
阿川佐和子さんの新刊
『だいたいしあわせ』(晶文社、2025年5月25日刊)
を読んだ。

地方紙に連載されたエッセイで、(連載は継続中とか)
1話4頁ほどの短いエッセイが56話収められている。

「まあ、だいたいこんなもんかな……」というように、
「だいたい」をモットーに生きてきたという阿川佐和子さんが、
わたしの人生は「だいたいしあわせ」だったと、
様々なエピソードを紹介しながら述懐する。

本書の最後の方に、
「初めてのお年寄り」というタイトルのエッセイがあり、
これが特に面白かった。(というか身につまされた)
テレビ番組で歌手の瀬川瑛子さんにお会いした。私より少し歳上の瀬川さんに、
「お身体はどこも悪くないですか?」
うかがうと
「悪いところが佃煮みたいにたくさんある」
そうおっしゃって、
「お尻のあたりが猛烈に痛くなって。でも私、歳を取るの初めてだったから、原因がわからなくてすごく悩んだんです」
結果、その痛みは坐骨神経痛だとわかったそうだが、「歳を取るの初めてだった」という台詞に私は胸を打たれた。
誰でも歳を取るのは初めてだろう。でも、そうとらえる瀬川さんの発想が素晴らしい。
歳を取ったからといって、なんでも熟知しているわけではない。初めてのことはたくさんある。(216~217頁)
そうなのだ。我々高齢者は、
「歳を取ったからといって、なんでも熟知しているわけではない」し、
「老い」の日々は、毎日が“初経験”の連続で、
「老い」に驚かされることはあっても、
慣らされることは一切ないのである。
先日、地下鉄に乗って優先席の前に立ったら、即座に「どうぞ」と若い男性が立ちあがって席を譲ってくださった。年寄りだと見破られた空しさがないわけではないけれど、やっぱり嬉しかった。腰が痛かったから本当に助かった。もはや優先席には堂々と座ることのできる年齢になったのだ。(218頁)
1953年生まれの阿川佐和子さんは、
1954年生まれの私より1歳年上だ。

年齢よりも若く見える阿川佐和子さんでさえ、
もう席を譲られたというのだ。
「年寄りだと見破られた空しさがないわけではないけれど」
と書いてはいるが、
「腰が痛かったから本当に助かった」
と素直な気持ちも書いている。
こういう文章を読むと、阿川さんとほぼ同じ年齢の私も、
席を譲られても不思議ではないということだ。
幸いなことに、私は公共交通機関を利用することがほとんどない為、
これまで席を譲られた経験はない。
だが、私にも、今年(2025年)の春、
個人的に(少し)ショックな出来事があった。
近くの里山で登山をしたとき、
登山口に朝の6:00頃に着いた。
早朝なので、普通は誰もいない筈なのだが、
その時は1台の車が駐まっていて、
若い男性が一人、出発準備をしていた。
私の方が早く準備を終えたので、
登山口に咲いていたミツバツツジの写真を撮ってから出発した。

翌日、その山についての山岳系SNSを見ると、
その若い男性が投稿したと思われるレポを発見した。
その冒頭に、ミツバツツジの写真と共に、
次のようなキャプションが添えられていた。
おじいちゃんが写真撮ってたから僕もパシャ

この「おじいちゃん」とは(間違いなく)私のことである。
孫たちから「ジイジ」と言われるのは嬉しいのに、
他人から「おじいちゃん」と言われるのは、なんだか悔しい。
「年寄りだと見破られた」という悔しさ。(笑)
配偶者に見せると、
「“おじいちゃん“だなんて、なんだかカワイイじゃない。“おじいさん”よりイイわよ」
と、笑いながらのたまう。
娘たちや孫たちにも見せると、大笑いしていた。
阿川さんが言うように、私も、
「年寄りだと見破られた空しさがないわけではないけれど、もはや優先席には堂々と座ることのできる年齢になったのだ」。
そう考えると、なんだか嬉しい。(コラコラ)
公共交通機関を利用する日が楽しみになってきた。