
図書館の新着図書コーナーに、
イ・ラン著『声を出して、呼びかけて、話せばいいの』(斎藤真理子・浜辺ふう訳、 2025年9月25日刊、河出書房新社)という本があった。
著者については知らなかったが、
タイトルに魅かれ、借りて読んだ。

目次には、
体が記憶している場面たち
母と娘たちの狂女の歴史
本でぶたれて育ち、本を書く
お姉ちゃんを探して――イ・スル(1983.11.03 ~2021.12.10)
三つの死と三つの愛
ダイヤモンドになってしまったお姉ちゃん
お姉ちゃんの長女病
ランは早死にしそう
私の愛と死の日記
すべての人生がドラァグだ
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などと、刺激的な言葉が並び、
キャッチコピーには、
「血縁という地獄をサバイブしてきた」
とあった。
【イ・ラン】
ミュージシャン、エッセイスト、作家、イラストレーター、映像作家。
1986年1月5日、ソウルの永登浦キリスト教産婦人科で生まれる。
2001年、京畿道安養女子高校へ入学。
2週間の登校後不登校になり、スリ高校へ転校。
転校初日に退学し、検定試験に合格後、家出。
翌年より雑誌でイラストや漫画の仕事を始める。
2006年、韓国芸術総合学校映画学科入学。
猫のジュンイチを迎え、ソウル石冠洞の屋上部屋で暮らし始める。
2009年、妊娠と中絶を経て、短編映画『変わらなくてはいけない』を制作。
2011年、シングル「よく知りもしないくせに」を発売。
2012年、初の日本ツアーを行い、アルバム「ヨンヨンスン」を発売。
2013年、ウェブドラマ『おなかのすいた女』制作。
漫画『イ・ラン4コママンガ』刊行。
2016年、アルバム「神様ごっこ」を発売。
韓国で最初のエッセイ集を刊行。
2017年、韓国大衆音楽賞最優秀フォークソング賞を受賞し、
授賞式のスピーチでトロフィーを競売にかける(50万ウォンで落札)。
2019年、ベルリン・東京・大阪・名古屋で公演。
2021年、子宮頸がん診断。アルバム「オオカミが現れた」発売。
2022年、韓国大衆音楽賞「今年のアルバム 最優秀フォークアルバム」賞、ソウル歌謡大賞「今年の発見賞」を受賞。
2023年、円錐角膜の手術。ソウルクィアパレード祝賀公演。ライブアルバム「PRIDE」発売。京都エクスペリメント「1から不思議を生きてみる」公演。台湾音楽賞GIMA 審査員を務める。
2024年12月、非常戒厳を宣言した尹錫悦大統領弾劾デモのステージで「オオカミが現れた」を演奏。
邦訳のある著書に、エッセイ集『悲しくてかっこいい人』『話し足りなかった日』、コミックエッセイ集『私が30代になった』、小説集『アヒル命名会議』、いがらしみきおとの往復書簡『何卒よろしくお願いいたします』、スリークとの往復書簡『カッコの多い手紙』がある。

お母さんは狂ってて、お父さんはサイテーで、
おばあちゃんは二人とも精神を病み、親戚はみんな詐欺師。
そんな家族のもと、幼い頃から泣くことも笑うこともできず、
いつも世界でひとりぼっちだった私が始めたのは、
感情に名前をつけること――。
冒頭の「体が記憶している場面たち」という章を読んでみる。
十代後半まで、緊張、興奮、罪悪感、恐怖、不安といった感情のほとんど全部を引っくるめて「おしっこしたくなるような気持ち」と表現していた。これらの感情をそれぞれ個別に呼ぶ訓練ができていなかった。(8頁)
四十代で体外受精によって二卵性双生児を出産した友達に会った。その友達は、自分の言語を作っている途中の小さな子供を教育する上で、「感情に名前をつけること」が特に難しいと言う。とりわけ、ネガティブと分類される感情を教えるときが難しいそうだ。
あなたが今感じているのは怒りだよ。
あなたが今感じているのはいらいらだよ。
あなたが今感じているのは嫉妬だよ。
あなたが今感じているのは憂鬱だよ。
あなたが今感じているのは恥ずかしさだよ。
あるものは、大人でありお母さんでもある自分にもどうすることもできない感情なので、それを感じている子供を見ると混乱してしまうそうだ。(11~12頁)
体の緊張度が高まるとよく感じた「おしっこがしたくなる気持ち」、
極限のストレス状況で現れた「心がふわーっと浮き上がるような気持ち」、
息をしても息が通らず、「詰まりすぎたタートルネックを着ているときみたいな気持ち」、
立っていられないほど「地面がぐらついているような気持ち」。
名前のわからないさまざまな感情の中で、私は自分だけの名前づけをコツコツと続けてきた。(12頁)
自分の感情に、もう決まっているシンプルな名前があるともっと早く知っていたら、いろんなことが違っていたのかな。みんな、この世のすべてに名前があることを知っているんだろうか。目に見えないものにも名前があることを知っているのかな。私は「自分だけの名前づけ」をしたから作家になれたのだろうか。この世のすべてに名前があることを知らなかったから、すべてに新しい名前をつけたがる今の私になったのだろうか。
もう作られた言葉をあれこれ組み合わせて、もともとあったものと新しく現れたもののすべてに名前をつける人として生きていきたい。(14~15頁)
冒頭の章からして、とても書き写せないような衝撃の内容で、
差し支えない箇所のみを抜き書きしてみたが、
「すべてに新しい名前をつけたがる」イ・ランの、
独自の言語感覚に魅せられた。
次の「母と娘たちの狂女の歴史」という章は、
本書の中核をなすもので、
この部分は「文藝」2022年春季号に掲載され、
大きな衝撃と反響を呼んだとのこと。
私とお姉ちゃん、そして弟。私たち三人は前から、「李氏一家は自分たちの代で断ち切ろう」と決意していた。子供を作らないという意味だ。私たちは、両親と祖父母と親戚たちが殴り合い、つかみ合うという地獄みたいな暴力的状況にずーっとさらされて育った家庭内暴力の被害者であり、サバイバーだ。お姉ちゃんは、私が家族だから愛しているのではなく、サバイバーの同志として愛しているんだそうだ。そんな私たちもさらなる被害サバイバーを生み出す可能性が完全にないわではないので、絶対に再生産(出産)をすず、地獄のような李氏一家の根を絶ってしまうつもりだ。(17頁)
母親の「狂女の人生」が語られた後、
イ・ランはこう結ぶ。
家父長制と男児選好思想に染まった大家族の家に生まれた母キム・ギョンヒョンの「狂女の人生」は、お母さんのせいではない。お母さんのせいではないが、お母さんを狂女になるように追い込んだ残酷なしがらみの中で、私もまた狂女に育った。それでも私は、自分の物語を世の中に示すことのできる狂女でよかった。だけど私だけではなく、お母さんの狂女の歴史もとても重要だから、広く世に知らせたい。(40~41頁)
弟には、身体(体が固まってしまう症状)と視覚に障害があり、
姉イ・スルは、2021年12月に自殺する。
2016年6月には、友人M(自殺)、
2020年7月には、友人D(病死)が亡くなり、
今年(2025年)2月には、18年間共に暮らした猫のジュンイチまでが逝った。
2021年8月には、自らも子宮頸がんと診断され、10月に手術を受けている。
2016年から突然始まったこの死の連続を、私はとうてい消化できなかった。罪悪感に苦しむのも無力感に悩むのも嫌だったから、体力も時間も捧げて一生けんめい助けた。それでも愛する人たちは死ぬ。愛する人が死につづけ、消えていくのだ。(76頁)
なぜ私の友達は私から去っていったのか。泣いて叫んで苦しんだ。泣きながら歌を作った。私の口から流れ出てくる歌の言葉を、泣きながら書き写した。泣きながら歌詞を直した。できあがった歌を世の中に差し出した。そうして薬を飲んで眠りについた。私の夢の中にはまだ35歳のMと、まだ34歳のDと、まだ38歳のお姉ちゃんが出てきた。お姉ちゃんの言葉も、Mの最後の言葉も、Dの最後の言葉(ではないけれど、闘病中によく言っていた言葉)も、全部「愛」だったことをふと思い出した。(78頁)
ここまで読んで、
シンガーソングライターとしてのイ・ランについて興味が出てきて、
〈どんな歌を歌っているのだろう……〉
と思い、歌っている映像を検索し、聴いてみた。
衝撃だった。
イ・ラン「世界中の人々が私を憎みはじめた」
インディーズのアーティストということもあって、
(私と同じく)イ・ランを知らない人も多いのではないだろうか?
死にたい時許せない時救われたい時、
愛する人に会えなくなった時、
私は死ぬまで何度もこの本を開くだろう。
――金原ひとみ

金原ひとみと同じく、
私もこれから幾度となくイ・ランの文章を読み、
イ・ランの音楽を聴くような気がする。
私にとって、今年(2025年)は、
イ・ランに出逢った年として記憶されるだろう。
イ・ラン「イムジン河」