
山に登る
旅よりある女に贈る
山の山頂にきれいな草むらがある、
その上でわたしたちは寢ころんでゐた。
眼をあげてとほい麓の方を眺めると、
いちめんにひろびろとした海の景色のやうにおもはれた。
空には風がながれてゐる、
おれは小石をひろつて口にあてながら、
どこといふあてもなしに、
ぼうぼうとした山の頂上をあるいてゐた。
おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。

山頂が狭い山、
山頂が樹木に囲まれていて展望がない山、
山頂に岩や石がゴロゴロある山などはすぐに思い浮かぶが、
山頂にきれいな草むらがある山は意外に少ない。
だが、私には「天山」がある。
萩原朔太郎の「山に登る」を読むと、
私は「天山」の山頂から稜線へと広がる草原を思い出す。

2行目に、「わたしたちは寢ころんでゐた。」とあるように、
最初は「わたしたち」なのに、
6行目では「おれは小石をひろつて口にあてながら、」となり、
最後の行も、「おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。」
と、「おれ」になっている。
おそらく、
かつて、山頂の草むらに寝転んだことのある「わたしたち」を、
今、ひとりで山頂を歩いている「おれ」が思い出しているのだ。
副題が「旅よりある女に贈る」となっているので、調べてみると、
「ある女」とは、萩原朔太郎の妹・ワカの友達で、
朔太郎の初恋の人・馬場ナカ(仲子)という女性とのこと。
それにしても、
「おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。」とは、
なんとも(恥ずかしくなるほど)真っ直ぐな愛の告白であることか。
仲子は20歳で高崎の医師・佐藤家へと嫁いでいる。
その後、朔太郎は留年退学劇の末に前橋に戻るのだが、
ここで人妻となっていた初恋の人と再会する。
彼女は二児の母となっており、
高崎の柳川町のハリスト正教会洗礼を受けてクリスチャンになっていた。
洗礼名は「エレナ」。(この詩の草稿では「E女に」となっている)
朔太郎は彼女と手紙のやり取りをしたり、
演奏会に招待したりしていているが、
ほどなく彼女は結核を患い、鎌倉や湘南での療養を余儀なくされ、
大正6年(1917年)5月、鎌倉で亡くなっている。享年28歳。
萩原朔太郎の「山に登る」は、
詩集『月に吠える』に収録されているのだが、

『月に吠える』が刊行されたのが、大正6年(1917年)2月なので、
佐藤(馬場)ナカが亡くなる3ヶ月前ということになる。
17歳の頃に馬場ナカと出逢い、
彼女が結婚した後も、亡くなった後も、
萩原朔太郎はずっと彼女を思い続けていたのだ。

おれはいまでも、お前のことを思つてゐるのだ。
とは、ある意味、凄まじい言葉だ。
