
原作は、
33歳にして乳がんのため亡くなった安武千恵さんが生前つづっていたブログを、
夫の安武信吾さんが2012年に書籍化したノンフィクション作品。
発売されるやいなや、
食卓を通して母親がまだ幼い娘へ愛情や強さを伝える物語が感動を呼び、
2014年には日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」内でTVドラマ化され、
教科書へもの採用されるなど、社会現象を巻き起こした。
そして、ついに、映画化……

と書いてはみたが、
私は、原作は読んでいないし、
TVドラマの方も観ていない。
原作本の存在は知っていたし、
TVドラマ化されたことも知ってはいたが、
闘病モノとか美談モノには普段からあまり食指が動かないので、
スルーしていたからだ。
では、なぜ映画を見たのか?
理由は、ふたつ。
ひとつは、主演が、広末涼子だったから。
広末涼子は私の好きな女優で、
出演作はなるべく見に行くようにしているのだ。
彼女の若い頃はそれほど魅力を感じなかったのだが、
『おくりびと』(2008)の頃から、「おっ」と思うようになり、
『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』(2009年)
『ゼロの焦点』(2009年)
『鍵泥棒のメソッド』(2012年)
『柘榴坂の仇討』(2014年)
などの諸作品で、すっかり彼女に魅せられてしまった。

もうひとつの理由は、監督・脚本が、阿久根知昭だったから。
阿久根知昭と聞いて、「誰?」と思った人も多いことと思うが、
森崎東の監督作『ペコロスの母に会いに行く』(2013年)で脚本を手がけた人。
傑作介護喜劇として私は高く評価したのだが、
地方(長崎県)発の映画ということもあってか、
一般的には、公開当初はそれほど評判にはならなかった。
だが、数か月後に、
映画通の雑誌で知られる『キネマ旬報』において、
「2013年キネマ旬報ベストテン日本映画第一位」となり、
脚本を担当した阿久根知昭も俄然注目されるようになった。
その阿久根知昭の長編監督デビュー作となったのが、
本作『はなちゃんのみそ汁』なのである。

恋人・信吾(滝藤賢一)との幸福な将来を夢見ていた千恵(広末涼子)は、
ある日、乳がんを宣告される。
見えない不安に怯える千恵に、信吾は優しく寄り添い、プロポーズをする。
こうして2人は晴れて夫婦となった。
抗癌剤治療の影響で卵巣機能が低下し、出産を諦めていた千恵だったが、
ある時、妊娠していることが分かる。
産むか、産まないか……
産むということは癌の再発リスクが高まり、
自らの命が危険にさらされるということであった。
やがて周囲の支えで命を懸けて産むことを決意した千恵は、はなを無事出産。

だが家族3人となったものの、
幸せな日々は長くは続かず、
千恵を再び病魔が襲い、余命があとわずかと判明する。

そんな中、自分がいなくなってもはなが困らないようにと、
千恵ははなに鰹節を削るところからみそ汁作りを教え始める……

闘病モノ、美談モノ……
と警戒をしつつ鑑賞していたが、
のっけから笑わされ、
『ペコロスの母に会いに行く』と同じく、楽しく、面白く見ることができた。
闘病モノにありがちな「お涙頂戴」的な演出はなく、
むしろ「笑い」の部分が多く、
それでいて、ラストにじんわりと泣かせるという構成が秀逸であった。
「さすが阿久根知昭!」
と思ったことであった。
映画鑑賞後に、阿久根知昭監督のインタビュー記事をネットで見たのだが、
そこで、次のような言葉を目にした。
2014年夏には24時間テレビで映像化され、賛否両論を呼びました。
「あっ、そうなの?」
と思い、検索してみると、以下のような「否」の意見が出てきた。
本来なら治る見込みの高い早期ガン患者が病院での治療を拒否し代替医療を選択して、手後れとなり悪化し亡くなられてしまうケースは後を絶ちません。そういう選択をした個人の意志は尊重しますが、メディアがそれを「美談」として取り上げて代替療法の選択を良き事として宣伝してしまうのは考えものです。
子どもは父親の世話をする妻代わりのためにいるのではない。
しかもこれ、24時間テレビってチャリティー番組なんでしょ!?
原作はどうなってるが知らないが、そこはきちんと外部のサポートを受けるなり、どこかに相談するなり、そういう描写がないと。
子どものやる「お手伝い」の範囲を超えた家事の負担は、虐待だ。
このように、
「代替医療の美化」「はなちゃんの母親化」を危惧する声が散見された。
原作も読んでいないし、TVドラマも観ていないので、何とも言えないが、
映画の方は、その点に関してはかなり配慮して脚本・演出がなされているような気がした。
そういうことがほとんど気にならないほど面白く見ることができたからだ。
──映画を拝見して、「安武信吾」というキャラクターが、原作とも24時間テレビとも違うなという印象を抱きました。それはどうしてなんでしょうか。
安武さんといろいろコミュニケーションを取っていく中で、原作に書かれていない安武さんをたくさん見ました。安武さんは24時間テレビで描かれたような、優し〜い夫ではない。むしろ「僕側の人間」。いい加減だし、デリカシーがない。でも人間的にすごく魅力がある。映画では、安武信吾のマイナスの部分をきれいにまとめることはしないで、そういう部分も含めて千恵さんは好きになったことを描きたいなと思いました。
──24時間テレビでは、信吾さんのキャラクターの印象はそこまで残りませんでした。
24時間テレビは、ドラマとしての主役は安武信吾。なのにキャラクターの印象が残らないのは、ステレオタイプの優しい夫を描いたからですよね。そうじゃなくて、もっとずるくて、いい加減で、やることが裏目にでることもあるし、失敗もするけれど、それでも一生懸命なやつなんです。安武さんは最初脚本を見た時に「俺、こんなですか!?」なんて言っていましたけどね(笑)。「いや、あなたはこれです」「こんないい加減じゃないと思うんですけど……」「これです、これです!」というやりとりができる関係になっていく中で、安武さんの中で僕が監督で撮った「はなちゃんのみそ汁」のイメージができたんだと思います。
24時間テレビのドラマの方は、
安武信吾を大倉忠義、
安武千恵を尾野真千子、
安武はなを芦田愛菜が演じている。

関ジャニ∞のメンバーであるカッコイイ大倉忠義が安武信吾を演じているので、
ずるくていい加減な主人公を演じさせることはできなかったのかもしれない。
映画の方は、安武信吾を滝藤賢一に演じさせて、
TVドラマとは印象の違う作品にしているのは、
阿久根知昭監督のそういう考えがあってのことだったのだ。
代替医療のために金策に走り回るところなど、
けっして「代替医療の美化」にはなっていないし、
むしろ逆の印象を持つ人もいるかもしれない。
そんなニュートラルな立場で撮られているような感じがした。
「はなちゃんの母親化」に関しては、映画の方には印象深いシーンがある。
千恵と、千穂の姉・志保が喧嘩する場面だ。
遊びに夢中でみそ汁作りをしたがらないはなちゃんを千穂が叱るのだが、
その千穂を、千穂の姉・志保が怒る場面があるのだ。

――「千恵さんが誰かに責められる」という原作にない要素です。あえてそのような要素を入れたのはなぜですか?
実は、原作には書いていないけれど、千恵さんも安武信吾も喧嘩はしているし、お姉さんの志保さんとも喧嘩をしているんですよ。お姉さんは、千恵さんが臥せっているときに「何かしてあげる!」と来てくれた。ただあまり家事が得意ではなくて、一生懸命やってくれて、みそ汁を作ってくれたのに、デリカシーのない安武信吾が「これ薄いね!」とか言っちゃったんです。そうしたらお姉さんが「私はあんたの家政婦じゃない!」と叫んで、泣きながら帰ってしまった。
──それは……安武さんが悪いですね。
ですよね。お姉さんは安武さんに対して怒るし、千恵さんは安武さんの擁護をする。ふたりとも離れたところに住んでいるからなかなかかみ合わない。でも闘病している千恵さんや、千恵さんのために動いている安武さんや、はなちゃんを見て、お姉さんが「私、本当に何もできなくてごめんね」と電話をかけてくることがあったそうです。これをなんとか形にしたいなと思って入れたのがあのシーンです。
──志保が言ってることも、決して間違いではないんですよね。
そうです。志保の台詞は、この「はなちゃんのみそ汁」に疑問を持っている世の中の大勢の人の声なんですよ。「子どもを自分の手足のように使うの、やめとかんね」。「強要すると、おかしかやろ」「志保ちゃんは黙っといて」「黙れんよ」。
──「子どもを使うな」という批判は、24時間テレビの時にも多く出たと思います。千恵さんの行動や選択を賛美するだけでは、同様の批判が出てくるだろうなと思っていました。
あえて言わせました。その批判に対しての答えをあそこで出しきるのが、この映画に必要だと思ったんですね。あそこで真剣に言っている志保に対して、千恵は言い返しているわけではない。志保ではなく、はな……子どもに向き合って「はな。もしママがいなくなったら……」。こう言ってしまって、広末涼子が痛恨の顔をする。そこでいったん間を置いて、「もし、はなが、病気になったりしたら、パパもママも悲しいけん。丈夫で元気な子になって」。最初の勢いからちょっとトーンを落として言い直す。あそこのシーンはもう、母と子だけのシーンになっています。
──千恵は「志保の妹」ではなく、「はなの母」になっているということですね。
そうです。最初は志保の「はっ」とした表情を抜いたカットを入れようとも思いました。志保役の一青窈ちゃんはすごくしっかり芝居してくれていましたし。でもそうしなかったのは、世の中の人がどんなことを言おうと、千恵はちゃんと子どもに向き合って言ったんだ、という形を見せたかったから。結局、大人が感情でしかりつけても、子どもが理解してくれなかったらしょうがない。あそこの千恵は、姉の志保とやりあった感情を殺して、娘と対峙してちゃんと伝えようとする「母親」にならないといけないんです。そんな真剣な母に、娘も真摯に応える。
この緊張感のあるシーンを、
広末涼子と、はな役の赤松えみなが実に上手く演じている。
赤松えみなは、
1000人超のオーディションで選ばれた演技経験ゼロの新星とのことだが、
演技が自然で、とても良かった。

このように、
『はなちゃんのみそ汁』に疑問を持っている世の中の声も映画のシーンに取り入れながら脚本が練られているので、その辺りにも阿久根知昭監督の工夫が感じられた。
と、まあ、「代替医療の美化」「はなちゃんの母親化」を危惧する声への、
映画からの答えらしきものを書いてみたが、
実際のところ、映画を見ただけでは、そんな疑問はほとんど湧いてこないほど、
笑わされ、泣かされ、
こういっては不謹慎かもしれないが、楽しく、面白く見ることができた。
楽しく、面白く見ることができる……というのは、
この映画に対する最大の“褒め言葉”ではないかと、私は思う。

安武千恵を演じた広末涼子、

安武信吾を演じた滝藤賢一、

安武はなを演じた赤松えみなの好演が光る作品であるが、

この3人を見守る家族や仲間として、
鶴見辰吾(加山医師役)、

赤井英和(松尾陽一役)、

古谷一行(伊東源十役)、

北見敏之(安武信義役)、

高畑淳子(安武美登里役)、

平泉成(松永和則役)、

木村理恵(松永喜美子役)、

原田貴和子(片桐医師役)、

紺野まひる(吉村奈津子役)などが、
脇をしっかり固めている。

主題歌を担当するのは、
生前に千恵さんが好きだった歌手、一青窈(千恵の姉・志保役も好演)。

本作のために書き下ろされたオリジナル曲『満点星』は、
劇中でも使われ、エンディングでも流れる。

この映画を見て、
一番印象に残っているのは、
みそ汁さえ作れれば、後は何とか生きられる。
という言葉。
私自身は、子供の頃はみそ汁が嫌いで、
「なんで毎日こんなものを飲まなくてはいけないのか……」
と思っていたが、
大人になるしたがって、みそ汁が大好きになり、
「ご飯とみそ汁があれば、それだけで大満足!」
という人間になっている。
だから、
みそ汁さえ作れれば、後は何とか生きられる。
という言葉が実感として心に沁みてくる。

食べること、
生きることを考えさせてくれる映画『はなちゃんのみそ汁』、
機会がありましたら、ぜひぜひ。