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市川崑監督作品『破戒』(1962年) ……藤村志保のデビュー作にして傑作……




昔は名作文学がしばしば映画化されたものだが、
近年は数が少なくなっている。
島崎藤村の名作「破戒」は、
1948年に木下恵介監督、1962年に市川崑監督によって映画化されているが、
その後は久しく映画化されることはなかった。
今年(2022年)7月8日、60年ぶりに(3回目の映画化となる)『破戒』が公開された。


監督は前田和男で、主演は間宮祥太朗
私の好きな石井杏奈もお志保役で出演していると知り、
〈見たい!〉
と思った。
で、見に行く前に、予習として市川崑監督作品の『破戒』(1962年4月6日公開)を見た。
「傑作」であった。
そこで、
〈忘れないうちに市川崑監督作品の方のレビューを先に書いておこう……〉
と思った。
脚本は、市川崑監督の配偶者でもあった和田夏十
撮影は宮川一夫
音楽は芥川也寸志
主演は市川雷蔵で、
ヒロインとも言うべき“お志保”の役は藤村志保
その他、
長門裕之船越英二三國連太郎中村鴈治郎岸田今日子宮口精二加藤嘉杉村春子
など豪華な顔ぶれが共演者として名を連ねている。



天の知らせで、10年ぶりで父に会おうと、
信州烏帽子嶽山麓の番小屋にかけつけた、飯山の小学校教員・瀬川丑松(市川雷蔵)は、
ついに父の死に目に会えなかった。


丑松は父の遺体に、
「阿爺さん丑松は誓います。隠せという戒めを決して破りません、たとえ如何なる目をみようと、如何なる人に邂逅おうと、決して身の素性をうちあけません」
と呻くように言った。


下宿の鷹匠館に帰った丑松を慰めに来たのは、同僚の土屋銀之助(長門裕之)であった。
だが、彼すら被差別部落民を蔑視するのを知った丑松は淋しかった。


丑松は下宿を蓮華寺に変えた。
士族あがりの教員・風間敬之進(船越英二)の娘・お志保(藤村志保)が、
住職の養女となって寺にいたが、


好色な住職(中村鴈治郎)は彼女を狙っていた。




部落民解放」を叫ぶ猪子蓮太郎(三國連太郎)に敬事する丑松であったが、


猪子から、
「君も一生卑怯者で通すつもりか」
と問いつめられるや、


「私は部落民でない」
と言いきるのだった。


飯山の町会議員・高柳(潮万太郎)から、
「自分の妻が被差別部落民だし、お互いに協力しよう」
と申しこまれても、丑松はひたすらに身分を隠し通した。


だが、丑松が被差別部落民であるとの噂がどこからともなく流れた。
校長(宮口精二)の耳にも入ったが、銀之助はそれを強く否定した。


校長から退職を迫られ、酒に酔いしれる敬之進は、
介抱する丑松に、
「お志保を嫁に貰ってくれ」
と頼むのだった。


町会議員の応援演説に飯山に来た猪子は、高柳派の壮漢の凶刃に倒れた。


師ともいうべき猪子の変り果てた姿に丑松の心は決まった。
丑松は「進退伺」を校長に提出し、
生徒の前で、「自分は被差別部落民である」と告白する。


そして、丑松は職を追われた。
骨を抱いて帰る猪子の妻(岸田今日子)と共に、
丑松は降りしきる雪の中を東京に向った。


これを見送る生徒たち。


その後に涙にぬれたお志保の顔があった……




原作である島崎藤村「破戒」の被差別部落問題の取り上げ方には様々な問題があり、
抗議を受けて絶版になったり、差別語を書き換えたりと、
「文学と差別」をめぐって紆余曲折を経た作品で、(詳しい経緯は新潮文庫の解説を参照)
市川崑監督版『破戒』でも、
丑松が教え子たちに土下座して謝罪するシーンには、
(原作にそう書いてあるとしても)多少違和感があった。




本当は謝罪する必要もないのだが、
(時代背景を考慮したとしても)土下座までする必要はなかったのではないか……
と思ってしまう。


ただ、こういった問題は多々あるものの、
島崎藤村の小説の文学的価値は失われることはないし、
市川崑監督作品『破戒』の映画的価値も失われることはない。

映画化にあたり市川崑監督は、


差別をするなと訴えるだけじゃなくて、自分たちがもっと自信を持てばいいじゃないか、ただ悲しむだけじゃなくて、もっと強くなれ、そしたらいつか同じ立場になる。

主人公……丑松自身にひそむ人間的な弱さをきびしく一般化して、今日的課題に発展させようと思う。これは青春の魂のさすらい物語である。

と語っていたそうだが、
市川崑監督作品『破戒』は、
原作を厳しい目で捉え直し、
島崎藤村の原作が書かれた当時(1905年)よりも、
(57年後の1962年の)現代的な視点で再構成しており、
むしろそういった部分を私は評価したいと思った。

例えば、冒頭シーン。


黒く大きな種牛が捕らえられようとして、必死にもがき、
その牛から発散される怒り、おびえ、哀しみが見る者に迫ってくる。
自分の身上を隠さざるをえない人々が負わされる苦悩が、実に巧く表現されている。


そして、突進してきたこの牛の角によって、丑松の父(浜村純)は死ぬ。
ハラハラさせられるし、ドキドキもさせられる。
いかにも市川崑らしい映像なのであるが、
この冒頭シーンで、父の“戒め”が後に破られことを予感させる。


本作『破戒』は、
大映の時代劇スターであった市川雷蔵の、
『炎上』(吃音の青年役)、『ぼんち』(女遍歴を重ねる息子役)に続く、
市川崑監督作品における3回目の主演作品であったが、
被差別部落出身の青年という難しい役を、
市川雷蔵は前2作に勝るとも劣らない演技でやりきっている。
市川雷蔵のファンならずとも、見逃せない作品となっている。



本作は、雷蔵の推薦で起用された藤村志保のデビュー作でもあり、


芸名の「藤村志保」は、原作の島崎藤村と、演じた役の“お志保”から取られている。




このお志保を演じる藤村志保が、とにかく可憐で美しい。


本作の演技によって、
ホワイト・ブロンズ賞助演女優賞
日本映画プロデューサー協会新人賞などを受賞。
以降、大映のスターとして活躍し、


後にTVドラマにも進出。
1965年、『太閤記』のねね役を演じたのをきっかけに大河ドラマ7本に出演。








風林火山』での演技が認められ、第59回NHK放送文化賞を受賞している。


映画では、私の故郷である長崎県佐世保や平戸でロケされた、
男はつらいよ』シリーズの20作目『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』が忘れ難い。


この映画のマドンナであり、


島田良介(中村雅俊)の姉で、長崎県平戸でお土産物屋兼貸自転車の店「おたち」を営む島田藤子の役であったのだが、平戸の美しい風景にマッチした素敵な役であった。



藤村志保に負けず劣らず美しかったのが、
猪子蓮太郎(三國連太郎)の妻を演じた岸田今日子


この映画の撮影時は、30歳前後の女盛りの頃。
〈丑松は(岸田今日子演じる)猪子蓮太郎の妻に惚れてしまうのではないか……〉
と心配してしまうほどに魅力的だった。



本作の音楽を担当したのは芥川也寸志なのだが、
音楽が流れてきた瞬間、私は映画『砂の器』(1974年)の音楽を思い出していた。
調べてみると、芥川也寸志は『砂の器』の音楽監督もしており、(作曲は菅野光亮)
砂の器』と似たシーンもあり、


被差別部落ハンセン氏病の違いはあるものの、
差別される者の苦悩を描いている点では共通しており、
同じ思いが音楽にも込められているのではないかと思った。



部落差別(同和問題)だけではなく、
現代では、
男女差別、
ジェンダーへの偏見、差別
子どもに対してのいじめ、体罰児童虐待、性的搾取、
高齢者に対しての職業差別、介護施設や家庭内での身体的虐待や心理的虐待、
障害者に対しての職業差別、職場での差別待遇、乗車拒否、入居拒否、サービス拒否、
HIV感染者、ハンセン病患者に対しての様々な場所での差別、プライバシーの侵害、
刑期を終えた人に対する偏見や差別、就職の差別、入居拒否、
ホームレスに対する嫌がらせ、暴行事件、
特定の国籍の人などに対する差別的な言動、ヘイトスピーチなど、
偏見や差別が多様化、複雑化する中、
ネット上でも、差別的な言動、全人格を否定するような言葉が飛び交い、
自殺者を出すほどまでに深刻化している。

島崎藤村と同時期に小説を書き始めた夏目漱石は、
弟子宛ての書簡で、「破戒」のことを、
「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也……明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思ふ」
と称賛したと言う。
明治時代の名作であるが、
テーマはいささかも古びてはおらず、
『破戒』は、このような現代だからこそ、
読まれる文学であり、見るべき映画だと思われる。




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