
旅と同時並行で地元紙(佐賀新聞)に連載していた紀行文、
「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」を元にして、
カテゴリー「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を再開させた。
今回は、その第9回目。

「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」⑨八代大花火、球磨川星花火
(※新聞掲載時よりも、漢数字を算用数字にしたり、改行を多くして読みやすくしています)
北海道の人々は旅人に親しみを持ってくれている人が多く、
よく声をかけられたし、激励された。
それが本州に入ると一転し、クスクスと笑われることの方が多くなった。
九州に入ってからは、再び声をかけてくれる人が多くなり、
ぼくも自分の庭を歩いているようで楽しい。
九州に入ってからは、自宅に立ち寄りたいということもあって、
北九州、博多、前原、唐津、多久、佐賀というコースで歩いた。



柳川を過ぎたあたりの道端で、「豊原一里石」というものを見つけた。
うっかりしていたら見落としそうな場所に建てられており、
車で走っていたらたぶん見つけることはできなかったと思う。
筑後藩では慶長17年(1612年)より柳川城下の札の辻を基点として一里石、二里石、三里石……と建てており、この一里石の石面には、「栁河より一里」と刻まれていた。

ぼくは歩くのは速い方なので、(重いザックを背負って)1時間に5キロから6キロ歩くが、
疲れてくると4キロ程度に落ちる。
歩いてみての実感だが、一里とは、普通の人が荷物を背負って1時間に歩ける距離なのだ。

大牟田、熊本を過ぎ、八代に着いた10月21日の夜は、
幸運なことに「やつしろ全国花火競技大会」が開かれていた。

今年で8回目ということで、
全国各地から集まった花火師たちが、
それぞれ5号玉、10号玉を打ち上げて、その色彩や技術を競っていた。

他の花火大会では見られないような芸術的(?)な花火が多く、
一発打ち上がる度に、大きな拍手と歓声が沸き起こっていた。


八代からは球磨川に沿って歩いた。

途中、陽が傾きかけてきたので、大きな谷間の河原でテントを張った。
深夜、テントの入口を開けて空を見ると、
漆黒の夜空に、溢れんばかりの輝く星々があり、
星花火という言葉が思い出されるほど美しく、
いつまで見ていても飽きるということがなかった。
その夜、ぼくは、球磨川の流れの音を子守歌にして、星々のシュラフに包まれて眠った。

【余禄】
「古賀政男記念館」(福岡県大川市大字三丸844)
古賀政男は、大川市出身の作曲家で、
約4000曲の作品を残した業績を記念して昭和57年(1982)に開館し、
書斎やレッスン室が再現され、ギターなど愛用の品々が展示されている。

球磨川は、熊本県水上村を源流とし、
人吉盆地や八代平野を通って八代海に注ぐ1級河川である。
延長115キロは九州の河川で3番目の長さで、
流域面積1880平方キロ、
流域人口約13万人。
ラフティングや船下りが地域の観光シンボルとして知られる。
その球磨川が2020年7月4日、氾濫した。
雨が強まった7月4日の未明から急激に水位が上昇し、
午前4時前には「中流」で堤防を越え、
2時間後の午前6時ごろには「上流」でも堤防を越えて氾濫が発生した。
その後も水位は上がり、
午前7時すぎには、距離にしておよそ60キロの範囲で氾濫が相次いだ。
これは、全長115キロの球磨川の半分の長さにあたり、
水位が最も高い場所では、堤防を5メートルも上回り、
氾濫していた時間は、最も長い場所で半日近い11時間半にわたった。
日本三大急流の一つで「暴れ川」の異名を持つ球磨川であるが、
今回の氾濫による浸水深が、
戦後最大とされてきた「昭和40年7月洪水」を上回り、
記録に残る球磨川水害では最大級だった。

氾濫する球磨川のニュース映像を見ながら、

私は、1995年に行なった徒歩日本縦断を思い出していた。
当時、球磨川沿いの道を、
「球磨川下り」する様子を眺めながら歩き、


陽が傾いてきたので、球磨川の河原にテントを張った。

「ふらふらぶらぶら日本縦断の旅」という紀行文に、
その夜、ぼくは、球磨川の流れの音を子守歌にして、星々のシュラフに包まれて眠った。
と、なんとまあロマンティックなことを書いているが、(笑)
本当は、球磨川沿いの道路を走るトラックの音でほとんど眠れなかったのだ。(爆)
その眠れなかった夜のことを、私は、
夏樹静子さんのこと ……小さな、そして極私的な、二つの思い出……
と題してこのブログに書いたときに、
次のように記している。
あれは熊本県の球磨川の河原でテント泊しているときだった。
その日はなかなか眠れず、
テントから顔だけ出して、満天の星を眺めていると、
何の脈絡もなく、ミステリーのトリックが思い浮かんだのだ。
それをノートに記しておき、
旅から帰った後、
そのトリックを使って、原稿用紙90枚ほどのミステリー小説を書いた。
それを、地元の新聞社と企業が主催する大衆文学賞に応募した。
その賞は、当時、佐賀県に住まわれていた作家・故笹沢左保さんの提唱で生まれた文学賞で、
笹沢左保さんの他、森村誠一さんと、夏樹静子さんが選考委員を務められていた。
地方の小さな文学賞であったが、選考委員は豪華であった。
(全文はコチラから)
その応募作は、最終候補作まで残り、結果、受賞に至るのであるが、
あの眠れない夜がなければ生まれない作品であったのだ。
いろんな意味で思い出に残る「球磨川の河原でのテント泊」であったのだが、
氾濫する球磨川の映像を見ながら、
〈私がテントを張ったあの河原も、水の底であったのだな……〉
と恐怖心を抱くと同時に、
あの懐かしい風景がすべて失われてしまったことに対する無念の思いも沸き起った。

小京都・人吉では、「人吉城跡」に立ち寄った。

鎌倉時代から幕末までのおよそ700年間、相良家の中心だった中世城趾で、
日本百名城のひとつ。

球磨川と胸川を天然の堀としてつくられており、
城跡全域が国の史跡になっている。
相良氏が城の修築をしている際、三日月の文様の石が出土したため、
別名“繊月城”とも呼ばれている。

※「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➀~⑫
(タイトルをクリックするとレポが読めます)
➀宗谷岬から留萌へ
➁留萌から長万部へ
③長万部から函館、青森へ
④秋田から象潟、鳥海山へ
⑤「良寛」ゆかりの地を巡る
⑥天の橋立、城崎温泉へ
⑦余部鉄橋、松江、出雲へ
⑧萩と、仙崎と、金子みすゞ
⑨八代大花火、球磨川星花火
⑩佐多岬に到着、そして
⑪沖縄本島縦断
⑫日本最南端・波照間島にて