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『カラマーゾフの兄弟』(ドストエフスキー)⑯ …第2部、第6編、第1~2節…




カラマーゾフの兄弟』読了計画の第16回は、(これまでの記事はコチラから)
第2部、第6編「ロシアの修道僧」の、


第1節「ゾシマ長老とその客たち」
第2節「神に召された修道苦行司祭ゾシマ長老の一代記より」
長老自身の言葉をもとにアレクセイ・カラマーゾフがこれを編纂した
伝記的資料
(a)ゾシマ長老の若い兄について
(b)ゾシマ長老の生涯における聖書に意味について
(c)俗界にあった、ゾシマ長老の青年時代と、青春の思い出。決闘
(d)謎の訪問客
を読みたいと思う。





第2部、第6編、第1節「ゾシマ長老とその客たち」


【要約】
アリョーシャが長老の庵室に足を踏み入れると、長老は衰弱のためにやつれはてていたが、元気でほがらかな顔をして肘掛椅子に腰をうずめ、客人たちと会話を交わし合っていた。客人は、ヨシフ神父、パイーシー神父、ミハイル神父、アンフィーム神父の4人。長老はアリョーシャの姿を認めると、嬉しそうに微笑んで「来たか、よい子よ」と言って手を差し出した。アリョーシャは思わず泣きだした。長老はアリョーシャに、「長兄(ドミートリー)には会えたかね?」と訊ねた。アリョーシャが、「今日はどうやっても見つかりませんでした」と答えると、長老は、「急いで探しなさい。明日また行って、急いで探し出すのですよ。何をさしおいても、急ぎなさい。今なら、なにか恐ろしい事態が起こるのを防げるかもしれませんからね。わたしが昨日ああしてひざまずいたのは、あの人の将来に待ち受けている大きな苦悩に対してなのです」と言った。「どんな苦悩が兄を待ち受けているというのでしょう?」とアリョーシャが問うと、長老は、「昨日、わたしにはなにか恐ろしいものが見えたのです」と言い、「わたしたちの運命すべては神の御心しだいです。『一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ』と付け加えた。そして、客たちに向かって、どうしてこの青年(アリョーシャ)の顔がなつかしく感じられてきたかを話し始めた。長老には17歳で亡くなった兄がいて、この兄こそが自分の人生において神の啓示であり、宿命のようなものであったという。この兄が、驚くべきことに、アリョーシャと(顔立ちはさして似ていないが)精神面であまりに似通っていたと言い、あの兄が生まれ変わってひそかに訪ねてくれたのではないかとさえ思えるほどだったとか。「さて、客人たち、わたしはこれからこの青年、つまりわたしの兄のことをみなさんにお話ししたいと思うのです」と言って、ゾシマ長老は兄について語り始めたのだった。


ゾシマ長老が、昨日、ドミートリーにひざまずいた理由がここで明かされる。
「わたしが昨日ああしてひざまずいたのは、あの人の将来に待ち受けている大きな苦悩に対してなのです」
はたしてドミートリーにどのような苦悩が待ち受けているのか?
カラマーゾフの兄弟』には、常にどこかに伏線が貼られ、
読者の興味を引きながら、物語を進めていく。
これが実に巧い。
翌未明、ゾシマ長老はついに息を引き取る。
この後、アリョーシャが編纂した「ゾシマ長老の一代記」が、
作中作のかたちで記されていく。


第2部、第6編、第2節「神に召された修道苦行司祭ゾシマ長老の一代記より」
長老自身の言葉をもとにアレクセイ・カラマーゾフがこれを編纂した
伝記的資料


(a)ゾシマ長老の若い兄について



【要約】
わたしは遠い北国のとある県のVという町に生まれた。父はわたしが2歳の頃に亡くなり、母の手もとに残されたのは、わたしジノーヴィーと、兄のマルケルだった。マルケルはわたしより8歳年上で、短気で苛立ちやすい性格だったが、根は善良で、口数は不思議なほど少なかった。死ぬ半年前にすでに17歳になっていた兄は、町でひとり孤独な生活を送っていたある男のところに出入りするようになった。その男は、自由思想に罪でモスクワからこの町に流されてきた政治犯で、大学でも有数の学者で、高名な哲学者だった。兄のマルケルは毎晩のようにこの男のところに入り浸っていたが、やがて請願が功を奏し、その流刑囚はペテルブルグに呼び戻された。復活祭前の大斎(おおものいみ)が始まったが、マルケルは精進したがらず、「そんなのはみんな迷信で、どんな神さまだってあるもんか」と毒づき、鼻でせせら笑っていた。ところが大斎の第6週に入ると、兄の体の具合が急におかしくなった。往診に来た医師はすぐに母を呼び、「急性の結核だから、春いっぱいはもたないだろう」と告げた。母は泣きだし、兄に向って「どうか精進を守り、聖体を受けてほしい」と懇願した。兄は精進を始めたが、当初は「母を喜ばせ、安心させるためだ」と言っていた。だが、容態が悪くなり、寝たきりになると、兄に驚くべき変化がおとずれた。「ぼくらはみんな、すべての人に対してすべての点で罪があるんだよ。ぼくはそのなかでもいちばん罪が重い」と言い、窓辺にやってくる小鳥にまで許しを請うようになった。兄はわたしを見て手招きし、「ぼくの代わりに生きるんだよ!」と言って、復活祭が終わって3週目にこの世を去った。兄が葬られたとき、わたしは泣きに泣いた。わたしはまだほんとうに幼い子どもだったが、何もかもがわたしの心に拭いがたく刻まれ、胸の奥にひとつの密かな思いが宿ることになった。その思いはすべて、いずれ時が来たときに胸の奥から立ち上がり、なにがしかの呼びかけに応えるにちがいなかった。事実、そのとおりになった。


若くして亡くなった兄マルケルは、神を認めない高慢な青年であったが、
結核を患ったのを機に教会に通い、罪の意識に目覚め、
穏やかな心を得た後にこの世を去る。
ゾシマ長老の信仰者としての大成を決定づけた契機の一つが、
この兄マルケルの存在であった。


(b)ゾシマ長老の生涯における聖書に意味について


【要約】
母はわたしをペテルブルグにある陸軍士官学校に入れてくれたが、それきり二度と母と顔を合わせることはなかった。なぜなら3年後に母は亡くなったからだ。親の家からわたしが持ち出せたものは、かけがえのない思い出だけだった。その内のひとつに聖書物語の思い出があった。当時、家には、『旧約・新約聖書からとった百四の聖なる物語』という挿絵のたくさん入った本があり、この本で読み書きを学んだ。だが、読み書きを覚える前のまだ8歳のときに、初めて精神的な啓示のようなものが訪れたのをわたしは覚えている。受難週間の月曜日、わたしは母に連れられて教会に行き、昼の礼拝式に出た。丸天井の狭い窓から神の光が降り、香の煙はその光に向かって波のようにたゆたいながら高みに昇り、ひとつに溶け合うかのようだった。わたしは感動の思いでそのありさまを眺め、そのとき生まれてはじめて、神の言葉がはらんでいる最初の種子を自覚して、魂のなかへ受け入れたのだ。一人の少年が大きな本をたずさえて会堂の中央に歩み出て、朗読を始めた。ウズの地に、一人の心義(ただ)しい、信仰に篤い男がいた。たいそうな金持ちで、たくさんのラクダや羊やロバを持ち、子どもたいは陽気に遊びまわっていた。あるとき、悪魔が神のもとへ上がって行き、「地上と地下の国をくまなく回ってきた」と告げると、神は、「わたしの僕(しもべ)であるヨブに会ったか?」とたずね、自分の偉大なる僕(しもべ)を指さして自慢した。すると悪魔はにやりと笑って、こう答えた。「ヨブをわたしにお渡しくだされば、あなたの僕が不満をこぼし、あなたの名を呪うところを、お見せいたしましょう」。神がヨブを悪魔にあずけると、悪魔はヨブの子どもたちや家畜をうち殺し、まるで神の雷(いかずち)のように、彼の富を何もかも吹きちらした。そこでヨブは叫んだ。「わたしは裸のまま母の胎内から出て、裸のまま大地に帰る。神が授けたものを、神が取り上げられたまでだ。これからも神の名が永遠に讃えられますように!」と。神は再びヨブを立ち直らせ、再び富を与え、多くの歳月が流れ過ぎて、彼にはすでに別の新しい子どもたちがいて、彼はその子どもたちを愛している。でも、わたしは、こんな風な気がした。「どうして彼は、これらの新しい子どもたちを愛することができるのだろうか? 昔の子どもたちはいないのに、昔の子は奪われたというのに、はたして以前と同じように、新しい子どもたちとも十分に幸せな気持ちでいられるのだろうか?」と。そう、たしかにいられるのだ。古い悲しみは、人間の生命がはらむ大いなる神秘によって、しだいに穏やかで感動に満ちた喜びへと転化していくものなのだから。わき立つような若い血潮にかわって、穏やかな明るい老年が訪れてくる。わたしは毎日の日の出を祝福しているし、昔と同じように、朝日をみれば思わず心が歌いだすが、今はもうむしろ日の入りのほうが、斜めに差してくる夕日の長い光のほうが好きだし、その光とともに、静かでおだやかな感動に満ちた思い出を、祝福された長い人生で出会った人々の面影を愛している。一週に一度、晩に一時間ぐらいは、せめて子どもたちだけでも自宅に呼び集め、さっきの書物を開いてやり、難しい言葉は避け、尊大なところや、相手を見下したような態度は見せず、気持ちを込めて優しく読み聞かせる。「必要なのは、ごく小さな、一粒の種なのだ。民衆の魂のなかにその種を投げ入れてみなさい。すると種は死なず、民衆の魂でずっと生きつづけ、闇や罪の悪臭のなかにあってわずかに灯る光のように、偉大ないましめとして一生息をひそめつづけるだろう」。


「ウズの地に、一人の心義(ただ)しい、信仰に篤い男がいた」のウズとは、
パレスチナの東にあったとされる、旧約聖書ヨブ記』の主人公ヨブの出生地とされている地方のこと。

必要なのは、ごく小さな、一粒の種なのだ。民衆の魂のなかにその種を投げ入れてみなさい。すると種は死なず、民衆の魂でずっと生きつづけ、闇や罪の悪臭のなかにあってわずかに灯る光のように、偉大ないましめとして一生息をひそめつづけるだろう。(第2巻380頁)

という言葉が出てくるが、
ここには、「一粒の種を植えれば、あとは民衆を信頼すればいいんだ」と、
「民衆の魂」を信じるドストエフスキーの発想が窺える。


(c)俗界にあった、ゾシマ長老の青年時代と、青春の思い出。決闘


【要約】
ペテルブルグの陸軍士官学校には8年にわたって在籍したわたしは、野蛮といえるほど残酷で馬鹿げた人間に成り下がってしまった。最大の問題点は、それなりの財産が入ったことで、若者らしい欲求のなすがままひたすら快楽を求める生活にはまり、満帆の勢いで突っ走ったことである。わたしは或る若く美しい娘を好きになった。娘の方も自分に気があるように思い、わたしの心は一気に燃え上がった。ところが当時のわたしは、自分の利己心に妨げられてプロポーズできなかった。お金もあり、放埓きままな独身生活を楽しんでいたし、相手にそれとなく気のある素振りを見せ、そのくせ最後の決定的な一言は先送りにしていた。そんな折、わたしに急遽よその郡へ2ヶ月間の出張命令が下った。2ヶ月後に戻って来ると、娘はすでに郊外に住む金持ちの地主と結婚していた。この若い地主は、かなり以前から彼女の婚約者で、彼の姿は数えきれないほど彼女の家で見かけながら、自惚れに目がくらみ、わたしは何ひとつそれと気づかなかったのだ。堪えがたい恥ずかしさは、憎しみに転じ、復讐の念にかられ、彼に決闘を申し込む。その決闘の前日、わたしは怒り狂って夜会から戻ったわたしは、従卒のアファナーシーに腹を立て、その顔を殴りつけ、血だらけにしてしまう。3時間ほど眠ると、すでに夜は明けかかっていた。すると、わたしの心の底になにかしら恥ずかしい、下劣なものをさぐり当てたような気がした。「人間が人間を殴る! なんという罪だろうか!」わたしは呆然としてその場に立ち尽くした。太陽は輝き、木の葉は嬉し気にきらめき、鳥たちは神を讃えていた……わたしは両手で顔を覆い、ベッドに体を投げ出すと、声をあげて泣きだした。わたしはふと兄のマルケルが死に際に召使たちに放った言葉を思い出した。「大切なみんな、どうしてぼくに仕えたりするんだ。どうしてぼくを愛してくれるの、ぼくに仕える価値なんてあるのか?」。わたしは、アファナーシーの部屋に向かい、彼の足もとにひざまずき、床に額をつけ、「本当に悪かった。許してくれ」と謝り、決闘場へ向かった。最初の一発は相手が撃つことに決まり、彼が銃を放つが、銃弾はわたしの頬と耳のあたりを少しばかりかすっただけだった。わたしが撃つ番になったが、わたしは「お願いです。どうかこのばかな青二才を許してください。悪いのはぼくです」と言って、ピストルを森へ放り投げた。介添人や同僚からは、「決闘の場で相手に詫びを入れるなんて連帯の恥だ!」と非難されるが、相手が放つ一撃を耐え抜いた後の謝罪だったということもあって、好意的に受け止めてくれる人も増え、だれもが先を競って知り合いになろうとしてくれ、自宅に呼んでくれるようになった。わたしはすっかり嬉しくなったが、そのときふいにわたしは、こちらに近づいてきたかなり年配の一人の紳士のことが、誰よりも気にかかった。


ゾシマ長老の信仰者としての大成を決定づけた契機の一つは、
兄マルケルの存在であったが、
もう一つの契機というべきものが、
ゾシマ長老自身が軍隊にいたときに起こした決闘事件といえるだろう。
ひそかに心寄せる女性が金持ちの貴族と結婚した腹いせに、決闘騒ぎを起こすのだが、
決闘が予定されていた日の朝、
窓辺に立って、小鳥たちのさえずりに耳を傾けているうちに、
突如として、運命とも言える回心を経験する。
回心をうながしたのは、兄マルケルの、
「すべての人に罪がある」
という一言だった。
ゾシマは、相手に向けて銃を放つことなく決闘場を去り、
その後まもなく修道院に入る。


(d)謎の訪問客


【要約】
その人物は、(すべて明らかになったのは死後のことであるが)町じゅうの尊敬を集めている財産家で、また慈善家としても知られ、巨額の金を養老院や孤児院に寄付し、他にも数多くの慈善を匿名で行ってきた人だった。50がらみの年で、口数は少なく、結婚してまだ10年と経たず、若い夫人との間に3人の子どもがあった。夜会のあった翌日の晩、自宅にこもっていると、突然ドアが開いて、ほかならぬその紳士が入ってきた。決闘の事件のことを知り、大変興味を持ったので、あなたと個人的にご縁をもちたいと言う。快諾すると、その紳士は、毎晩のようにわたしの部屋に足を運んでくるようになった。「決闘場で相手に許しを求めたとき、あなたはいったいどんなことをお感じになっていたのか?」という質問をされたので、わたしはあの決闘事件の一部始終を話して聞かせた。私に質問はするものの、自分についてはほとんど何ひとつ話そうとはしなかったが、「天国とは?」「孤立とは?」といったことについても話し合っているうちに、彼自身が何か打ち明けたいという欲求に苦しみだしているのに気がついた。そんなある日、彼は熱弁をふるった後で、急に青ざめ、こちらをじっと睨みつけながら、「わたしは……じつは……その……人を殺したことがあるんです」と言った。彼は、14年前、金持ちの女性で、若く美しい地主の未亡人に恋を告白し、結婚を迫った。だが、彼女はすでに別の男に心を許しており、プロポーズを断り、家にはもう出入りしないでほしいと言った。ある夜、彼は彼女の自宅に忍び込み、彼女の心臓に短剣を突き刺した。そして、恐ろしく犯罪的な計算をめぐらし、下男に疑いがかかるように、偽装工作をした。嫌疑はただちに農奴の下男であるピョートルにかかり、運悪く、それを裏づける証拠も見つかり、普段の素行も悪く、女主人を殺してやると酒場で息まいていたとの証言も得られ、逮捕され裁判にかけられた。だがピョートルは一週間後に熱病にかかり、意識不明のまま死んでしまった。裁判はそれで打ち切りになり、神の思し召しにゆだねられた。下男の逮捕に少しばかり胸の痛みを覚えたが、容疑者が病死したことで、彼の良心はすっかり落ち着いてしまった。かれは職務にはげみ、慈善事業に精を出し、いろんな施設を造ったり寄付をしたりしたため、その名が知られるようになり、慈善団体の役員にまで選ばれた。美しく聡明で若い女性と結婚し、子どもも生まれた。しかし、子どもが生まれた頃から悪夢を見るようになり、「おれにはこの子どもたちの、汚れのない明るい顔が正視できない、その資格がない」と思い悩むようになった。自殺まで考えたという。そんなとき、別の想念も頭に浮かぶようになった。その想念とは、決然と人前に出て、「自分は人を殺しました」とみんなに告白することだった。どうすれば良いかと問われ、わたしは、「みんなに明らかにするんです。すべては過ぎさって、真実だけが残ります」と答えた。彼はすっかり決意を固めた様子で帰って行くが、その後も彼は、2週間以上も毎晩わたしのもとに通ってきた。胆(はら)を固めながら、土壇場で決心がつかずにいたのだ。そこでわたしは、『ヨハネ福音書』第12章24節を、それから『ヘブル人への手紙』第10章31節を示した。読み終えると、彼は本を放り出し、全身がわなわなと震えた。そして、「失礼します。ここにはもうお邪魔しませんので……天国でお会いしましょう」と言って帰って行った。だが30分ほどすると、戻って来て、わたしをじっと見つめ、ふいに苦笑を浮かべ、堅くわたしを抱きしめ、キスをした。「忘れないでくれ。わたしが二度目にきみの家に来たことををね、いいかね、忘れないでくれ!」と言って、出て行った。翌日(彼の誕生日だった)、彼の家で、町じゅうの人が集まって盛大なパーティーが営まれ、その席で、彼は、自分が人殺しであることを告白した。証拠品も並べて告白したが、だれひとり信じたがらず、「あの人は気が変になってしまった」と病人扱いされ、警察も裁判所も一応審理に入ったものの、まもなくそれもストップしてしまった。この事件はまたもや未解決のまま立ち消えになる運命となった。数日後、町じゅうの人々が、この受難者が病に倒れ、命が危ぶまれる状態にあることを知った。心臓の不静脈が原因とのことだった。彼の死ぬ間際に、わたしが見舞いに行くと、彼はこう言った。「覚えているかい、二度目に君を訪ねたときのことさ、真夜中ちかくに? しかも忘れないでくれって君に言ったね? わかるかい、なぜわたしが戻って行ったか? じつはね、君を殺しに行ったんだよ!」。続けて、「わたしはひたすら君を憎悪し、すべてを賭けて、なんとしても君に復讐してやりたかった。だがわたしの神が、わたしの心のなかの悪魔を打ち負かしてくれた。しかし、いいかね、あのときぐらい君が死に近かったことはなかったんだよ」と言った。彼のことは今でも祈りのときに思い出す。


この「謎の訪問者」の部分は、
光文社文庫で30頁ほどなのであるが、
読み終えると、長編小説の一部とは思えないほどの満足感があり、
極上の短編小説を読んだときのような面白さも味わうことができた。
ミステリー要素もあり、最後の死ぬ間際の男の言葉にはドキッとさせられた。

第2部、第6編「ロシアの修道僧」の、
第3節「ゾシマ長老の談話と説教より」
(e)ロシアの修行僧とそのあるべき意義について
(f)主人と召使について。主人と召使は精神的にたがいに兄弟になれるか
(g)祈り、愛、異界との接触について
(h)人は同胞の裁き手になれるのか? 最後まで信じること
(i)地獄と地獄の火について、神秘的考察
も楽しみになってきた。
※次回で、第2巻を読了予定。



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