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映画『八重子のハミング』 ……28年のブランクを感じさせない高橋洋子の名演……




7月21日(金)に、
兄の妻のN子さんが亡くなった。
享年62歳。
昨年、直腸がんが見つかり、
約1年の闘病の後の死であった。
7月22日(土)が通夜で、
7月23日(日)が告別式であった。
憔悴した兄、
悲嘆にくれる子供たちを見ているのが辛かった。

〈人間、60歳を過ぎたら、何が起こっても不思議ではない〉
と常々思ってはいるが、
実際に身近な人が亡くなると、
かなりショックを受けるものだ。

そういうワケで、
週末は山にも映画にも行っていないが、
少し前に見た『八重子のハミング』(2017年5月6日公開)という映画のレビューを書いておこうかという気になった。

映画『八重子のハミング』は、
『陽はまた昇る』『半落ち』の佐々部清監督が、
4度のがん手術を受けた夫と、若年性アルツハイマー病を発症した妻の絆を、
実話をもとに描いた作品である。
夫・誠吾役を、升毅が、
妻・八重子役を、高橋洋子が演じており、
昔、高橋洋子が好きだった私は、
28年ぶりにスクリーンに復帰した彼女の演技が見たくて、
福岡の映画館(中洲大洋)へと足を運んだのだった。


山口県のとあるホール。
「やさしさの心って何?」と題された講演会で、
白髪の老人、石崎誠吾(升毅)は、
最愛の妻・八重子(高橋洋子)の介護体験について話し始める。


胃がんを発病した夫・誠吾を支え続ける妻の八重子に、
若年性アルツハイマー病の疑いがあることが明らかになったのは12年前。
誠吾は4度のがん手術から生還することができたが、
八重子の病状は進行し、徐々に記憶をなくしていく。


「妻を介護したのは12年間です。その12年間は、ただただ妻が記憶をなくしていく時間やからちょっと辛かったですいねぇ。でもある時、こう思うたんです。妻は時間を掛けてゆっくりと僕に お別れをしよるんやと。やったら僕も、妻が記憶を無くしていくことを、しっかりと僕の思い出にしようかと…。」

誠吾の口から、在りし日の妻・八重子との思い出が語られる。
教員時代に巡り会い結婚した頃のこと、
八重子の好きだった歌のこと、
アルツハイマーを発症してからのこと……
かつて音楽の教師だった八重子は、徐々に記憶を無くしつつも、
大好きな歌を口ずさめば、笑顔を取り戻すこともあった。
家族の協力もあり、
夫婦の思い出をしっかりと力強く歩んでいく誠吾であったが……




原作は、山口県萩市在住の陽信孝が自身の体験をつづった同名著書。


佐々部監督の故郷でもある山口県で撮影され、
チルソクの夏』『四日間の奇蹟』など同様、
山口県」愛に溢れる作品となっている。


高橋洋子と聞けば、
若い人たちにとっては、
アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主題歌『残酷な天使のテーゼ』『魂のルフラン』などのヒット曲で知られるアニソン歌手を思い出すことだろう。
だから、
女優であり、小説家でもあった高橋洋子を、
簡単に紹介しておこう。

高橋洋子
1953年5月11日生まれ、東京都出身。
高校卒業と同時に文学座付属演劇研究所に入所(同期は松田優作など)。
1972年、映画『旅の重さ』(斎藤耕一監督)のオーディションに合格、
ヒロインとしてスクリーンデビュー。
翌1973年、NHK朝の連続テレビ小説北の家族」のヒロインに抜擢される。


翌年、映画『サンダカン八番娼館 望郷』(1974年、熊井啓監督)にて、
田中絹代が演じる主人公の10代~30代を演じ話題に。
1981年、小説『雨が好き』で作家デビュー、第7回中央公論新人賞受賞。
1983年、同小説を自らの監督・脚本・主演で映画化する。
その後は、
『さらば箱舟』(1984年、寺山修司監督)、
『パイレーツによろしく』(1988年、後藤幸一監督)などに出演。
近年の主な活動は文筆業であり、
最新刊『のっぴき庵』(講談社)で好評を得る。


『八重子のハミング』が、待望の本格女優復活作。



高橋洋子といえば、
やはり映画『旅の重さ』(斎藤耕一監督)であろう。


この映画での彼女は実に魅力的で、
『旅の重さ』は何度も見ている。






ちなみに、この映画は、秋吉久美子のデビュー作でもあり、
主役オーディションで、高橋洋子についで次点となり、
自殺する文学少女として出演している。




高橋洋子は、
その後、
NHK朝の連続テレビ小説北の家族」のヒロインとなり、
映画『サンダカン八番娼館 望郷』で高い評価を受ける。
『雨が好き』で作家デビューし、
小説家としても評価され、次第に文筆業が主となり、
やがてスクリーンからは遠ざかっていく。

28年ぶりにスクリーンで見た高橋洋子はどうだったかというと……
これが、長いブランクを感じさせないほどの素晴らしい演技であったのだ。
ある意味、ビックリ。

2015年6月に佐々部監督に呼ばれて、東京の自由が丘で会いました。監督はすでに『八重子のハミング』の脚本を手にしていて、私は母親役の出演依頼かなと思ったら、「主役をお願いします」と。
病気の役だというからベッドに伏せているのかと考えていたら、認知症だというんです。難題だなと悩みましたが、病気より夫婦の愛情を描きたい、というのでやってみようと決意したんです。
現場では監督から、「壊れていく過程のなかでもかわいらしい八重子さんを演じてほしい」と言われました。今まで演じた役柄の中でいちばん難しかった。役者は、誰々のことが好きだ嫌いだと感情を吐き出すことが仕事です。
でも認知症を患った八重子さんは自我を忘れ、感情を失っていく。普段の演技とは真逆の、自分の心を粘土で包むような作業で、本当にこれでいいのかなと、もどかしかった。
子供返りをうまく演じるため、自宅で飼っている子猫を観察したこともあります。すごく怖がりでインターホンが鳴るだけで逃げちゃう猫だけど、その時の怯えた目をじっと見つめて“ああ、この目だ”と真似しました。
八重子さんと陽さんのドキュメンタリービデオも何度も見て、両手を叩くシーンなどを参考にしました。私なりに何とか“わからない私”をこしらえていましたね。
みんなのせりふを聞いて段取りよく動かないといけないのだけど、他人の言葉に反応してもいけない。誕生日のシーンで周りが喜んでいても本人は何のことかわからず、誰かにケーキを食べさせてもらっても決して嬉しくない。撮影中は誰も頼れなくてずっと孤独でした。
でも、(夫役の)升毅さんがいつまでも私を抱きとめてくれるような、深い愛を見せてくれたから、最後まで八重子さんを演じることができました。打ち上げで「お父さん」と言ったら、升さん泣いてましたから。


と苦心談を語っているが、
〈さすが!〉
と、思わされたことであった。



この映画『八重子のハミング』の脚本は、
佐々部清監督が8年前にすでに書き上げていた。
だが、大手映画会社やテレビ局映画部門に企画を持ち込んだものの、
すべて断られる。
シネコンの時代に中高年夫婦の話は地味すぎる」
と言われたそうだ。
映画化は難航したが、
地方の映画祭で出会った観客に、
「シニアが見る映画がない」
と言われた言葉に背中を押された佐々部監督やスタッフが、
自分たちで資金を集め、昨年春に撮影にこぎつけたのだという。
昨秋、作品の舞台、山口県内の7館で先行公開されると、
約2カ月間で約2万5000人を動員した。
好調な成績を見て、地方のシネコンからも引き合いがきて、
全国で約30スクリーン規模での上映となった。

僕は、映画化するときに“究極の恋愛映画”を作りたかった。だから高橋さんには限りなくチャーミングで輝かしい人を演じてほしいし、升さんには撮影期間だけでも高橋洋子を愛おしく思い、好きでいてほしい。それしか注文を出しませんでした。それをうまく繋げば、恋愛映画が作れるのです。縦の軸には恋愛を、横の軸には家族の物語を作れれば、背景に若年性アルツハイマーや介護を置けばいい。最初から介護を啓蒙するような難病ものにするつもりはなく、批判をされてもきれいな映画、美しくありたいという映画にしたいと思いました。


そういう監督の思いもあってか、
介護の映画、シルバー映画というより、
素敵なラブストーリーに仕上がっており、
特に、ラストの高橋洋子の笑顔は、
本当に美しかった。
ラストの笑顔で思い出すのは、
時をかける少女』での原田知世だが、
原田知世にも負けない高橋洋子の美しく可愛い笑顔であった。
あの笑顔を見るだけでも、
この映画を見る価値は十分にある……と断言しておこう。


まだ上映している映画館や、
これから上映を予定している映画館もあるので、(コチラを参照)
ぜひぜひ。




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