
映画『サンザシの樹の下で』(2011年日本公開)を見たのは、

もう10年も前のことになる。
『初恋のきた道』(2000年日本公開)のチャン・イーモウ監督作品ということで見たのだが、
主演のチョウ・ドンユイの純朴な美しさが光る佳作であった。
チョウ・ドンユイは、『初恋のきた道』でのチャン・ツィイーに匹敵するヒロインであり、
私は、このブログで、
……水彩画のように淡く儚げな純愛……
とのサブタイトルを付してレビューを書き、
その中で、チョウ・ドンユイのことを次のように記している。
ヒロインのジンチュウを演じたチョウ・ドンユィは、
1992年河北省・石家荘生まれ。
本作が映画初出演。
過去にコン・リーやチャン・ツィイーを発掘してきたチャン・イーモウが、
今回、中国じゅうから探し出してきた逸材。

写真を見た限りではコン・リーやチャン・ツィイーほどの美はないような気がしたが、
スクリーンで見ると、チョウ・ドンユィの純真で汚れのない表情に魅入らされてしまう。
まぎれもなくそこに美があることに気づかされ、納得させられる。

続けて、
『初恋のきた道』と同じく、この映画も多くの人々の心に残る作品となるだろう。
語り継がれ、もう一度見たいと思わせられる「心の一作」になるような気がする。
今、スクリーンで見ておけば、
思い出す度に、一生あなたの心を豊かにしてくれるだろう。
幸せな気分にしてくれるに違いない。
良い映画とは、つまりそういう作品のことだ。
とも書いたのだが、
この『サンザシの樹の下で』の映像美と、
チョウ・ドンユイの純朴な美しさに出逢った体験は、
10年経った今でも、
良き思い出として心に残っているし、
私の心を豊かにしてくれ、幸せな気分にしてくれている。
そんなチョウ・ドンユイの新作主演映画が、
本日紹介する『少年の君』なのである。
日本では、今年(2021年)の7月16日に公開されたが、
佐賀では2ヶ月遅れの9月10日から(9月23日まで)公開された。
久しぶりにチョウ・ドンユイに逢うべく、
私は、上映館であるシアターシエマへ駆けつけたのだった。

2011年 安橋(アンチャオ)市。
進学校に通う成績優秀な高校3年生のチェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)。
全国統一大学入試(=高考)を控え殺伐とする校内で、
ひたすら参考書に向かい息を潜め卒業までの日々をやり過ごしていた。

そんな中、同級生の女子生徒が、
クラスメイトのいじめを苦に、校舎から飛び降り自らの命を絶ってしまう。
少女の死体に無遠慮に向けられる生徒たちのスマホのレンズ、
その異様な光景に耐えきれなくなったチェン・ニェンは、
遺体にそっと自分の上着をかけてやる。

しかし、そのことをきっかけに激しいいじめの矛先はチェン・ニェンへと向かうことに。

彼女の学費のためと犯罪スレスレの商売に手を出している母親以外に身寄りはなく、

頼る者もないチェン・ニェン。
同級生たちの悪意が日増しに激しくなる中、
下校途中の彼女は集団暴行を受けている少年を目撃し、
とっさの判断で彼シャオベイ(イー・ヤンチェンシー)を窮地から救う。

辛く孤独な日々を送る優等生の少女と、
ストリートに生きるしかなかった不良少年。

二人の孤独な魂は、いつしか互いに引き合ってゆくのだが……

優等生の少女と、チンピラの少年の組み合わせは、
『泥だらけの純情』(1963年)などの日本映画を持ち出すまでもなく、

ありふれた設定であるし、
いじめ、受験戦争、ストリートチルドレンなどの題材にも目新しさはなく、
むしろ古臭さを感じてしまう。

物語の展開にしても新鮮さはなく、
原作は、玖月晞の『少年的你,如此美麗』という小説なのであるが、
(私はそんな風には感じなかったものの)中国のネットでは、東野圭吾の「白夜行」や「容疑者Xの献身」のパクリではないかと炎上しているそうで、
誰もがどこか既視感を抱いてしまうストーリーであるのは事実のようだ。
しかも、本作の冒頭とラストには、
「この映画がいじめ問題の抑止になることを願う」
「“いじめ問題”には法を整備して取り組んでいる」
というような趣旨の文言が表示され、
しらけてしまう。
ありふれた設定、
手垢の付いた題材、
ステレオタイプの展開、
中国政府に忖度したようなクレジット。
これだけ不利な材料が揃っていれば、
普通は凡作にしかなりえないのであるが、
本作は、観客に、深い感動を与えるのだ。
何故か?
まずは、映像美。
照明のコントラストを強くしたシャープな映像で、
カラーでありながらモノクロのような色彩。

スタイリッシュな構図が作品の緊張感を強調するために多用され、
フィルム・ノワールを思い起こさせる。
本作の映像は、見ていて飽きることがない。

壮絶ないじめ、
苛烈な受験戦争、
ストリートチルドレンの暴力などによる、
ドキドキ、ハラハラさせられる展開、
フィルム・ノワールを思い起こさせる映像によって、
過酷な社会問題を描いたサスペンス……と思いきや、
これが驚くべきことに、
『サンザシの樹の下で』に勝るとも劣らない純愛映画でもあったのだ。
孤独な優等生の少女と、ストリートに生きる不良少年。
出逢う筈のなかった二人の邂逅、
そして、二人のお互いを思いやる心は、
泥中に咲く蓮のように美しく、
見る者を感動させる。

そして、若い二人の主人公を演じるチョウ・ドンユイとイー・ヤンチェンシーが素晴らしい。

特に、チョウ・ドンユイの演技には驚嘆した。

チョウ・ドンユイは、1992年1月31日生まれの29歳。(2021年9月現在)
撮影時は26~27歳くらいだったと思うが、
それでも本来なら高校生を演じるにはかなり困難な年齢。
それが、まったく違和感なく見ることができたし、
『サンザシの樹の下で』の頃とそれほど変わりがないように思った。
元々“童顔”ということもあろうが、
10代の少女に成りきるその繊細な演技に魅せられたし、感心させられた。

チェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)は、終始、無表情だ。

だが、チョウ・ドンユイは、無表情でありながら、
その無表情を崩さずに、様々な感情表現をするのだ。
無表情のままに、喜怒哀楽を表現するのだ。

この演技を見るだけでも本作を見る価値はあるし、
本作が高評価される大きな要因のひとつとなっている。


そんな無表情の彼女が、唯一、微笑むシーンがある。
警察の取調室でシャオベイと対峙し、

アクリル板越しに、かすかに微笑みを交わす場面なのであるが、
このシーンの、なんと尊かったことか!

この名シーンを演出したデレク・ツァン監督も称賛に値する。

【デレク・ツァン】
1979年11月8日、香港生まれ。
トロント大学を卒業後、香港で俳優として活動を始める。
『THE PARK ザ・パーク』(2002年)
『AV』(2005年)
『イザベラ』(2006年)
『ドリーム・ホーム』(2010年/兼脚本)や、
韓国映画『10人の泥棒たち』(2012年)など多数の作品に出演。
2010年には、ジミー・ワンと共同で手掛けた『恋人のディスクール』で監督デビュー。
金馬奨最優秀新人監督賞にノミネートされるなど、好評を博すと、
単独監督デビュー作『七月と安生(英題:SOUL MATE)』(2016年)では、
アジア・フィルム・アワード最優秀監督賞ノミネート、
香港映画監督組合賞最優秀監督賞受賞など、
その評価を不動のものにする。
本作『少年の君』でも米アカデミー賞へのノミネートを始め、
およそ80の賞にノミネートうち50以上を獲得。
今もっとお注目を集めるアジア人監督の一人となった。
父親は、『インファナル・アフェア』シリーズなどで知られる名優エリック・ツァンで、
俳優、映画監督、プロデューサー、司会者など、多方面で活躍している人物であるが、

息子のデレク・ツァンもまた俳優から出発し、父親と同じような道を歩もうとしている。
映画監督に関しては、父親よりも才能があると思うし、(コラコラ)
今後の活躍が大いに期待される。

映画の冒頭、
教室で英語を教えるチェン・ニェン(チョウ・ドンユイ)の現在(2015年)の姿が映し出され、生徒たちに「was」と「used to be~」の違いを説明している。
「was」が「単なる過去」を表しているのに対して、
「used to be~」は「かつて~だった」という「過去の状態」を表すばかりでなく、
現在と過去を対比して「and ( but ) now ~」(でも今は~だ)を念頭に置いた言い方。
例文「This is used to be our playground」(ここは私たちの遊び場だった)
を何度も復唱させながら、
彼女の視線は、ある女生徒に注がれる。
その女生徒の様子が、かつての自分と重なり、
チェン・ニェンは自身の高校3年生(2011年)の日々を思い出していく……

なんとも意味深なシーンで始まるが、
この冒頭シーンの意味は、135分後、映画のラストに至って理解される。
いじめ撲滅のための教育映画の衣を借りた、(笑)
デレク・ツァン監督の思いが詰まった見事なエンターテインメント作品であった。