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新聞連載エッセイ「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」⑤「良寛」ゆかりの地を巡る




旅と同時並行で地元紙(佐賀新聞)に連載していた紀行文、
「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」を元にして、
カテゴリー「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を再開させた。
今回は、その第5回目。



「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」⑤「良寛」ゆかりの地を巡る
(※新聞掲載時よりも、漢数字を算用数字にしたり、改行を多くして読みやすくしています)

ぼくの旅は野宿を基本としている。
北海道にいた18日間のうち民宿に泊まったのは6日間だけで、
あとはすべて野宿であった。
道北は主にテントを使った。
道南では、廃車、バス停、工場の倉庫など、あらゆる所で寝た。
本州に入ってからは、野宿できる場所が少ないこともあって、
民宿やユースホステルに泊まる割合が増えてきているが、
野宿する場合はJRの駅に寝ることが多い。
現在はほとんどの駅が最終列車が出た後に駅を閉めてしまうので、
駅前のコンクリートの上か、


近くのバス停の長イスに寝る。


なるべく人目につかない場所を選んでいるが、酒に酔ったおじさんにからまれたりする。
深夜、ツッパリの高校生に取り囲まれたこともある。
ジタバタしても仕方ないのでそのまま寝ていると、
「こんな所で寝てるよ」
「根性入ってるよな」
と、妙に感心して行ってしまった。
9月5日に新潟県に入ってからの一週間は、
さまざまな理由からほとんどが野宿になってしまった。
野宿が続くとやはり体がキツイ。
旅を始めて一カ月が過ぎ、疲労もたまっていることもあるが、
今週は歩くのがつらかった。
歩きたくないと何度も思った。
宮本輝の短編小説『五千回の生死』に出てくる男のように、
歩きながら、
「もうやめよう」
と、一日五千回と言わないまでも五百回ぐらいはつぶやいたような気がする。


こういう精神状態だったからか、
新潟県では、良寛のゆかりの地である出雲崎、分水、寺泊、和島村などが印象に残っている。


僧侶でありながら寺に住まず、経を読まず、弟子をとらず、妻子もなく、
孤独な詩作ざんまいの人生。
特に40歳から約20年間住んだという分水町国上にある五合庵には心を打たれた。




6畳ほどの1部屋だけの小さな建物で、
清貧の極限生活が想像されて、しばらくそこを動けなかった。




果てしなく物欲をいだく現代人と違って、
良寛の人生は“持たざる”人生であった。
しかし何と多くの目に見えない豊かなものを所有していたことか。
自省しつつ9月12日、ぼくは富山県に入った。




徒歩日本縦断で、
最も印象深かったのが、「良寛」のゆかりの地を巡ったことであった。
旅から帰っても、「良寛」について書かれた多くの書を読み、
良寛」のように生きることができたら……と、いつも思っていた。
良寛」は今も私の“心の師”である。

新潟県出雲崎町「妻入りの街並」と日本海


良寛堂」は、出雲崎町石井町にある良寛の生家橘屋の跡地に建てられている。




長岡市島崎にある隆泉寺(りゅうせんじ)の「良寛の墓」。




「乙子神社草庵」は、五合庵の老朽化と朝夕の山坂の登り降りが老身にこたえ、良寛は文化13年(1816年)から約10年間、五合庵より下に位置する乙子神社社務所に移り住んだ。
ここでの10年間の生活は、良寛芸術の最も円熟したときであったといわれている。
この草庵は昭和62年に再建され、今に至っている。




この他、良寛記念館、光照寺など、多くの史跡を巡ったが、
ここには書ききれない。
徒歩日本縦断の旅で立ち寄ったからこそ、
良寛の生き方に共感できたのかもしれない……


※「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➀~⑫
(タイトルをクリックするとレポが読めます)
➀宗谷岬から留萌へ
➁留萌から長万部へ
③長万部から函館、青森へ
④秋田から象潟、鳥海山へ
⑤「良寛」ゆかりの地を巡る
⑥天の橋立、城崎温泉へ
⑦余部鉄橋、松江、出雲へ
⑧萩と、仙崎と、金子みすゞ
⑨八代大花火、球磨川星花火
⑩佐多岬に到着、そして
⑪沖縄本島縦断
⑫日本最南端・波照間島にて



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