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人生の一日(27) ……山の頂上には何があるの?……

 

今年(2025年)の8月に刊行された、

『作家と山』(平凡社)という本を読んでいる。

 

『作家とおしゃれ』『作家と珈琲』『作家と酒』など、

「作家と〇〇」シリーズの1冊で、

『作家と山』には、

山好きであった昔の文豪から当代一のベストセラー作家まで、

登山の楽しみを描いたエッセイ、詩などが収録されている。

山が好きな人なら、

目次を見ただけでも楽しさが伝わってくるのではないだろうか?

 

【目次】

なだれ(井伏鱒二

 

1 日本アルプス

槍ケ岳紀行(芥川龍之介

涸沢の岩小屋のある夜のこと(大島亮吉)

霊気(豊島与志雄

案内人風景(百瀬慎太郎)

三俣蓮華岳への思い(辻邦生

白馬連峰──山という別世界の花(池澤夏樹

奥穂と校了(若菜晃子)

南アルプス(吉田博)

駒鳥の谷(野尻抱影

真夏の急登(沢野ひとし

 

2 さまざまな山旅

雪中富士登山記(小島烏水)

「山上湖へ」より(若山牧水

霧ヶ峰から鷲ヶ峰へ(徳田秋声

八ガ岳に追いかえされる(梅崎春生

稜線を泳ぐ(南木佳士

十勝の朝(中谷宇吉郎

英彦山に登る(杉田久女)

阿蘇外輪(小杉放庵)

山小屋の一夜(畦地梅太郎

山と温泉(小林百合子)

『崩れ』より(幸田文

水源へ(安岡章太郎

尾ノ沼谷(志水哲也

最高の登山(石川直樹

ウェストンの初登攀をたどる(服部文祥

 

3 山へのあこがれ、山の愉しみ

筑波(岩本素白

富士山頂から東京を見る(新田次郎

漫談・火山を割く(牧野富太郎

雷鳥尾行記(田淵行男

山のコドモ(岡本かの子

低山登山は楽しい(安西水丸

クルコノシェ山地から(出久根育

コツコツ地道に(本上まなみ

 

4 山の哲学

山に登る(萩原朔太郎

凹面谷(串田孫一

霧とサルオガセ(北杜夫

初登山に寄す(今西錦司

山は如何に私に影響しつつあるか(田部重治

山の魅力(木暮理太郎)

登山家という言葉(深田久弥

登山趣味(正宗白鳥

「登山好き」が思うこと(湊かなえ

なぜ登るのか(小手鞠るい

山へ入る日・山を出る日(石川欣一

 

すでに読んだことがあるエッセイや詩もあれば、

〈この人も山登りが好きだったのか……〉

と驚くような人物のエッセイもあり、

楽しく読ませてもらっている。

全部を紹介するのは土台無理なので、

印象に残った1編だけを採り上げてみたい。

それは、小手鞠るいの「なぜ登るのか」というエッセイ。

小手鞠るいという名前は知ってはいたものの、

どんな作家なのか知らなかったので、調べてみた。

 

小手鞠るい】(こでまり・るい)

小説家、詩人、児童文学作家。

1956年3月17日、岡山県生まれ。69歳。(2025年10月現在)

同志社大学法学部卒業。

1981年、「詩とメルヘン」賞受賞。

1982年、詩集『愛する人にうたいたい』(川滝かおり名義)で、詩人として出発。

1993年、「海燕」新人文学賞受賞。

1995年、『玉手箱』で、小説家として再出発。

2005年、『欲しいのは、あなただけ』(新潮社)で島清恋愛文学賞受賞。

『エンキョリレンアイ』シリーズ三部作、『愛を海に還して』『空と海のであう場所』『別れのあと』『ロング・ウェイ』などの恋愛小説作品で人気を博する。

2009年、絵本『ルウとリンデン 旅とおるすばん』がボローニャ国際児童図書賞を受賞。

2012年、『心の森』が第五十八回全国青少年読書感想文コンクール小学校高学年課題図書に選定される。

その他の児童書に『きみの声を聞かせて』『いつも心の中に』『あんずの木の下で』『お手紙ありがとう』『くろくまレストランのひみつ』『ねこの町のリリアのパン』など多数。

1992年にアメリカに移住。ニューヨーク州在住。

 

若い作家だと思っていたが、

1956年3月17日生まれなので、

学年でいうと、私の一つ下の学年ということになり、

私とほぼ同世代と言える。

 

「なぜ登るのか」というエッセイの中から、一部を引用する。

アメリカ在住の作家なので、舞台はアメリカのどこかの山であろう)

 

いつの年だったか、どこかの登山路で、父親と息子の二人連れとすれ違ったときのこと。私は夫と下山中で、彼らは登山中だった。

十歳くらいの息子はすでにくたびれ果てていて、苦しそうな息を吐きながら、父親にたずねた。

「ねえ、お父さん、山の頂上には何があるの?」

こんな苦しい思いをして登るからには、頂上には、なんらかのご褒美がまっていてほしい。そんな気持ちが透けて見えた。

こういうとき、アメリカの父親は息子に、なんと答えるのだろうか。うちの夫なら「おいしい弁当が待っている」と答えるだろう。

私は興味を持って、ふたりの会話に耳を澄ました。父親は言った。

「頂上には何もない」

「ええっ!」

私も息子と同じことを思った。ええっ! 何もないの?

そのあとに父親がつづけた言葉は、まさしく名言だった。

「そこにはただ、到達したという満足感だけがある」

それ以来、私はふとしたとき、この名言をつぶやいていることがある。

この仕事を終えたら、そこには何があるの? 何もない。ただやり終えたという満足感だけがある。この人生を生き終えたら、そこには何があるの? 何もない。ただ生きたという満足感だけがある。(277~278頁)

 

私たちは、知らず知らずのうちに、山登りに有用性を見出そうとしている。

山頂からの眺めが良いとか、

珍しい花がたくさん咲いているとか、

健康に良いとか、

ストレス解消になるとか、

山頂で食べる弁当は美味しいとか、

それら利点を誰もがSNSで発信し、

自分はこんなに山を楽しんでいるのだとアピールする。

それを読んだり見たりした人々が、

同じ体験をするべく山へ向かい、SNSでまた同じような発信をする。

この繰り返し。

私はこれまでそんな繰り返しを何度も見てきたので、

 

「頂上には何もない」

「そこにはただ、到達したという満足感だけがある」

 

というシンプルな言葉が、新鮮であったし、心に響いた。

たぶん、頂上に至る道が登山者にとって困難であればあるほど、

満足感は大きくなるのだろう。

そして、小手鞠るいは、

「この人生を生き終えたら、そこには何があるの?」

と、自分に問い、

「何もない。ただ生きたという満足感だけがある」

と、自身にとっての答えを導き出す。

 

この人生を生き終えたら、そこには何があるの? 何もない。ただ生きたという満足感だけがある。

 

けだし名言。

登山にも、人生にも、

人々は「意義」や「意味」や「価値」などを見出そうとする。

だが、登山も、人生も、

そんな難しいもの、ややこしいものではなく、

(ましてや他人に有意義性をアピールしたりするものでもなく)

ただその人のみが感じることができる、

「到達したという満足感」だけがあればいいではなかろうか?

そう考えることができれば、

人生はもっと楽に生きられるような気がするのだが……

 




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