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映画『銀河鉄道の父』 ……賢治の妹・トシを演じた森七菜の素晴らしさ……




本作『銀河鉄道の父』(2023年5月5日公開)を見たいと思った理由は5つ。

①俳優として私が高く評価している役所広司の主演作である。
➁俳優として私が高く評価している菅田将暉宮沢賢治を演じている。
③女優として私が高く評価している森七菜が賢治の妹・トシを演じている。
④『八日目の蝉』の成島出監督作品である。
⑤原作である門井慶喜の小説「銀河鉄道の父」を5年前に読んでいる。


役所広司は私と同じ長崎県出身ということもあって、
若い頃から注目していたし、出演作はなるべく見るようにしてきた。
「いかにも」な大作にも出演するが、
若手監督の意欲作にも出演するというのが魅力。
本作『銀河鉄道の父』では、宮沢賢治の父である政次郎をどのように演じているのか、
楽しみでならない。


菅田将暉は、青山真治監督作品『共喰い』(2013年)を見て以来、注目している男優で、
主な出演作はほとんど見ているし、レビューも書いてきた。
その菅田将暉がどのように宮沢賢治を演じているのか、とても興味があった。


森七菜とは、岩井俊二監督作品『ラストレター』(2020年)で出逢って以来、
出演作はなるべく見るようにしてきたが、
2021年、所属事務所アーブルを退所後にしばらく無所属の状態が続き、
映画、TVへの出演が激減し、残念に思っていた。
その後、ソニー・ミュージックアーティスツとエージェント業務提携という契約を結び、
徐々にメディアへの露出も増えてきたので嬉しく思っていたところに、
本作『銀河鉄道の父』への出演が決定した。
森七菜をスクリーンで見ることの喜びをかみしめたい。


成島出監督作品はそれまでにも見ていて、優れた監督であることは認識していたが、
2011年に『八日目の蝉』を見たときに、非凡な監督であることを再認識した。
このときはまだ「一日の王」映画賞を創設していなかったが、
もしこのときに「一日の王」映画賞があったならば、
間違いなく最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演女優賞、最優秀助演女優賞などを、
総なめにしていた筈である。
その『八日目の蝉』の成島出監督ならば、悪い映画にはなっていないと思った。


門井慶喜直木賞受賞作「銀河鉄道の父」を読み、レビューを書いたのは、
もう5年も前のことになる。
2018年3月6日に書いたレビューの一部を引用してみる。



目次には、次のような項目が並ぶ。

1 父でありすぎる
2 石っこ賢さん
3 チッケさん
4 店番
5 文章論
6 人造宝石
7 あめゆじゅ
8 春と修羅
9 オキシフル
10 銀河鉄道の父


さっそく読み始める。
400頁以上もあったので、
〈読み終えるには、さぞ時間がかかるだろう〉
と思ったが、
改行が多く、
解り易い文章だったということもあって、
すらすらと読めて、一日で読み終えてしまった。
こういうときは、えてして、あまり満足感が得られないものであるが、
読後の充実感は十分にあり、
さすが直木賞受賞作と思ったことであった。

銀河鉄道の父』は、
そのタイトルを見ればすぐに解ると思うが、
宮沢賢治の父を描いた作品である。



ただし、内容は、
単に賢治の父を描いているのではなく、
宮沢賢治を“父の視点”から描くことによって、
父・政次郎がどういう人物であったのかが分るような仕組みになっている。
明治29年(1896年)の岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、
昭和8年(1933年)に亡くなるまで、
主に東京と花巻を行き来しながら多数の詩や童話を創作していている。
賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、
長男である彼は本来なら家を継ぐ立場であったが、
学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けた。



地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎は、
この賢治とどのように接していたのかを本書は描いている。
37歳で病没することになる賢治の短くも紆余曲折に満ちた生涯は、
父・政次郎の視点から描かれると、
これまで読んだ宮沢賢治に関する本とは違った面白さがあり、
私にとっても格別な読書体験になった。

宮沢賢治の父・政次郎は、
明治7年(1874年)2月に、岩手県花巻村に生まれている。
「あととりが生まれた」
と父の喜助は喜んだという。
12歳のときに小学校を卒業し、成績はすべて「甲」であった。
校長から、
「花巻一の秀才です」
と、折り紙をつけられるほどで、
政次郎自身も勉強が好きだったので、
「中学に進みたいです」
と、喜助にたのむが、
「質屋には、学問は必要ねぇ」
と、にべもなく一蹴される。
「わかりました」
と、政次郎は答え、
小学校卒業の翌日から、喜助について家業を学び、
二度と中学校の話はしなかったという。

宮沢賢治も父・政次郎と同じく、小学校の成績はすべて「甲」で、
校長が直々に家へ来て、
「進学させませんか?」
と勧める。
70歳になっていた(賢治にとっては)祖父の喜助は、
「質屋には、学問は必要ねぇ」
と、政次郎のときと同じ言葉を言うが、
賢治の父・政次郎は、進学を認める。
そして、異議を唱える喜助に向かって言う。
「時代が違います、お父さん。日本はもう一等国なんですじゃ」
政次郎は、賢治のみならず、
賢治の妹のトシや、弟の清六なども進学させている。
そのことによって、質屋は後に廃業することになるが、
清六が異なる業種で起業し、成功している。
明治の男というと、
喜助のような頑固一徹というようなイメージがあるが、
政次郎はそうではなかったのである。

賢治が7歳の頃に赤痢になったときは、
病院に泊まり込み、看病しているし、
中学卒業直後に疑似チフスになって手術したときにも、
ずっと付き添って看病している。
その後も、賢治や、賢治の妹のトシは度々病気になるのだが、
その度ごとに、政次郎は現地へ飛んで行き、看病するのだった。
このようなエピソードを読むと、
私は、向田邦子の父親を思い出す。
『眠る盃』に収められた「字のない葉書」というエッセイを読むと、
今でも涙が出るのだが、(皆さんもぜひぜひ)
暴君ではあったが、
「威厳と愛情に溢れた非の打ち所のない父親がそこにあった」
と、向田邦子が書いたような父親像を、
賢治の父・政次郎にも見ることができるのだ。

賢治の父・政次郎を一言で表現するならば、
本書の第1章のタイトルにもなっている

「父でありすぎる」
であろう。


夢を追い続ける賢治と度々対立するのだが、
明治の男でありながら、子供には慈愛も持って接し、
政次郎は「父でありすぎる」ことを止めなかった。


父親であるというのは、要するに、左右に割れつつある大地にそれぞれ足を突き刺して立つことにほかならないのだ。いずれ股が裂けると知りながら、それでもなお子供への感情の矛盾をありのまま耐える。ひょっとしたら質屋などという商売よりもはるかに業ふかい、利己的でしかも利他的な仕事、それが父親なのかもしれなかった。(75~76頁)

本書では、このように、
「父親であるというのは……」という問いかけの文章が度々登場する。
父親でもある私は、その都度立ち止まり、考えさせられたし、
政次郎の行いに感動させられた。

銀河鉄道の父』の著者・門井慶喜は、


僕が政次郎に興味を持ったのは、子どものために買った賢治の伝記漫画を読んだのがきっかけです。政次郎は少ししか出てきませんが。

と語っていたが、
その学習漫画の伝記では、父・政次郎は、どちらかというと悪役だったそうだ。
本書でも、賢治の進むべき道に立ちふさがる壁として描かれているが、
読んでいくうちに、賢治の方がワガママに思えてきて、
政次郎の方に肩入れしている自分に気付く。
そういう意味で、本書は、普遍的な「父親論」としても読め、
大変興味深かった。


「お父さん」
賢治はなおも原稿用紙の塔を見下ろしつつ、おのずから、つぶやきが口に出た。
「……おらは、お父さんになりたかったのす」
そのことが、いまは素直にみとめられた。
ふりかえれば、政次郎ほど大きな存在はなかった。自分の命の恩人であり、保護者であり、教師であり、金主であり、上司であり、抑圧者であり、好敵手であり、貢献者であり、それらすべてであることにおいて政次郎は手を抜くことをしなかった。
ほとんど絶対者である。いまこうして四百キロをへだてて暮らしていても、その存在感の鉛錐はずっしりと両肩をおさえつけて小ゆるぎもしない。尊敬とか、感謝とか、好きとか嫌いとか、忠とか孝とか、愛とか、怒りとか、そんな語ではとても言いあらわすことのできない巨大で複雑な感情の対象、それが宮沢政次郎という人なのだ。
しかも自分は、もう二十六歳。
おなじ年ごろの政次郎はすでに賢治とトシの二児の父だった。質屋兼古着屋を順調にいとなんだばかりか、例の、大沢温泉での夏期講習会もはじめている。文句のつけようのない大人ぶりである。自分は父のようになりたいが、今後もなれる見込みは、
(ない)
みじんもない。それが賢治の結論だった。自分は質屋の才がなく、世わたりの才がなく、強い性格がなく、健康な体がなく、おそらく長い寿命がない。ことに寿命については親戚じゅうの知るところだから嫁の来手がない。あってもきちんと暮らせない。
すなわち、子供を生むことができない。
自分は父になれないというのは情況的な比喩であると同時に、物理的に確定した事実だった。それでも父になりたいなら、自分には、もはやひとつしか方法がない。その方法こそが、
(子供のかわりに、童話を生む)
このことだった。原稿用紙をひろげ、万年筆をとり、脳内のイメージを追いかけているときだけは自分は父親なのである。ときに厳しい、ときに大甘な、政次郎のような父親なのである。物語のなかの風のそよぎも、干した無花果も、トルコからの旅人も、銀色の彗星も、タングステンの電球も、すきとおった地平線も、すべてが自分の子供なのだ。(268~269頁)



賢治もまた「父親になりたかった」としたところに、
著者・門井慶喜の手柄があった。

長い文章を引用したが、ここに、
父・政次郎への想い、
賢治が童話を生み出すことになった要因など、
本書の語るべきすべてが要約されている。

本書を読み終えたら、
あらためて、また、宮沢賢治の詩集を読みたくなった。

賢治の生前に刊行されたのは、
詩集『春と修羅』と、童話集『注文の多い料理店』のみ。
春と修羅』はあまり売れず、
献本した著名人からも梨のつぶてであった。
そんな中、辻潤が読売新聞で絶賛の記事を載せた。


若し私がこの夏アルプスへでも出かけるなら、私は「ツアラトウストラ」を忘れても「春と修羅」を携へることを必ず忘れはしないだらう。

私も、今年の夏に、北アルプス南アルプスへ行くことがあるならば、
宮沢賢治の詩集を持って行こうと思った。



そう思わせてくれた『銀河鉄道の父』に感謝したい。


長々と引用してしまったが、
このレビューにも書いたように、
37歳で病没することになる賢治の短くも紆余曲折に満ちた生涯は、
父・政次郎の視点から描かれると、
これまで読んだ宮沢賢治に関する本とは違った面白さがあり、
私にとっても格別な読書体験になった。
〈この小説を映像化すると、どんな作品になるのか……〉
とても興味があった。

このように見たい理由はたくさんあったのだが、
GWの公開ということで、人ごみが嫌いな私は、
〈人出が落ち着いてから見よう……〉
と、後回しにしているうちに、あっという間に3週間が経ってしまった。(笑)
で、先日、ようやく見ることができたのだった。



質屋を営む裕福な政次郎(役所広司)の長男に生まれた賢治(菅田将暉)は、
跡取りとして大事に育てられるが、


家業を「弱い者いじめ」だと断固として拒み、
農業や人造宝石に夢中になって、
父・政次郎と母・イチ(坂井真紀)を振り回す。


さらに、宗教に身を捧げると東京へ家出してしまう。
そんな中、
賢治の一番の理解者である妹のトシ(森七菜)が、当時は不治の病だった結核に倒れる。
賢治はトシを励ますために、一心不乱に物語を書き続け読み聞かせる。


だが、願いは叶わず、みぞれの降る日にトシは旅立ってしまう。
「トシがいなければ何も書けない」
と、慟哭する賢治に、
「私が宮沢賢治の一番の読者になる!」
と、再び筆を執らせたのは政次郎だった。
「物語は自分の子供だ」
と、打ち明ける賢治に、
「それなら、お父さんの孫だ。大好きで当たり前だ」
と、励ます政次郎。
だが、ようやく道を見つけた賢治に、トシと同じ運命が降りかかる……




とても良い映画であった。
とにかく、
宮沢賢治の父・政次郎を演じた役所広司と、
宮沢賢治を演じた菅田将暉の演技が素晴らしい。
菅田将暉が演じる宮沢賢治は、私が思い描いていた宮沢賢治とは少し違っていたが、
菅田将暉が演じる宮沢賢治にも説得力があり、私も違和感を抱くことなく納得させられた。
菅田将暉の渾身の演技を、がっしり受け止め、
包み込むように演じる役所広司も素晴らしく、感動させられた。
それだけでも十分なのに、
賢治の妹・トシを演じた森七菜の演技が期待以上で、
〈見て良かった!〉
と思わされた。



宮沢賢治の父・政次郎を演じた役所広司


役所広司というと、大作のイメージがあり、
どっしりとした演技を想像しがちだが、(それも間違いではないのだが……)
ユーモラスでコミカルな演技も持ち味で、
銀河鉄道の父』ではそれが遺憾なく発揮されているように感じた。


日本文学史上の宮沢賢治であっても、
父・政次郎にとっては、愛すべき“バカ息子”であり、
政次郎も、我々から見ると“親バカ”にしか見えない。
愛すべき“親バカ”と、愛すべき“バカ息子”の、コミカルな掛け合いが、
見る者の笑いを誘い、涙を誘う。
役所広司なればこその父・政次郎であったと思う。


こう書いていたところに、
役所広司にカンヌ男優賞! 日本人19年ぶりの快挙」
との速報が入ってきた。
第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門出品されていたヴィム・ヴェンダース監督作品『パーフェクト・デイズ(原題) / Perfect Days』で主演を務めた役所広司が男優賞に輝いたとのこと。


日本人のカンヌ男優賞受賞は、2004年の是枝裕和監督作『誰も知らない』の柳楽優弥以来、
19年ぶり2人目の快挙。
公開は未定だが、
ヴィム・ヴェンダース監督作品『パーフェクト・デイズ』も楽しみに待ちたいと思う。



宮沢賢治を演じた菅田将暉


昨年(2022年)、『百花』(2022年9月9日公開)の舞台挨拶に現れたとき、
その容姿の変貌ぶりに驚かされた。
頭が丸刈りで、極端に痩せていたからだ。


〈体調でも悪いのか……〉
と心配したが、
本作『銀河鉄道の父』を見て、
〈この映画の撮影中であったのだな……〉
と、納得させられた。
夢を語るときのキラキラした目、


宗教にのめり込んだときの必死の形相、


病に伏したときの何かを悟ったかのような表情……


37歳で病没することになる賢治の短くも紆余曲折に満ちた生涯を、
菅田将暉は渾身の演技で表現する。
〈やはり菅田将暉は凄い役者だ!〉
と思わされる。
彼の演技を見るだけでも「本作を見る価値はある」と言える。



賢治の妹・トシを演じた森七菜。


賢治とは2歳違いのすぐ下の妹であったことから、きょうだいの中では最も親しい存在。
賢治にとっては、創作の原動力であり、よき理解者であった。
そんなトシを、森七菜は、時に力強く、時に儚く演じ、
見る者の感情を揺さぶる。


殊に、物語中盤で、祖父・喜助(田中泯)を説き伏せるシーンは圧巻。
ネタバレになるので詳しくは書けないが、
田中泯を相手に衝撃的ともいえる演技で魅せる。
一方、役所広司との共演シーンも素晴らしく、
田中泯役所広司という大御所を相手に、
気後れすることなく、一歩も譲らず、対等に渡り合う。
是枝裕和監督が、かつて、
「彼女の中には小さな樹木希林がいる」
と、森七菜の演技に対してコメントしたことがあったが、言い得て妙。
2001年8月31日生まれなので、まだ21歳であるが、(2023年5月現在)
すでに演技派女優としての風格と存在感がある。
森七菜の今後が楽しみでならない。



奔放な宮沢賢治を優しく見守ってきた母・イチを演じた坂井真紀。


終盤まではそれほど目立たない存在であったが、
賢治の今際のときに、
「私は……賢さんの、母だはんで」
という一言のセリフで、その場をすべてさらっていく。
この一言に集約させた坂井真紀の演技は見事で、(感動のあまり)鳥肌が立った。
坂井真紀は若い頃も良かったが、
50代となった今の方が、より素晴らしい。



政次郎(役所広司)の父・宮沢喜助を演じた田中泯


政次郎は賢治に対しては“親バカ”なので、
“明治の男”という感じはしないが、
賢治にとっても、政次郎にとっても、行く手を阻む存在の喜助こそが、
真の意味での“明治の男”であり、真の意味での“父”であり、二人にとっての壁であった。
そんな喜助を、(俳優というより)ダンサー・田中泯は、
手の指先、足の指先まで神経を張り巡らせ、躰全体を使って表現する。
普通の俳優では届くことのできない境地へ至り、
見る者に畏怖の念を抱かせる。


役所広司がカンヌ男優賞を受賞したヴィム・ヴェンダース監督作品『パーフェクト・デイズ』にも出演しているようなので、こちらも楽しみ。



役所広司を中心に、
菅田将暉、森七菜、坂井真紀、田中泯などが、それぞれの個性を持ち寄り、
ひとつの家族とも言える『銀河鉄道の父』という作品を創り上げた。


字数の関係で、サブタイトルを、
……賢治の妹・トシを演じた森七菜の素晴らしさ……
としたが、
そこに、役所広司の名はもちろん、
菅田将暉、坂井真紀、田中泯の名も入れたかった。
それほど出演者各人の演技が際立っていた作品であった。
最近は、若者をターゲットにした映画が多く、
大人の鑑賞に堪えうる映画が少なくなっているが、
本作は、その数少ない(大人の鑑賞に堪えうる)一作であると思われる。
機会があればまた鑑賞したいと思っている。



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