
原作が佐藤泰志の小説で、
舞台(ロケ地)が函館である映画は、これまでに、
熊切和嘉監督作品『海炭市叙景』(2010年12月18日公開)
呉美保監督作品『そこのみにて光輝く』(2014年4月19日公開)
山下敦弘監督作品『オーバー・フェンス』(2016年9月17日公開)
三宅唱監督作品『きみの鳥はうたえる』(2018年9月1日公開)
があり、(タイトルをクリックするとレビューが読めます)

すべて、函館シネマアイリスが企画し映画化したもので、
驚くべきことに、4作すべて傑作なのである。
しかも、それぞれ、私の好きな女優、
『海炭市叙景』には、谷村美月、
『そこのみにて光輝く』には、池脇千鶴、
『オーバー・フェンス』には、蒼井優、
『きみの鳥はうたえる』には、石橋静河が出演しており、
「鑑賞する映画は出演している女優で決める主義」の私を大いに楽しませてもくれた。
函館シネマアイリス企画の5作目となる斎藤久志監督作品『草の響き』も、

私の好きな女優・奈緒が出演しており、(主演は東出昌大)

期待できると思った。
今年(2021年)の10月8日に公開された作品であるが、
佐賀では、(いつものごとく)約2ヶ月遅れで、シアターシエマで上映され始めた。
で、先日、やっと見ることができたのだった。

工藤和雄(東出昌大)は、
昔からの友人で今は高校の英語教師として働く佐久間研二(大東駿介)に連れられ、
病院の精神科へやってくる。

和雄は東京で出版社に勤めていたが、徐々に精神のバランスを崩し、
妻の工藤純子(奈緒)と共に故郷の函館に帰ってきたばかりだった。
精神科で医師の宇野(室井滋)と面談した和雄は、自律神経失調症だと診断され、
運動療法として毎日ランニングをするように指示される。

札幌から函館へ引っ越してきた小泉彰(Kaya)は、スケボーで街を走っていく。

転校したばかりで、学校ではどこか孤立気味の彰は、
同じバスケ部に所属する同級生から、
夏になったら海水浴場の近くにある巨大な岩から海へダイビングしてみないかと誘われる。

誘いを了承したものの実はカナヅチの彰は、市民プールへ練習しにでかけ、
そこで見事な泳ぎをする高田弘斗(林裕太)と出会う。
弘斗は以前中学でいじめに遭い、不登校になった経験があるという。
弘斗は、泳ぎを教える代わりに自分にスケボーを教えてほしいと頼む。
弘斗の姉、恵美(三根有葵)も加わり、
3人は人工島「緑の島」の広場で遊ぶようになる。

医師の指示通り、和雄は仕事をしばらく休み、毎日同じ場所を走り始める。
少しずつ距離を伸ばしていく和雄だが、
走る以外は何もできず、家事をすることも、純子を気遣うこともできない。
函館山のロープウェイで案内スタッフとして働く純子は、
黙々と走る夫と、愛犬ニコとともにどうにか生活を続けていた。
東京出身の純子には、夫とその両親以外、函館には頼れる人が誰もいない。

広場で花火をする彰たち。

その周囲を走る和雄に気づき、彰と弘斗は追いかけるように走り出す。
すぐに脱落してしまう弘斗をよそに、彰は必死で和雄と並んで走り続ける。
この日を境に、3人は時々一緒に走るようになる……

原作者の佐藤泰志(1949年4月26日~1990年10月10日)は、
5度にわたって芥川賞の候補に挙げられながら、
いずれも落選の無念を味わい、
1990年に41歳で自ら命を絶っている。

そんな佐藤泰志自身を投影したような小説群は、
挫折し、傷ついた人が多く出て来るし、
絶望や倦怠が重くのしかかる「暗さ」が基調にあるので、
万人受けするものではなく、読者を選ぶところがあった。
それは、映画化された作品にも言えることで、
「人を選ぶ」映画という感じが少なからずある。
ただ、映画化された作品には、
ラストに、光明ともいえるような「明るさ」を予感させているものが多く、
「暗さ」を、単なる「暗さ」にするのではなく、
ラストの「明るさ」を一層際立たせるための「暗さ」にしており、
本作『草の響き』もそれは例外ではなかった。
私にとっては感動作であったし、傑作であったと思う。

良かったことの第一に、
主人公の工藤和雄を演じた東出昌大が挙げられる。

女優・唐田えりかとの不倫騒動のときは、ネット民から集中砲火を浴び、
「棒読み」「大根役者」など、散々な言われようであったが、(コラコラ)
TVドラマやメジャーな映画に出演しているときは、
(私も)それほど上手い俳優とは思わないのだが、
黒沢清監督作品『散歩する侵略者』(2017年)
石井岳龍監督作品『パンク侍、斬られて候』(2018年)
瀬々敬久監督作品『菊とギロチン』(2018年)
濱口竜介監督先貧『寝ても覚めても』(2018年)
𠮷田恵輔監督作品『BLUE/ブルー』(2021年)
など、優れた監督の映画、マイナー気味の作品では、素晴らしい演技を見せるし、
別の俳優ではないか……と思えるほどに豹変する。
斎藤久志監督作品『草の響き』もこの列に並ぶもので、
本作が傑作になっているのは、東出昌大の演技の由るところ大であった。

いや、それは(考えてみるに)演技ではなかったかもしれない。
斎藤久志監督は、俳優たちに、
「お芝居をしないでくれ」
と言っていたとのことで、出演者は、誰もが、
なるべくナチュラルにカメラの前にいるということを意識していたとか。
だからだろう、なんだかドキュメンタリーを見ているようで、そこに不自然さがなく、

演じているのではなく、工藤和雄に成りきった東出昌大がそこにいた。

それができる東出昌大はやはり凄いと思った。

良かったことの第二は、
(やはり)工藤和雄の妻・純子を演じた奈緒だ。

原作では工藤和雄は独身なので、映画でのみの役であるのだが、
もし工藤和雄のみの映画であったならば、
息苦しく窒息しそうな映画になっていたかもしれない。
妻・純子がいたことで、純子を奈緒が演じたことで、
本作が救いのある作品になっていたと思う。


原作では舞台は八王子なのだが、映画ではそれを函館に移しており、
しかも配役の純子は原作にはない役ということで、
奈緒は、撮影に入る前に、函館に一人旅をしたという。
タクシーで、色々と函館をまわったのですが、運転手が偶然にも斎藤監督と同じサイトウさんでご縁を感じました(笑)。九州出身の私からすると、北海道の海は印象が全然違いました。一種の神々しさと恐ろしさのようなものを感じて、函館は、人がすごく優しい反面、独りでいる時のさみしさは非常につらいかもしれない。そんな風に純子は函館で過ごしていたのかもしれないと思ったりしました。
公開記念舞台挨拶のときにこう語っていたが、
彼女の演技には孤独感や孤立感がよく表現されていて秀逸であった。
奈緒にとっては、今年(2021年)は大活躍の年で、
映画では、
『劇場版 シグナル 長期未解決事件捜査班』(2021年4月2日公開)
『彼女来来』(2021年6月18日公開)
『先生、私の隣に座っていただけませんか?』(2021年9月10日公開)
『君は永遠にそいつらより若い』(2021年9月17日公開)
『マイ・ダディ』(2021年9月23日公開)
『草の響き』(2021年10月8日公開)
『あなたの番です 劇場版』(2021年12月10日公開)
の7作品に出演。

「正義の天秤」(2021年9月25日~10月23日、NHK総合)
「です!〜ヤンキー君と白杖ガール〜」(2021年10月6日~12月15日、日本テレビ)
などのTVドラマにも出演していたし、
番宣を含めたバラエティー番組、TVCM、ネット広告、各種雑誌など、
様々な媒体で奈緒を目にし、彼女を見ない日はないほどであった。
だが、現在は、便利に重宝されている女優といった感じで、
奈緒としての代表作は「まだ、ない」と言える。
私は、蒼井優や黒木華と同程度の実力がある女優だと思っているし、
近い将来、優れた監督に主演女優として迎えられ、
いろんな映画賞の「最優秀主演女優賞」を受賞する女優だと思っている。
『草の響き』は、その足がかりになった作品であったと思う。

本作のレビューのサブタイトルを、
……奈緒が素晴らしい女優であることを証明した傑作……
とした所以である。

私は、佐藤泰志の小説を読む度に、
恵まれない環境にある若者の切実さを描くという小説の内容、
硬質な文体や、言葉の選び方に、
(私の好きな作家である)野呂邦暢と似たものを感じていた。
野呂邦暢(1937年~1980年)は、(私と同じ)長崎県の生まれで、
各種の職業を転々としたのち、陸上自衛隊の体験を描いた「草のつるぎ」で芥川賞受賞し、
「鳥たちの河口」「諫早菖蒲日記」「落城記」など優れた作品を残したが、
1980年5月7日、諫早市の自宅で心筋梗塞のため急逝。(享年42歳)

佐藤泰志が41歳、野呂邦暢が42歳で亡くなっていて、
近年、再評価されているという共通点もあり、
似ていると感じたのであるが、
調べてみると、佐藤泰志も野呂邦暢が好きだったようで、
『海炭市叙景』のなかの「一滴のあこがれ」は、野呂邦暢の「一滴の夏」に由来するという。
だとすれば、
佐藤泰志の「水晶の腕」は、野呂邦暢の「水晶」を、
佐藤泰志の「きみの鳥はうたえる」「夜、鳥たちが啼く」は、野呂邦暢の「鳥たちの河口」を連想させるし、
もしかしたら、
佐藤泰志の「草の響き」(クサノヒビキ)は、野呂邦暢の「草のつるぎ」(クサノツルギ)に由来するのかもしれない。

私が佐藤泰志を好きなのは、野呂邦暢と同じものを感じたからであるし、
私が「佐藤泰志が原作の映画」を好きなのも、そこに遠因があるのかもしれない。
郊外の町や地方都市を舞台にした小さな物語を愛する者として、
映画『草の響き』は、東出昌大や奈緒の好演もあって、心に残る作品となった。
〈野呂邦暢の作品も、いつの日か、諫早を舞台(ロケ地)にして映画化されないかな……〉
と、思ったことであった。