
今年(2011年)の第57回江戸川乱歩賞は、15年ぶりに女性が受賞し、
しかも女性2人によるW受賞(史上初)ということで、かなり話題になった。
その受賞作のひとつ『完盗オンサイト』(玖村まゆみ/講談社)を手に取った。
帯にはこう記してある。
報酬は1億円。
皇居へ侵入し、徳川家光が愛でたという樹齢550年の名盆栽「三代将軍」を盗み出せ。
前代未聞の依頼を受けたフリークライマー水沢浹は、どうする? どうなる?
不気味な依頼者、別れた恋人、人格崩壊しつつある第3の男も加わって、空前の犯罪計画は、誰もが予測不能の展開に。
最後に浹が繰り出す、掟破りの奇策とは?
タイトルの「完盗」は「完登」をもじったものだろうし、
「オンサイト」という言葉もあることから、
手に汗握るクライミングシーンの連発……と思いきや、
それは終盤に少しあるだけで、
ちょっと拍子抜け。
江戸川乱歩賞受賞作なのだからと、
謎解きを期待して読むと、
ミステリー色は薄く、
これまた肩すかしを食わされたような感じになる。
こう書くと、まったく面白くない小説のように思われるかもしれないが、
そうではないから困ってしまうのだ。(笑)
50代になってからは、面白くない小説は途中で読むのをやめてしまう。
若いときは根気よく最後まで付き合っていたが、
人生の残り時間が少なくなってきたことを自覚するようになってからは、面白くない小説は途中で本を閉じる。
そんな私が、この『完盗オンサイト』は、
最後まで一気に読まされてしまっていたのだから、
読み物としては優れていたのだと思う。
だが、ミステリーとして優れていたかというと、疑問符がつく。
それは選評にも如実に表れている。
たとえば内田康夫の選評、
(ちなみに『完盗オンサイト』の応募時のタイトルは『クライミング ハイ』)
《人間の美意識というか審美眼というか感受性というか、そういったものがいかに千差万別であるかを、いやとういうほど思い知らされた。僕が最低点をつけた『クライミング ハイ』がなんと、みごと受賞したというのだから驚く。(中略)……設定がすべて「絵空事」で説得力に欠ける。マンガの原作程度にしか評価できない。小説は所詮絵空事だから何でもありということなのか――といまだに「?」のまま》
最低点をつけた作品が受賞したので憤慨のご様子。(笑)
内田センセイの言わんとしていることは解る。
『完盗オンサイト』の著者は、
たとえて言えば、富士山にジーンズにスニーカー、しかも手ぶらで来た登山者のようなのだ。
内田センセイはそれが気に食わない。
「山に対する知識がない」
「山をナメている」
と、怒っておられるのだ。
では、京極夏彦の選評はというと……
《基本的に小説は何をどう書いてもいいものである。作品として完結しているなら、書かれている内容がどれほど荒唐無稽であろうと非現実的であろうと、それは一向に構わないだろう》
と前置きした上で、
『クライミング ハイ』について、
《奇抜なアイデアとストーリーが、構成力の拙さや筆力の至らなさを押し退けている。
もちろん、瑕疵は少ないに越したことはない。しかし欠点はいくらでも修正できる。だが、魅力を後から足すことはできない。瑕疵がなくとも魅力に乏しい優等生的な作品よりは、壊れていても面白い作品の方が磨き甲斐はある》
と述べる。
富士山に登頂できるかどうかが大事で、装備や服装は二の次だ。
装備や服装は立派でも、体力不足や高山病などで、登れない人は登れない。
まずは登るだけの体力が必要。
それがこの著者にはある……と、京極センセイはのたまう。
なるほど。
体力とは、ここでは「読者を最後まで読ませる力」ということになる。
桐野夏生の選評はどうか……
《軽妙なロッククライミング小説が展開するかと思いきや、皇居に潜入して盆栽の名品を盗む、という突飛さが面白かった。東京のど真ん中にあるのに誰も知らない場所、皇居を「オンサイト」で登ろうとする天才クライマー。その矜持が、犯罪をいとも簡単にゲームに変えてしまい、愉快でもある。また著者は人物造型もなかなか巧みだ。特に、葉月という女性クライマーの存在がリアルだった。世事に疎く、甘いところがありながらも魅力的な女。葉月のその後が、もっと読みたかった》
内田康夫と正反対で、ストーリーの突飛さを褒めている。
いかにも登山者然とした面白味のない応募者が多い中、
ジーンズにスニーカーといういでたちで、軽やかに登頂してみせたフットワークに喝采しているのだ。
今野敏の選評も見てみよう。
《『クライミング ハイ』は、前半がかなり冗漫。さらに、視点の乱れも気になった。だが、途中から物語が加速し、抜群に面白くなる。何より、奇抜なアイデアが秀逸。登場人物も魅力的に描かれている。この一作で、作者が進歩していると感じた》
登山者としての服装もなってないし、装備も駄目。
だが、とにもかくにも山頂まで登ってしまった。
それが評価に価する。
この経験によって、作者は登山家としての意識に目覚めたのではないか。
進歩が認められる……と仰っている。
最後に、東野圭吾の選評を……
《天才的クライマーを雇い、皇居の盆栽を盗み出すというアイデアは、馬鹿馬鹿しい故に好感が持てた。最後に明かされる動機にしても、不気味な依頼者にふさわしく不条理なのがいい。そしてじつはこの小説の登場人物たちの殆どが、理屈では説明できない奇妙な行動を取り、物語をかき回していく。そこに作者の都合が感じられない点が気に入った。とにかくそうしたかったからそう書いた、後のことはあまり考えなかった、といったところではないか。したがって多くの事柄が投げっぱなしになって話は終わるのだが、私は目をつむることにした。物語をうまく収束させる技術など、これからいくらでも身につく。良い意味で、後先を考えない才能を評価したい》
「とにかく登りたかったから登った」
「他の事は考えていなかった」
というような、作者の情熱を評価している。
《物語をうまく収束させる技術など、これからいくらでも身につく》は、
まずは山頂までたどり着ける体力が必要、山に対する知識や装備は、あとからいくらでも身につけることができる……と言い替えることができそう。
今年の夏、私も富士山に登った。
聞いてはいたが、本当にいろんな登山者がいて驚かされた。
それこそ先程言った「ジーンズにスニーカー」の人もたくさんいた。
毎年約30万人が訪れる富士山。
そのうち20万人ほどが登頂し、残りの10万人は高山病などで登頂できないとか。
この登頂できない組に、かの「ジーンズにスニーカー」組がすべて入るかというと、そうではない。
「ジーンズにスニーカー」でも登れる人は登れるし、
服装や装備が完璧で、山の知識が豊富でも、登れない人は登れない。
これが登山の面白味でもある。
私的感想だが、
イッパシの登山家ぶって完璧な装備でアルプス辺りをウロウロしているチンマリとまとまった凡人より、ジーンズにスニーカーでもガムシャラにグイグイと富士山に登ってしまう一見無鉄砲に見えるノボセ者に、より登山家としての可能性を感じてしまう。
作家をめざす人にも同じことが言えそうだ。
ある山岳誌で、「遭難しないために必要なもの」というアンケートを実施していた。
多くの著名な登山家がアンケートに答えていたが、
最も多かったのは、
山に対する知識や技術でもなく、
ウェアや非常食などを含めた装備でもなく、
気力や判断力でもなかった。
それが、「体力」だったことに少なからず驚かされた。
たとえば道迷いしたとき、
体力がなければ、引き返す気力が湧かない。
体力がなければ、正しい判断ができなくなってしまうらしいのだ。
まず、なによりも必要なもの……それは体力なのだ。
そういう意味で、『完盗オンサイト』は体力があったということだ。
山に対する知識は不足しているし、装備も駄目だけれど、
山頂まで辿り着く体力がある……それが評価された。
これからもっと標高の高い山に登るには、
山の知識や装備や技術も必要になってくる。
それをどう身につけていくか。
著者の今後の山行(執筆)が楽しみだ。
※本日より4日連続でブログ更新予定です。(ホ、ホ、ホンマでっか!)