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新聞連載エッセイ「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」⑦余部鉄橋、松江、出雲へ




旅と同時並行で地元紙(佐賀新聞)に連載していた紀行文、
「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」を元にして、
カテゴリー「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を再開させた。
今回は、その第7回目。



「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」⑦余部鉄橋、松江、出雲へ
(※新聞掲載時よりも、漢数字を算用数字にしたり、改行を多くして読みやすくしています)

宗谷岬を出発して57日目の10月3日現在、
ぼくは島根県の出雲にいる。
冒険家の故・植村直己さんも1971年に徒歩日本縦断をやっているのだが、
彼はわずか52日で日本列島3000キロを歩き抜いている。
1日平均60キロ歩いたという。


それに比較して、ぼくの歩みのなんと遅いことか。
出雲に来る前は、松江に三日間も滞在していたし、
このところ歩みが更に鈍(のろ)くなっている。
松江は、松江城周辺と宍道湖以外とりたてて観光名所があるわけではないが、
何となく居心地が良いのだ。
街の雰囲気、空気、温度が、ぼくの体に合った。
これまで歩いてきて、ぼくが住んでみたいと思った街は、
小樽、函館、酒田、金沢などだが、
共通するのは街に品があることと、
街に文学の香りがすることである。
これらの街のほとんどに文学館があることでもそれはわかる。
松江にも小泉八雲記念館などがあり、文学的情緒は充分である。






現在いる出雲は、神話と伝説の里であり、
また歌舞伎の始祖といわれている出雲阿国(いずものおくに)ゆかりの地でもある。


阿国の墓や、終焉の地の碑、


それに、歌舞伎の名門、中村、市川両家をはじめ、
水谷八重子らの寄付によって建てられた出雲阿国塔がある。




出雲を歩いている間、ずっと雨が降っていた。
国宝の出雲大社本殿に着いた時、雨が止み、靄のようなものが漂っていて、
神秘的な雰囲気であった。




また、境内の松や杉などの枝に、良縁の願いを込めたおみくじが沢山結ばれており、
白い花が咲いているように見えた。


旧暦10月は神無月と言うが、
これは全国八百万の神々が、ここに集まって、人々の幸福について神議するからであり、
出雲地方のみは「神在月」と言う。


昨今は不幸な出来事ばかりが続いているので、神様にもしっかり話し合ってもらって、
幸福な社会に早くしてほしいと思うが、
非常識な旅を続けているぼくは、神様にきっと叱られるに決まっているので、
神々が到着する前に、ぼくは出雲を早目に出ようと思っている。




【余録】
植村直己さんは、1971年、30歳の時に、
北海道から鹿児島まで日本列島3000kmを52日間かけて徒歩で縦断している。


これは、南極大陸3000km犬ゾリ横断を見据え、
3000kmという距離を体で確かめるための行動だったとか。
持ち物は、腹巻の中にパンツ1枚、手帳、所持金35000円、タオル1本だけ。
驚くべき人です。



宍道湖で釣りをする人。



出雲のような歴史のある静かな町を歩いていると、
〈もし、この町に生まれ、育ったならば、どんな人生を歩んでいただろう……〉
と思うことがある。
地方の好もしい町に出逢うと、いつもそう思う。



余部鉄橋」(兵庫県美方郡香美町香住区余部)を通過時は雨だった。


山陰本線鎧駅餘部駅間にあった余部鉄橋




JR西日本による正式名称は、「余部橋梁」。


明治45年の完成当時は東洋一と謳われたが、
昭和61年の列車転落事故を契機に、架け替えに向けた取り組みが決定し、
平成22年、現在のコンクリート製の余部橋梁が完成した。
しかし、私の心には、(30年前の)あの「余部鉄橋」が今も存在している。






※「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➀~⑫
(タイトルをクリックするとレポが読めます)
➀宗谷岬から留萌へ
➁留萌から長万部へ
③長万部から函館、青森へ
④秋田から象潟、鳥海山へ
⑤「良寛」ゆかりの地を巡る
⑥天の橋立、城崎温泉へ
⑦余部鉄橋、松江、出雲へ
⑧萩と、仙崎と、金子みすゞ
⑨八代大花火、球磨川星花火
⑩佐多岬に到着、そして
⑪沖縄本島縦断
⑫日本最南端・波照間島にて



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