紅葉狩りができた。

帰路、多久聖廟に立ち寄った。
どこかの保育園の園児たちが記念撮影をしていた。
なんか、ほっこりした気分になった。
今日も「一日の王」になれました~
