
佐賀県唐津市に、
1997年に最後の映画館が閉館して以来、22年ぶりとなる映画館「THEATER ENYA」(シアター・エンヤ/演屋)が開業したのは、昨年(2019年)の10月末だった。
公募によって決まった館の名前は、
世界文化遺産ユネスコ認定のお祭り「唐津くんち」のかけ声にちなんだもので、
客席数62席と小規模ながらも、
35㎜映写機の上映も可能な映画館。
シアター・エンヤの前身は、
「唐津シネマの会」という団体で、
週に2回、市民ホールで映画の上映を実施していた。
この「唐津シネマの会」については、
2017年12月に、大林宣彦監督作品『花筐 HANAGATAMI』のレビューを書いたときに、
私は次のように記している。

映画館のない唐津市には、
「唐津シネマの会」というものがあり、
定期的に映画の上映会を開催している。
「唐津シネマの会」では、これまで、
メンバーにファンの多い大林宣彦監督作品の
『この空の花-長岡花火物語-』(2012年公開)
『時をかける少女』(1983年公開)
『22才の別れ』(2007年公開)
などを上映してきたが、
2015年3月に『なごり雪』(2002年公開)を上映する際、
大林監督を招いて、上映後にティーチインを開催した。
大林監督は、その際、40年前に書かれた『花筐』のシナリオを持参する。
壇一雄の小説を原作とするこのシナリオは、
大林監督に依頼されて桂千穂(1929年生まれの男性脚本家)が書いたものであったが、
諸事情で映画制作が実現せず、長い間眠っていたものであった。
造本もされていないそのシナリオを、
大林監督は「唐津シネマの会」に渡して帰ったという。
そのシナリオを読んだ「唐津シネマの会」のメンバーたちから、
「ぜひ映画化しましょう」
との声が上がり、
製作推進委員会が発足し、
募金や、ふるさと納税を通じて、撮影資金として1億円を集めたのだ。

2016年7月に制作発表が行われ、

窪塚俊介、満島真之介、長塚圭史、常盤貴子などが出演することが決定。
同年8月よりロケがスタートし、

虹ノ松原や西の浜海水浴場など、唐津市内を中心に約40カ所で撮影された。

そして、『花筐 HANAGATAMI』を見た翌月(2018年1月)に、
映画『世界は今日から君のもの』のレビューを書いたときには、
次のようにも記している。
昨年末(2017年12月27日)に映画『花筐 HANAGATAMI』のレビューを書いたとき、
この作品が生まれるきっかけとなった「唐津シネマの会」について触れた。
(映画館のない唐津市には「唐津シネマの会」というものがあり、定期的に映画の上映会を開催している)
その際、「唐津シネマの会」のHPで、
今年(2018年)1月の上映予定作品に『世界は今日から君のもの』があるのを発見した。
この作品は、門脇麦が、ひきこもりになったオタク女子を演じており、
尾崎将也のオリジナル脚本で、監督も尾崎将也が務めている。
昨年(2017年)7月15日に公開された作品だが、
九州では上映館がなく、見ることができなかった作品であった。
門脇麦は私の好きな女優であるし、ぜひ見たいと思っていたのだが、
意外なかたちで見る機会に恵まれたのである。
『花筐 HANAGATAMI』は唐津でロケされた作品であるが、
その『花筐 HANAGATAMI』に門脇麦は重要な役で出演している。
たぶん、その縁で、彼女の主演作が「唐津シネマの会」で上映されることになったのだろう。
諦めていた作品だったので、私の喜びもひとしおであった。
このときは、
(唐津市役所の横にある)オーテビル3Fオーテホールという上映会場で見たのだが、
正直、映画鑑賞するには、あまり適した環境とは言えなかった。
そんな体験があったので、
シアター・エンヤには期待していた。
〈いつか行ってみたい〉
と思っていたのだが、
今年(2020年)2月に、良い知らせが届いた。
『モデル 雅子 を追う旅』という映画の上映が決まったのだ。

映画『モデル 雅子 を追う旅』は、
2019年7月26日に公開された作品で、
2015年に希少がんの闘病の末、50歳の若さで他界したモデル、雅子の半生を追ったドキュメンタリー。
公開された約1年前には、佐賀県での上映館はなく、
その後、DVD&Blu-ray化されることもなく、
〈見たい!〉
と思い続けていた作品であった。
シアター・エンヤでの『モデル 雅子 を追う旅』の上映は、
当初4月24日から4月28日までの予定であったが、
新型コロナウイルスの影響で、シアター・エンヤも休業を余儀なくされ、
5月22日に営業を再開した際に、
5月29日から6月4日まで上映されることが発表された。
1日1回の上映で、この期間での私の公休日は5月31日と6月4日だけであった。
5月31日は用事があって行けず、
上映最終日の6月4日に、シアター・エンヤに駆けつけたのだった。

6月4日(木)は、
午前中は天山に登り、
午後は読書や音楽鑑賞をして過ごし、
夕方になって車で唐津に向かった。
『モデル 雅子 を追う旅』の上映は18:00からの1回のみで、
当初、電車で行こうかと思っていたのだが、
帰りの電車を(本数が少なくて)駅で1時間近く待たなければならず、
往復運賃も映画のシニア料金1回分ほどあり、
新型コロナウイルスの感染予防的な見地からも、
車で移動することに決めた。
映画館近くの有料駐車場に車を駐め、
シアター・エンヤのある「KARAE:カラエ」に向かう。
唐津の街の中心に位置する「KARAE:カラエ」は、
ホテルやカフェレストランやアンテナショップや案内所が入った複合商業施設で、
シアター・エンヤはこの施設の1階にある。
小さいながらも、素晴らしい映画館だ。


客席も立派だ。
客数は5~6人であったが、小さな映画館なので、
お互いに程良く距離がとれて、良かったと思う。

2015年1月29日の夜明け前、
「雅子」は稀少がん闘病の末に旅立った。

19歳でモデルとしてデビューし、


夫である大岡大介は、
夫婦として共に生きながら、
モデルとしての雅子をほとんど知らないままだったことに気づく。

そして、「モデル・雅子」の半生を追い、映画にして伝えてゆくことを決意する。
自宅に積まれたままの「雅子」が登場した雑誌やビデオなどを片っ端から調べ、
衝動のままに「雅子」を知る人々、
安珠(写真家)、

田村翔子(モデル・女優)、

藤井かほり(女優・モデル)、

高嶋政宏(俳優)、

中田秀夫(映画監督)、

石井たまよ(モデル)、

竹中直人(俳優・映画監督)

など(計37人)に、監督としてインタビューを重ねてゆく。
数多くの関係者が、口を揃えて言うのは、
モデルという仕事に対して常に真摯にストイックに立ち向かっていたということ。
そして、
〈自分はこんな存在でいたい〉
〈こういうふうに撮られたい〉
と、自分が目指す姿を想定して、
それを実現するためにひとつひとつの課題をクリアし、
毎日毎日、しっかりと生きることを自分に課していた、
職人であり、仕事人の姿だった……

若い頃から、
死ぬ間際までの雅子の写真、
そして、
雅子を語る人々、
雅子が出演した映画やCMなどの映像が、
淡々と、スクリーンに現れては消えていく。
興味のない人物や、
魅力の乏しい人物のドキュメンタリーなら、
途中で飽きてくるものだが、
本作『モデル 雅子 を追う旅』は、
上映時間の88分間、まったく飽きずに、集中して見ることができた。
それは、やはり、「雅子」という女性が、とても魅力的であったからであろう。

【雅子】
1964年7月30日、東京・日本橋に生まれる。
1984年、19歳のときデビュー。
20代では、「an an」「装苑」「流行通信」等、
30代は、「LEE」「クロワッサン」「ミセス」等、
40代では、「家庭画報」「美しいキモノ」「和樂」「エクラ」「GLOW」「大人のおしゃれ手帖」等に登場。
ファッショングラビアだけでなく、
趣向や生き方についてのインタビューやコラムにも取り組み続けた。
映像ではテレビCM「セイコー ティセ」(1984年)を皮切りに多数出演。
「日清ごんぶと」(1995年)や「サントリー 膳」(2001年)で強い印象を残した。
映画『月の人 / フィガロ・ストーリー』(1991年)で女優デビュー。
『リング』(1998年)で貞子の母・志津子を演じる。
邦洋問わず年150本以上を鑑賞し続けた造詣の深さから、
2012年、東京国際映画祭 natural TIFF部門の審査員を務める。
時代の変遷の中で女性としての自然な生き方を追求し続けた。
2014年、書籍「雅子 スタイル」(宝島社刊)を上梓した。
2015年1月29日、希少がん闘病の末に死去。享年50。

私自身は、
中田秀夫監督作品『リング』(1998年、1999年、2000年)シリーズや、
竹中直人監督作品『サヨナラCOLOR』(2005年)、
それに「ごんぶと」などのTVCMを見ていたので、
雅子という女優がいることは知っていた。
だが、モデルとしての彼女のことは、
(モデルとして活躍した雑誌のほとんどが女性誌ということもあって)ほとんど知らなかった。
時折、どこかの待合室のような所に置いてある雑誌で見かけて、
〈美しい人だなぁ~〉
と思いはしたが、それ以上の感情は湧かず、
彼女が亡くなったことすらも知らなかった。

昨夏、
新作映画を調べている段階で『モデル 雅子 を追う旅』という映画の存在を知ったのだが、
そのポスター写真に魅せられた。
女性写真家・安珠が撮った「雅子」がとてつもなく美しく、
その透明感あふれる美に惹かれた。

写真家・安珠は、モデルデビューした頃の「雅子」を、
事あるごとに呼び出し、
プライベートで撮り続けていたという。
その膨大な数の写真のどれもが美しい。
安珠が撮った若き日の「雅子」の姿が、
このドキュメンタリーの骨格を成していると言っても過言ではない。

「雅子」が凄いのは、
このデビューした頃に負けず劣らず、
20代、30代、40代、50代と、
美しさに磨きがかかっていたことだ。








