
『カラマーゾフの兄弟』読了計画の第28回は、
第4部、第12編「誤審」の、

第10節「弁護人の弁論。両刃の剣」
第11節「金はなかった。強奪はなかった」
第12節「それに殺害もなかった」
第13節「思想と密通する男」
第14節「お百姓たちが意地を通しました」
を読みたいと思う。

第4部、第12編、第10節「弁護人の弁論。両刃の剣」

【要約】
有名な弁護人フェチュコーヴィチは、きわめてストレートに、わかりやすく、自信にみちた口調で話しはじめたが、尊大な感じはみじんもなく、たがいに気心の知れた内輪の集まりで話しはじめた人のようだった。弁護人は、「陪審員のみなさん、わたしはこの町にはじめてやって参りました。ですからいずれの印象も、先入観にもとづくものではありません」と、自分には先入観がないことを強調した後、「被告は乱暴で、まったく始末に負えない人物ですが、それでも彼は、当地の社交界に受け入れられていました。才能豊かな検事のご自宅でさえ、ひいきにされていたくらいです。(検事は不本意ながら自宅にミーチャを出入りさせていた)」と、論敵の検事イッポリートを皮肉った後、彼には「誤った先入観」があると論を展開する。そして、イッポリートが心理分析の名手であることを認めた上で、心理学は“両刃の剣”であり、心理学には「壮大な小説でも書いてみたいと思わせてしまう」ところがあり、心理分析に頼り過ぎると判断を誤ると訴える。
第4部、第12編、第11節「金はなかった。強奪はなかった」

【要約】
弁護人フェチュコーヴィチの弁論のなかで、一同のどぎもをぬいた点がひとつあり、それは例の3000ルーブルの存在がまったく否定され、強奪もありえないとされたことである。「よく考えてみてください。第一に3000ルーブルがあったことを、わたしたちはどのように知ったのでしょう。だれがそれを見たというのでしょう? 金を見たことがあり、それが宛名の書かれた封筒に入っていたことを指摘したのは、使用人のスメルジャコフただひとりです。彼は件(くだん)の情報を、あの悲劇的な事件が起こる前に、被告とその弟のイワン・カラマーゾフさんに教えました。さらにこのことは、スヴェトロワ嬢も知らされました。ところが、この三人のいずれも、自分でその金を目にしているわけではありません。見たのはまたしても、スメルジャコフだけなのです」。スメルジャコフの言葉によると、金は寝具(敷布団)の下にあったとされるが、被告はそれを引っぱりだした筈なのに、寝具が少しも乱れていなかった。検事は、床に落ちていた封筒が被告を強奪容疑で訴えられる唯一の切り札としているが、スメルジャコフがこの封筒を見たのは事件の2日前で、その後ヒョードルが開封して金を抜き出し、封筒を自分でぽいと床に投げ捨てた可能性もある。「こういう仮説が成り立つとしたら、検事があんなに決めつけるような調子で被告を糾弾することができるのでしょうか? こんなふうにして、わたしたちは、いつのまにか小説の領域に足を踏み入れているのです」と、フェチュコーヴィチは、検事の論告は彼が勝手に創りあげた小説だとして批判する。そして、「陪審員のみなさん、心理学は両刃の剣なんですよ。ですから、ここはもう一方の刃で切らせていただきます。はたして同じ結論が出るのかどうか、試してみようじゃありませんか」と言って、検事の論告の一つ一つを検証し、論破していく。「彼はそもそも、殺しているのでしょうか、殺していないのでしょうか。強奪容疑を。わたしは憤りを込めて否認します。盗まれたものが正しく特定できない以上、盗みの容疑はかけようがありません、これはあたりまえの理屈です! しかしそれでは、彼は殺しているのでしょうか、たとえ盗んでいなくても、殺しはしたのでしょうか? これは立証されているのでしょうか。しかし、これまたフィクションではないのでしょうか?」。
第4部、第12編、第12節「それに殺害もなかった」

【要約】
「失礼ですが、陪審員のみなさん、ここには一人の人間の一生がかかっているのですから、もっと慎重にいかなくてはなりません。わたしたちは、検事自身がこう明言するのを聞きました。つまり、彼は最後まで、今日の公判のこの日まで、被告をまぎれもない完全な計画的殺人の罪で起訴することを躊躇していた、と申されたのです。あの破滅的な『酔っ払った』手紙が、今日、法廷に提出されるそのときまで躊躇していた、申されたのです。『書面どおりに実行された!』と検事は言っておられます。しかし、またしてもくり返しになりますが、被告が駆けつけたのは、彼女のため、つまり、ただ彼女の居場所を突きとめたいという、それだけの目的でした。これは動かしがたい事実です」。弁護人はそう語った後、被告の性格を事実に基づいてあぶりだし、検事が創作したような野蛮で冷酷な人間ではないと訴える。そして、「彼でなければ、誰が殺したのか? 居合わせたのは5人です。そのうちの3人がシロであることには、わたしも同意いたします。被害者本人と、グリゴーリー老人と、その妻です。となると、残るのは被告とスメルジャコフです」と続けた。検事はまったくの先入観でもってスメルジャコフをあらゆる嫌疑から除外したが、スメルジャコフの自殺、スメルジャコフの告白を聞いたイワンの証言、弁護人がスメルジャコフに実際に会ったときの印象などから、スメルジャコフが(検事が言うほど)弱い人間ではなく、素朴なところなどまったくなく、子どもっぽさの下に隠されたおそろしい猜疑心と、きわめて多くを見抜くことのできる知力を持っており、徹底的に腹黒い、限りなく野心的な、復讐心の強い、邪悪といえるほどの嫉妬心を秘めた男であると語った。「この自殺者には悔いる気持ちなどあるはずもなく、あったのは絶望だけです。自殺した彼は、一生を通じてうらやんできた人々への憎しみを、何倍にもふくらませていたかもしれないのです。陪審員のみなさん、どうか誤審に気をつけてください! わたしがいまお話しし、描写してきたことのどこが、真実らしさを欠いているでしょうか、わたしの話の誤りを探しだしてください。ありえないこと、筋のとおらないところを探してください! しかし、わたしの仮定のなかに、もし可能性の影が、真実らしさのヒントがかすかにでも見つけられるなら、どうか有罪判決を思いとどまっていただきたい」と訴えた。
第4部、第12編、第13節「思想と密通する男」

【要約】
「陪審員のみなさん、父親とは何でしょう、真の父親とは何でしょう、なんという偉大な言葉、父親というこの名称のなかに、何とおそろしくも偉大な思想がふくまれていることでしょう! わたしはたったいま、真の父親とは何か、どうあるべきかを、わずかですが、その一端を示しました。ところが本件においては、現にわたしたち全員がかかわりを持ち、胸を痛めているこの事件においては、父親である故ヒョードル・カラマーゾフは、今わたしたちの心に描かれている父親の観念にまるではてはまらないのです。これは不幸です」。弁護人はこう言って、「この不幸を検証してみようではありませんか」と続けた。そして、「わたしの依頼人(ミーチャ)が父親の家に戻ってきたとき、彼を迎えたものとはいったい何だったのでしょう」と問いかけた。「彼を迎えたものといえば、シニカルなあざけりと猜疑心、そして金銭上のいさかいにからむあさましい小細工だけだったのです。そしてついには、実の息子のお金をだしにして、その恋人まで奪おうという父の姿を目にするのです……そう、陪審員のみなさん、なんとけがらわしい、なんとひどい話でしょう! しかもこの老人は、みんなに息子の無礼さや残酷さをこぼしてまわったのです。世間でのわが子の評判に泥を塗り、傷をつけ、中傷し、息子を牢屋にぶちこむために借用証書まで買いあつめたのです!」と訴えた。弁護人フェチュコーヴィチは、本当の父親とは何か、正常な家庭とは何かという答えを導き出し、熱狂的ともいえるような大拍手に包まれる。そして最後に、陪審員にこう呼びかけた。「あなたがたの手に、わたしの依頼人の運命がにぎられております。そして、わたしたちのロシアにおける真実の運命も、あなかたがたの手ににぎられているのです。あなたがたは、その真実の運命を救い、それを守ってくださるでしょう。そして、証明してくださるでしょう。真実にはそれを守る人がいることを、そして真実をにぎるのは、すばらしい人々の手だということを!」。
第4部、第12編、第14節「お百姓たちが意地を通しました」

【要約】
フェチュコーヴィチの弁論が終わると、わきおこった傍聴席の興奮は嵐のように抑えようがなかった。ご婦人がたは泣いていた、男性の多くも泣いていた。二人の高官さえ涙を流していた。イッポリートが立ち上がり反論を試みたが、あまり効果が無かった。イッポリートは(町のご婦人がたによると)「永久につぶされて」しまった。被告自身にも発言が許された。ミーチャは立ち上がり、弱々しい声で、おだやかに話し出した。「陪審員のみなさん、裁かれるときがきました。神にざんげするような気持ちで、ぼくはあなたたちに言いたい。『父の血にかんしては……そう、ぼくは無実です』。最後に、もういちどこの言葉をくりかえします。『ぼくは殺していません!』」。そのあと法廷は、陪審員への質問事項の準備にかかり、原告と被告の双方にたいして結論をもとめた。やがて陪審員たちが立ち上がり、協議するために退廷した。時刻はすでに夜の1時ちかくになっていたが、だれ一人、帰ろうとする者はなかった。ご婦人がたの心の内は平静だった。「無罪が確定している」からである。法廷内の男性陣も、きわめて多くの者がぜったいに無罪であると確信していた。フェチュコーヴィチ自身も成功を信じて疑わなかった。やがて鐘が鳴った。陪審員はきっかり1時間協議した。傍聴人が再び着席すると、ただちに深い沈黙が支配した。裁判長が「強奪が目的で計画的に殺害したのか」と尋ねると、若い陪審員長がはっきりと宣言した。「はい、有罪であります」。それから、すべての項目に同じ答えがくり返された。有罪です、はい、有罪であります。そこにはひとかけらの情状酌量もなかった。こんなことになるとは誰ひとり予想していなかった。ご婦人がたの騒ぎようといったら、一揆でも起こるのではないかと思ったほどだった。突然ミーチャが立ち上がり、哀切きわまる泣き声で叫んだ。「神と、おそろしい最後の審判にかけて誓います、父の血にかんして、ぼくは無実です! カーチャ、きみを許すよ! 弟たち、友だちも、どうかあの人を許してやってください!」。傍聴席の上段の方から胸を突き刺すような女のすすり泣きが響いた。グルーシェニカだった。法廷全体が、天と地が逆さになるほどの大騒ぎだった。表玄関の出入り口のところでいくつかの叫び声が聞こえた。「20年は鉱山ぐらしだな」「最低でもねえ」「でございましょう。お百姓たちが意地を通しましたよ」「おれたちのミーチャもこれで一巻の終わりか!」。
前回(第4部、第12編、第5~9節)の最後で、
私は次のように記した。
第8節で「スメルジャコフは犯人ではない」と論じ続けたイッポリートは、
今度は「ミーチャが犯人だ」と(延々と)論じ続ける。
当然のことながら、退屈だし、あまり面白くない。
なぜなら、読者は「ミーチャが犯人ではない」と知っているから。
TVドラマの2時間サスペンス物などで、終盤、
(途中から観ている人のために)事件のあらましを紹介するシーンがあるが、
このイッポリートの論告はまさにそれに当たる。
読者は今さらイッポリートの勘違いの論告など聞きたくないのだ。
ただ、ドストエフスキーがこの部分を小説に組み込んだということは、
何か意図するものがあったからだろうし、
その「意図するもの」を期待しながら、
次の第10節「弁護人の弁論。両刃の剣」での、
弁護人フェチュコーヴィチの弁論を聴きたいと思う。
今回、その「意図するもの」を期待しながら、
第10節以降のフェチュコーヴィチの弁論を聴いたのだが、
予想に違わぬ素晴らしい展開となった。
やはり、このフェチュコーヴィチの弁論のために、
(あのツマラナイ)イッポリートの論告があったのだ。
フェチュコーヴィチの弁論をより効果的に魅せるための、
第6節~第9節だったのだ。
このあたりの展開は、本当にエンターテインメントだと思ったし、
「さすがドストエフスキー!」と唸った。
結局、陪審員たちはミーチャを「有罪」にしてしまうのだが、
第14節のタイトル「お百姓たちが意地を通しました」の、
「お百姓たち」とは陪審員のことではあるのだが、
その言葉の背後に漂っているのは、
「スメルジャコフ」=「スメルド、農奴」の影なのであろう。
訳者の亀山郁夫は、この裁判を、
「自殺したスメルジャコフの全面勝利で閉じられました」と書く。
作者のドストエフスキーも実際に父親を殺されているのだが、
ドストエフスキーの父を殺したのは、
彼の領地に住んでいた農奴たちだった。
「お百姓たちが意地を通しました」には、
様々な意味が込められているのだろう……と思った。
これで第4部(第4巻)まで読了した。
残るは、第5巻の「エピローグ」のみとなった。

『カラマーゾフの兄弟』読了の日が近づいてきた。
