
一人読書会『アンナ・カレーニナ』の9回目は、
第2巻の、
第3部の24章~32章を読んでみたいと思う。
24章

リョーヴィンが干草の堆(やま)の上ですごした一夜は、それなりの結果をもたらした。彼は自分が行なっている農業経営にうんざりして、まったく興味を失ってしまったのだ。収穫自体は申し分なかったが、この年ほど自分と百姓たちとの間に不和軋轢が生じた年はなかった。これまで行ってきた経営に自分で興味を失ったばかりか、それが嫌でたまらなくなってしまい、これ以上続けることができなくなったのだ。それに加えて、ここから30キロのところにキティがいるという事情があった。ドリー夫人は、かつて彼が訪れたとき、妹に会いにくるように誘ったものだった。訪ねてきてもう一度プロポーズすれば、今度こそ妹は受け入れるだろうとほのめかしたのだった。リョーヴィン自身もキティを見かけた際には、今でも自分が彼女を愛し続けていることを理解した。だが、いったん自分がプロポーズをして相手がそれを断ったという事実が、二人の間に越えがたい障壁を築いてしまったのだ。ドリーは彼に手紙をよこして、キティのための女物の鞍を拝借したいと言ってきた。「できましたら、どうかご自身でお届けくださるよう」と。リョーヴィンは返事なしで鞍を送ったのだが、何か恥ずかしいことをしてしまったという疚しさから、翌日、遠くの郡に住む友人のスヴィヤシュスキーのところへ出かけていった。
25章

スーロフ郡へは鉄道も駅馬車も通っていなかったので、リョーヴィンは自前の旅行馬車で出かけた。道のりの半分ほど来たところで、彼は馬に餌をやるために一軒の裕福そうな農家に立ち寄った。髭を生やした禿頭の老人が門を開け、トロイカを中に通してくれた。真新しい玄関では、こざっぱりとした身なりの若く美しい女が、素足にオーバーシューズを履いた格好で、身をかがめて床を磨いていた。「サモワール(ロシアなどのスラブ諸国、イラン、トルコで古くから使われてきた、お湯を沸かすための金属製の伝統的な器具)を点(た)てましょうか?」女がたずねた。「ええ、お願いします」茶を飲みながらリョーヴィンは、老人の家の経営について一部始終を聞き出した。老人は農業がうまくいかないとこぼしたが、ただ礼儀上こぼして見せているだけで、仕事は大いにうまくいっているようだった。泣き言を言ってみせながらも老人は、明らかに自分の裕福な暮らしに誇りを持ち、息子たちを、甥っ子を、嫁たちを、馬や牛を誇りに思っていた。リョーヴィンがこの農家から受けた豊かさの印象には、おそらくオーバーシューズの女のきれいな顔が強く作用していたかもしれないが、ともあれその印象はあまりにも強烈で、リョーヴィンはなかなかそれを振り捨てることができなかった。
26章

スヴィヤシュスキーはこの郡の貴族団長であった。リョーヴィンよりも5歳年上で、とっくに結婚している。家にはまだ若い妻の妹がいたが、それはリョーヴィンからみてもとても感じの良い娘だった。リョーヴィンはスヴィヤシュスキー夫妻がその娘を自分に嫁がせたいろ切望しているのを知っていた。彼はそうした思惑を意識していたが、そのことについては固く口をつぐんで、誰にも語ろうとはしなかった。おまけに彼は、自分が結婚を望んでいるにもかかわらず、自分がその女性と結婚する確率は(仮にキティを愛していなかったとしても)、空を飛べる確率よりも低いだろうと見込んでいたのだった。なので、スヴィヤシュスキーから猟の誘いを受けた際にも、リョーヴィンはとっさにこの結婚話を警戒したのだが、「それは根拠のない思い過ごしだ」とあえて断じたうえで、結局は出かけてきたのだった。自分の農業経営に失望したいま、リョーヴィンはスヴィヤシュスキーを訪問するのが格別嬉しかった。自分の人生にこれほどの不満を持つ彼としては、何とかスヴィヤシュスキーが明るく、はっきりとした、陽気な人生を歩んでいる秘訣に迫ってみたかったのだ。その晩のお茶の時間、何かの後見に関する用件でたずねてきた二人の地主を交えた席で、まさにリョーヴィンが期待していた通りの興味深い会話が始まった。
27章

灰色ひげの地主は明らかに根っからの農奴制支持者で、古くから村に住み着いている篤農家(農業に熱心で、研究や奨励に励む人)で、「農奴解放がロシアを滅ぼしたのですよ!」と主張した。スヴィヤシュスキーはかすかに馬鹿にしたようなしぐさをみせたが、リョーヴィンはきわめて説得力のあるものに聞こえたし、新鮮で、反論しがたい説と思えた。地主を相手に話を続けたリョーヴィンは、すべての困難の源は自分たちがわが国の勤労者階級の特徴や習慣を知ろうとしない点にある、ということを論証しようとした。だが、地主は、我流の孤独な思索家がみなそうであるように、他人の考えを理解するのが下手で、自分の考えばかりに固執していた。だからいつまでも言い募るのだった̶̶ロシアの百姓は豚同然で、下品な振舞いばかりしている。それをやめさせるには権力が必要なのに、権力は存在しない、と。
28章

その晩、女性たちと過ごすのが、リョーヴィンには耐え難いほどに退屈だった。自分が現在農業経営に持っている不満感が、自分だけの例外的なものではなく、ロシアが陥っている一般的な状況に起因するものであり、ここへ来る途中で立ち寄った老人のところのような労働環境をいたるところに作ることが、けっして夢ではなくて解決すべき課題なのだという思いが、いつになく彼を興奮させていたのである。そして、この考えを実行に移すための手順をあれこれ思い巡らすうちに、一夜の半分を眠らずに過ごしたのだった。翌日はまだここに滞在するつもりでいたのだったが、いまや早朝に帰宅する決意を固めていた。おまけにあの広い襟ぐりのドレスを着た夫人の妹のことが、彼のうちに何かすっかり悪い行いをしてしまった後の恥や悔いに似た気持ちを生んでいたのだ。もう一つ、一刻も早く帰らねばならぬ大事な理由があった。麦の秋蒔きが始まる前に百姓たちに新しい計画を提案して、新しい方式のもとで秋蒔きがおこなわれるように計らいたかった。彼は従来の経営を一変させる決意をしたのだった。
29章

計画を実行するためには多くの困難が待ち受けていた。しかしリョーヴィンは力を尽くしてがんばり、期待通りとはいかぬまでも、可能な限りの成果を上げていった。そして嘘でなく、これがやりがいのある事業だということを信じきれるようになったのである。農民の側の根強い不信感や、効果の明らかな改良農具を使いたがらないなど、様々な障害はあったが、リョーヴィンは自分の意志を貫き、秋口には新しい事業が開始された。この事業と、自分の手に残ったその他の経営、および本を書くという書斎仕事でひと夏忙しかったので、リョーヴィンはほとんど猟に出かける暇もなかった。そして8月の末には、オブロンスキー家の人々がモスクワに帰ったということを知った。ドリーの手紙にも返事を出さないという、今でも思い出すだけで赤面するほどの無礼なまねをしてしまったからには、自分はいわばすでに船を焼いてしまった身であり、二度と彼女たちの家を訪問することはできないだろう̶̶彼はそう思った。いったん事業に取り掛かると、彼は自分のテーマにかかわりのある文献に誠実に目を通し、さらに問題を現場で学ぶために、秋になったら外国へ行こうと決意した。
30章

経営は実際面では順調に進んでいた。少なくともリョーヴィンにはそう思えた。あとはただ、すべての問題を理論的に解明して、書きかけの著作を完成させるために、外国へ行って現地でこの方面の実情をつぶさに観察し、そこで行われてきたことがすべて不要なことだったという確証をつかみさえすればよかった。食事をすませたリョーヴィンは、しばらく執筆を続けた後で、ふと異様なほど生々しくキティのことを、彼女に拒絶されたことを、そして彼女との最後の出会いのことを思い出した。「何もふさぎこんでいることはないでしょうに」アガーフィアが言った。「どうしてまあ、そんな風に閉じこもっていらっしゃるんです? 温泉にでもお出かけになればいいでしょう。ちょうどいい頃合いじゃありませんか」「ああ、言われなくっても明後日には出かけるつもりなんだよ、アガーフィア。だからそれまでに仕事にけりをつけておかないとね」「まあ、お仕事だなんて! ただでさえ旦那さまは、百姓たちに目をかけすぎですよ!」「自分のためにやっているのさ」「でも、ご主人さまがいくらがんばっても、相手が怠け者だったら、全部骨折り損のくたびれもうけですわ」「しかし、おまえも言っていたじゃないか。イワンは家畜の世話もよくするようになったって」「わたしが申し上げたいことはただ一つ。旦那さまは奥さまをもらう必要がある。ただそれだけですよ!」アガーフィアにったいま自分が考えていたことを言われたので、彼は忌々しいやら腹立たしい気持ちになった。9時になると、馬車の車体の鈍い軋みが聞こえてきた。「ほうら、お客さまがいらした。これで退屈なさらずにすみますわ」リョーヴィンはもう仕事にも身が入らなくなっていたので、どんな客でも歓迎だった。
31章

客はリョーヴィンの兄のニコライであった。リョーヴィンはこの兄が好きだったが、兄と一緒にいることは常に苦痛の種だった。ニコライは以前から恐ろしいほどやつれ、憔悴していたものだが、それがいまや一段と痩せ細り、病み衰えていたのだ。その姿はまるで、骸骨に皮をかぶせたようであった。何日か前、リョーヴィンは兄で手紙を書いて、この家の敷地で兄と共有になっていた小さな区画を売ったので、兄の取り分が2000ルーブリほどあると知らせてやったのだった。兄のニコライの話では、今度やってきたのはその金を受け取るためだが、同時に、もっと大事なことに、自分の古巣にしばらく滞在して、ちょうど戦いの前の勇士がするように、大地に触れて今後の活動のための力を蓄えるためでもあるという。家の中は湿気がつよく、暖房が効いている部屋は一つしかなかったので、リョーヴィンは自分の寝室に仕切りをして、その向こうに兄を寝かせることにした。リョーヴィンは兄の気配に耳を澄ませて、長いこと寝付けなかった。彼の思いは千々に乱れたが、行き着く先は常に一つ̶̶死であった。何物も避けることのできぬ終着点である死というものが、初めて打ち消しがたい力を持って目の前に立ち現れた。死は彼の中にもいたのだ。たとえ今日でないとしても明日、明日でないとしても30年後̶̶それは結局は同じことではないだろうか? つまり死がやってくれば、すべてが終わってしまう。だから何ひとつはじめる価値はないし、しかもそれはどうしようもないことなのだ。「ああ、兄さんは死にかけている。春までに死ぬだろう。それで、どうしたら助けてやれる? おれは兄さんになんと言ってやることができるだろう? この問題について、おれが何を知っているというんだ? おれは死の問題が存在するということさえ忘れていたのだ」。
32章

兄の猫かぶりは長くは続かなかった。翌朝にはもう、兄は苛々しはじめて、なんとか弟に難癖をつけてやろうと、いちばん痛いところを狙って突いてくるようになった。3日目、ニコライ兄は弟を呼びつけてもう一度農業改革の計画をしゃべらせたうえで、それを非難したばかりか、わざと弟の考えを共産主義と混同してみせたりした。「お前には信念なんかあったためしがないし、いまもありゃしない。ただ自尊心を慰めたいだけさ」「ふん、上等じゃないか、どうか放っておいてくれ!」「ああ、放っておくさ! とっくにそうすべきだったんだ。勝手にしろ! そもそもこんなところに来たのが間違いだったんだ!」リョーヴィンは兄がもはや生きていくのがつらくなったのだと察した。兄がもう発とうとしているとき、リョーヴィンはもう一度彼のところへ行って、もしも何かで侮辱したのなら許してほしいと、ぎこちなく詫びを述べた。本当の出発のとき、兄は弟にキスをすると、ふと妙に真剣な目つきで見つめてきた。「でも悪く思わないでくれよ、コースチャー」そう言う兄の声は震えていた。それは兄の発した唯一心のこもった言葉だった。兄の出立から3日目に、リョーヴィンも外国へ発った。
第2巻の、第3部の24章~32章を読んだのだが、
ここはリョーヴィンのパートと呼ぶべき部分で、
アンナもヴロンスキーもカレーニンもキティも登場しない。
この一人読書会『アンナ・カレーニナ』の5回目で、
第2部の12章~24章を読んだとき、
私は次のように記している。
アンナとヴロンスキーのパートと、
リョーヴィンとキティのパートがあるとすれば、
アンナとヴロンスキーのパートが「表」で、
リョーヴィンとキティのパートが「裏」という印象をもたれやすい。
とりわけ、リョーヴィンの田舎暮らしを描いた箇所は、
地味だし、変化に乏しく、農業問題の話なども出てきて、
「面白くない」という意見も多いそうだ。
事実、この作品をロシア文学の白眉とみなしているウラジーミル・ナボコフでさえ、
リョーヴィンが農業経営をめぐって展開する議論は外国の読者や後世の読者には現実感がなく、この問題に多くの紙幅を割いたのは芸術的見地から見れば誤りだったと指摘している(『ロシア文学講義』)。
だが、私は、このリョーヴィンの田舎暮らしを描いた箇所は嫌いではない。
農業問題の話は少々退屈だが、
労働を通じた農民との共同生活や自然との交わりには深く感動する。
だが、今回読んだ部分は、正直、少々退屈だった。
ウラジーミル・ナボコフの言う、
「リョーヴィンが農業経営をめぐって展開する議論は外国の読者や後世の読者には現実感がなく、この問題に多くの紙幅を割いたのは芸術的見地から見れば誤りだった」
との指摘は、あながち間違っていないように感じた。
今回は、議論が多く、自然描写も少なく、読んでいてあまり楽しくなかった。
ただ、リョーヴィンの行動の根幹を成している地主貴族のこだわりや世界観を無視してしまえば、この作品の(魅力の)半分が失われてしまうのも確かで、悩ましいところでもある。
「トルストイ主義は十九世紀後半のロシア社会が直面した諸矛盾の表現そのものであるというレーニンの評言が想起されますが、リョーヴィンを小説の動力としているのは、まさに簡単に一定のイデオロギーに回収できない、矛盾を含んだ思考と情動の主体としてのあり方でしょう。語り手は、空の雲のように絶え間なく変化するこの人物の思考の過程を、感覚体験や気分のあり方と結びつけながら、あたかも自然現象を描くように記述しています」
と訳者の望月哲男は語るが、自分の感覚と論理を指針として生きようとするリョーヴィンは、結果的にアンナに匹敵する存在感を示し、この物語を動かしていく。
次の第4部で、いよいよ、リョーヴィンとキティの関係が進展するようなので、
楽しみでならない。
日をあけずに、すぐに読書に取り掛かりたい。

