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新聞連載エッセイ「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➁留萌から長万部へ




旅と同時並行で地元紙(佐賀新聞)に連載していた紀行文、
「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」を元にして、
カテゴリー「徒歩日本縦断(1995年)の思い出」を再開させた。
今回は、その第2回目。





「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➁留萌から長万部
(※新聞掲載時よりも、漢数字を算用数字にしたり、改行を多くして読みやすくしています)

8月16日に留萌市を出たのち、
増毛町、雄冬、浜益町、厚田村と海岸沿いを歩き、
石狩町、小樽市余市町倶知安町を経て、
8月22日現在、長万部にいる。
スタートから1週間以上が経過し、「歩き」が体になじんできたのか、
1日40キロの歩行距離を維持できるようになった。
留萌市から厚田村にかけてはトンネルの数が多く、苦難の連続であったが、


このラインの海岸線の美しさは格別で、
特に雄冬という小さな町で見た夕陽には感動した。
ぼくがこれまでの人生でみた夕陽のベスト・ワンであった。


宗谷岬を出発してから、これまでオートバイや自転車の旅行者は数多く見かけたが、
「歩き」の旅人には一度も出会わなかった。
しかし、8月17日、幌という町で、ついに遭遇した。


F君という21歳の学生で、
4月1日に鹿児島県の佐多岬を出発し、太平洋側を北上してきたとのこと。
大阪出身で、現在は金沢の大学に在学中だそうだ。
写真を撮り合い、住所を交換し、ぼくが金沢を通過する時には再会しようと約束して別れた。
最後にガッチリ握手をした。


群別(新聞記事の写真の「郡別」は誤植)という町では、親切なおばあさんに出会った。
ある家の玄関先で休んでいたら、その家のおばあさんが出て来て、
「どこから来たの?」
と訊くので、
宗谷岬から歩いて来た」
と答えると、
「それはゆるくないねぇ」
と言って、トウモロコシ3本と缶コーラをくれたのだ。


記念に写真を撮らせてほしいと頼むと、
「こんな格好じゃ恥ずかしい」
と照れながらも、トウモロコシを持ってポーズをとってくれた。


この旅で、ぼくは多くの心のあたたかい人に出会っている。
そのほとんどは、もう二度と会うことのない人々である。
「歩き」と言っても、ぼくがある地点を通過するのは、或る日の或る時間だけである。
そのわずかな一瞬、わずかな可能性の中で出会い、言葉をかわすということは、
奇跡に近いことではないか。
一期一会という言葉の重みを、今のぼくは特に感じている。




【エピソード集】
増毛港の海沿いを歩いていると、スケッチをしているおじさんと出会った。
しばし談笑。
定年後、旅をしながら、絵を描いているとのことで、
温和な感じの紳士であった。
こういう人生もいいな~と思った。


鹿児島県の佐多岬を出発し、太平洋側を北上してきた、
金沢の大学に在学中だったF君。
(当時21歳だったので)現在はもう50代になっている筈。
元気にしているだろうか?


おばあさんが言った方言「ゆるくないねぇ」は、
「ゆる(緩)くない」=「きつい」=「大変だ、つらい、しんどい」の意。
しかし、一般的な「きつい」という意味とは少し違う。
北海道の人々は、どんなにつらいときでも「きつい」とは言わず、
「ゆるくないねえ」と婉曲的な表現をする。
直接的な「きつい」という表現は避け、
「ゆるくないねぇ」と反意語をさらに否定することで、
「きつい」という厳しい状況を、少し弛緩させているのだ。
それは、北海道という厳しい環境に耐え、
我慢強く、忍耐強く頑張ってきた道産子の心意気のようなものかもしれない。
この「ゆるくないねぇ~」という懐かしい言葉とともに、
あの群別で出会ったおばあさんを、今でも時々思い出す。


小樽を歩いたときは心が弾んだ。
憧れの町だったからだ。
多くの文学者を輩出し、
多くの映画のロケ地となり、
絵画に描かれ、写真の被写体となった小樽は、
「物語の生まれる町」と言えるのではないだろうか……



余市では、ニッカの余市蒸溜所に工場見学に行った。


ニセコ町では、有島記念館へ寄った。
そう、「カインの末裔」「生れ出づる悩み」「或る女」などで知られる、
大正期の作家・有島武郎の記念館だ。
一般的には、文学者として有名な有島武郎であるが、
ここニセコ町では、ちょっと違う。
父から引き継いだ広大なニセコの農場を、
土地共有という形で小作人に無償で解放したことで、より有名なのだ。
そのことは、当時の社会に大きな反響を呼び、
無償開放したことを記念して建てられたのがこの記念館なのである。


当時の記念館は、不幸にも焼失したが、
有島謝恩会が中心となり、昭和38年、有島記念会館として開館し、
その後、建物の老朽化、農業を巡る状況の悪化等々の事情から、
有島武郎生誕100年に当たる昭和53年、
ニセコ町により、現在の有島記念館が建設された。


※「ふらふらぶらぶら 日本縦断の旅」➀~⑫
(タイトルをクリックするとレポが読めます)
➀宗谷岬から留萌へ
➁留萌から長万部へ
③長万部から函館、青森へ
④秋田から象潟、鳥海山へ
⑤「良寛」ゆかりの地を巡る
⑥天の橋立、城崎温泉へ
⑦余部鉄橋、松江、出雲へ
⑧萩と、仙崎と、金子みすゞ
⑨八代大花火、球磨川星花火
⑩佐多岬に到着、そして
⑪沖縄本島縦断
⑫日本最南端・波照間島にて



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