以下の内容はhttps://taku6100.hatenablog.com/entry/2019/05/15/170522より取得しました。


映画『芳華-Youth-』 ……激動の中国現代史の中に咲く、美しく芳しい華たち……



※PCでご覧の方で、文字が小さく感じられる方は、左サイドバーの「文字サイズ変更」の「大」をクリックしてお読み下さい。

中国映画というと、
(鑑賞する映画を“女優”で選ぶ私としては)
チャン・イーモウ監督作品を真っ先に思い出す。
中でも、美しきコン・リーが出演していた
紅いコーリャン』(1989年・日本公開)
『菊豆(チュイトウ)』(1990年・日本公開)
『秋菊の物語』(1993年・日本公開)
『活きる』(2002年・日本公開)
などは、強く印象に残っているし、


チャン・ツィイー主演の『初恋のきた道』(2000年・日本公開)


チョウ・ドンユィ主演の『サンザシの樹の下で』(2011年・日本公開)
も、主演女優が美しい恋愛映画として、心の大事な場所に仕舞ってある。


今年(2019年)の2月に、
尊敬する川本三郎氏の映画評でフォン・シャオガン監督作品『芳華-Youth-』を知り、
予告編を見て、私好みの作品であることを認識した。
出演している女優たちも映像も美しかったからだ。
今年(2019年)の4月12日の公開された作品であるが、
佐賀では、1ヶ月遅れの、5月10日からシアターシエマで上映され始めた。
で、先日、ようやく見ることができたのだった。



1976年の中国。
17歳のシャオピン(ミャオ・ミャオ)は、
歌や踊りで兵士たちを慰労し鼓舞する歌劇団・文工団に入団する。


実父が労働改造所に送られていることもあって、
幼い頃から貧しく、周囲から冷たくされていたシャオピンは、
素性を知られないようにと、実父の姓を捨て、
継父の姓に変えて入団したのだった。
ただ、実父には、文工団に入団したことを早く知らせたくて、
まだ軍服を持たないシャオピンは、
同室のディンディン(ヤン・ツァイユー)の軍服を無断で持ち出して写真館に行き、
軍服姿の写真を撮ってもらう。


だが、この写真館が、通りに面したウインドーにシャオピンの写真を飾ったことで、


軍服を無断で持ち出したことが発覚し、
シャオピンに対する“いじめ”が始まる。
シャオピンの洗濯物(手作りの胸パッド)を見ては笑われ、


汗かきの彼女は、ダンスのパートナーとなる男性「体が臭い」と言われ、一緒に踊ってもらえない。
そんなとき、「わたしがパートナーになろう」と言ってくれたのは、
文工団の模範的存在のリウ・フォン(ホアン・シュエン)だった。


いじめられることで、心を閉ざしていくシャオピンであったが、
彼女にとって唯一の支えは、いつも何かと助けてくれるリウ・フォンだった。
だが、リウ・フォンには、心に想う女性がいた。
それは、文工団で歌唱を担当する美しきディンディンだった。


恋愛禁止の文工団であったが、
あることがキッカケでリウ・フォンはディンディンに告白する。


だが、ディンディンを抱きしめたとき、それを団員に見られてしまい、
保安部に事情聴取される。
保身のために嘘の供述をしたディンディンの所為で、
リウ・フォンは団を追われ、南部の伐採部に移動させられる。
彼を見送ったのは、シャオピン唯一人だけであった。


リウ・フォンがいなくなったことで、文工団での希望が潰えたシャオピンは、
文工団で活動していく気が失せ、野戦病院の看護師に転属させられるのだった……




このようにストーリーを紹介すると、
単なる、シャオピンとリウ・フォンのラブストーリーのような感じだが、
それは違う。
文化大革命毛沢東の死、四人組の失脚、中越戦争
そして、改革・開放の時代へと続く中国現代史を舞台にした青春群像劇なのだ。
シャオピン(ミャオ・ミャオ)、


リウ・フォン(ホアン・シュエン)、


ディンディン(ヤン・ツァイユー)


の他に、もう一人、重要な人物がいる。
それが、文工団のプリマドンナともいうべきシャオ・スイツ(チョン・チューシー)。




文才が認められ、従軍記者として前線へ送られるが、後に作家となる。
この映画は、作家となった彼女が、文工団での思い出を語るという形で進むのだ。
シャオ・スイツ自身は、
トランペット担当のチェン・ツァン(ワン・ティエンチェン)に憧れており、
その恋愛模様も描かれている。


この映画に出演している女性は、誰もが美しく、スタイルが好い。


フォン・シャオガン監督の、キャスティングにおける条件は、


「整形していないこと」
だったらしい。(笑)
だからなのか、素朴で、素顔の美しい女優が多く出演している。


それでも、同じ服装、同じ動き、同じ表情のシーンが多く、
最初は、誰が誰なのか、見分けがつきにくかった。


物語が進むにつれ、それぞれの人生が動き出し、
時代の変化と共に、各人の表情にも陰影が現れるようになる。


「芳華」とは、
芳(かんば)しく咲き誇る花のような年頃……という意味であろうし、


文工団の若い女性たちを指しているように思う。


本作の前半は特に、この芳しき華たちの稽古シーンが素晴らしい。
ロボットが演技しているような本番のステージではなく、
汗が溢れ出るような稽古シーンが主というのがミソで、
人間臭く、より彼女たちが活き活きと感じられ、秀逸であった。


年頃の男女が集っているので、
恋愛がご法度であろうと、恋心は止められない。


模範兵のリウ・フォンでさえ、自分の気持ちを抑えられないのだから、
他は「推して知るべし」である。


それぞれの恋愛模様を描きながら、


時代は急激に変化していく。
映画の後半は、さながら中国現代史の流れを見るかのようである。
毛沢東亡き後の、江青ら四人組の失脚、文化大革命の終焉、中越戦争
そして、文工団の解散……


新しい時代が始まり、
うまく適応していく者、
時代に取り残される者など、
かつての文工団の団員たちの格差も顕著になる。
(最後に少しネタバレするが)
リウ・フォンが好きだったディンディンは、
華僑と結婚し、海外で暮らしており、昔の美しかったときとは別人のように太っている。
団員だった男たちも、今では金儲けに奔走している。
作家になったシャオ・スイツも勝ち組の一人であろう。
だが、この物語の語り部であるシャオ・スイツは思う。
〈こんな現在を得るために、我々は文工団で苦労したのか……〉
と。
中越戦争の前線に送られ、片腕を失ったリウ・フォンと、


野戦病院で悲惨な現実を見て、精神を病んでしまったシャオピンは、


新しい時代には適応できずに、社会の底辺にいた。
この二人が再会し、
貧しいながらも一緒に暮らすようになる。
リウ・フォンとシャオピンがベンチに腰掛け、寄り添っているシーンで、
この映画は幕を閉じる。


「老いた二人の姿を皆さんに見せたくないから、銀幕には輝く華の時を留めよう」
と、シャオ・スイツは語り、
文工団時代の美しい映像をフラッシュバックさせる。
〈すべて変わってしまったが、今も変わっていないのはこの二人だけなのではないか?〉
そう問いかけるように……



以上の内容はhttps://taku6100.hatenablog.com/entry/2019/05/15/170522より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14