
今年は時代劇映画が多く製作され、どれも話題になった。
私も『花のあと』 『必死剣鳥刺し』 『雷桜』などで、大いに楽しませてもらった。
そんな2010年の最後を締めくくるように、師走になって、『最後の忠臣蔵』が公開された。
役所広司と佐藤浩市が初めて本格共演。(三谷幸喜監督作品『THE 有頂天ホテル』(2006)で1シーンのみの共演は過去にあった)
脚本は、『魚影の群れ』『ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~』の田中陽造。
音楽は、『阿弥陀堂だより』『博士の愛した数式』などで知られる加古隆。
監督は、フジテレビ系『北の国から』シリーズの演出で有名な杉田成道。
私の好きなキャスト・スタッフが揃っていたので、見ないわけには行かない。
さっそく映画館へ足を運んだ。
【ストーリー】
今も語り継がれている史実「忠臣蔵」。
この赤穂浪士の討入りは、大石内蔵助以下四十七士全員の切腹で、事件は幕を下ろした……はずだった。

だが、この切腹というクライマックスは、「忠臣蔵」の本当の結末ではなかった。
なぜなら、赤穂浪士の中に、討入り後の使命を与えられた二人の生き残りがいたのだ。
一人は、討入り後、切腹の列に加わることを許されず、大石内蔵助から「真実を後世に伝え、浪士の遺族を援助せよ」という重大な使命を与えられた寺坂吉右衛門(佐藤浩市)。
もう一人は、討入り前夜に忽然と姿を消した瀬尾孫左衛門(役所広司)。
彼は、まもなく生まれてくる内蔵助の隠し子を守り抜くという使命を、内蔵助本人から受けていたのだ。

討入りから16年間、名誉の死を許されなかった二人は、それぞれの使命を果たすためだけに懸命に生きてきた。
吉右衛門は赤穂浪士の遺族を捜して全国を渡り歩き、ついに最後の一人に辿り着く。

孫左衛門は、武士の身分までも捨て素性を隠し、可音(桜庭ななみ)と名づけた内蔵助の忘れ形見を密かに育てあげる。
やがて凛とした気品を備えた美しい娘に成長した可音は、天下の豪商の嫡男(山本耕史)に見そめられる。
可音を名家に嫁がせれば、孫左衛門の使命もまた、終わるのだ。

そんななか、かつては厚い友情で結ばれ、主君のために命を捧げようと誓い合った二人が再会する。
かたや命惜しさに逃げた裏切り者として、
かたや英雄になれなかった死に損ないとして。
しかし、孫左衛門の口から、真実が明かされることはなかった。

とうとう可音が嫁ぐ日がやってくる。
世は移り変わり、今では内蔵助の名誉は回復していたが、その存在すら隠してきた可音のお供は、孫左衛門ただ一人。
ところが、夕暮れを行く寂しい輿入れに、最初に吉右衛門が、
続いて元赤穂の家臣たちが続々と現れ、お供を申し入れる。
いつしか行列は、忠義の炎を松明にして掲げる男たちの大行列へと変わっていく。
それは、たった一人で背負ってきた重き使命が、すべての家臣の喜びの使命へと変わる瞬間だった。

しかし、物語はまだ終わらない。
その感動の先にあるのは、誰も知らない「本当の結末」。
遂に使命を果たした孫左衛門には、まだなすべきことが残っていたのだ……
(ストーリーはパンフレット等より引用し構成)
原作は池宮彰一郎の小説で、私は事前に原作を読んで映画を見に行った。
小説では寺坂吉右衛門を中心に物語が展開していたが、映画では瀬尾孫左衛門と可音との関係を主に扱っており、原作とはかなり違っていた。
だが、それが良かった。
小説は、短篇集の趣があり、話が色々な方向に飛んでいるので、2時間ほどの映画にまとめるのは難しいのではないかと思っていたのだが、瀬尾孫左衛門と可音の物語を中心に据えたことで、実にまとまりのある作品になっていた。
やはり、これは、田中陽造の脚本に拠るところが大きい。
瀬尾孫左衛門と可音は主従関係であるのだが、それを超えて愛し合う(かのように見える)二人のやりとりは、実に見応えがあったし、瀬尾孫左衛門の心模様を、人形浄瑠璃の『曾根崎心中』をしつこく挿入し表現していたのも良いアイデアであったと思う。

……それにしても、
それにしてもだ。
あの可音の美しさはどうだ。
最初にスクリーンに登場した時から、私の目は可音にくぎづけになった。
可音の美しさは、とりもなおさず桜庭ななみの美しさでもあるのだが、なんと宝石のような女の子をよく見つけてきたものだ。

杉田成道監督は言う。
「知り合いに『吉永小百合さんや夏目雅子さん、宮沢りえさんがデビューした頃の感じを持つ子はいる?』と聞いたら、『そんな子はいませんよ』と言われました。(笑)でも『こんな子がいますよ』と写真を持ってきたのが桜庭ななみ君だったんです。第一印象で『いいね』と思いましたけれど、他にも30人ほどオーディションをしてみて、やはり桜庭君の印象が強かった。可音は一目惚れされるほど綺麗でなくてはいけない。そして大石内蔵助のお嬢様として、品がなくてはいけない。この二つが、芝居のうまい下手よりも絶対条件だったんです。そういう基準で選んでいくと、『顔立ち的には、この子しかいない』と思いました」(『キネマ旬報2010年12月下旬号』)
17歳の何も知らない現代っ子だったので、クランクイン前に、発声練習や腹筋を鍛える訓練など、芝居の基礎を徹底的に叩き込んだとのこと。
その甲斐あってか(お世辞にも上手いとは言えないけれども)芝居の方もなんとか見られるレベルには達していた。
だが(芝居はともかく)美しさは際立っている。
光の当て方、背景の工夫、カメラの位置など、照明、美術、撮影など全てのスタッフが、可音をより美しく見せようと工夫していることも感じられた。
そのことが、この作品を成功に導いたものと思われる。
この作品は、可音の美しさがあったればこそなのだ。

杉田監督は、こうも言う。
「初めてキャメラテストする時に彼女が京都のスタジオへ入ってきたら、スタッフが『オオッ』と言いました。僕も良かったと思いました。可音がこけたら、この映画はすべてこけてしまいますから」
そうなのだ。
この映画の成功の鍵は、可音の「美」にかかっていたのだ。
そういう意味で、桜庭ななみのキャスティングは、間違っていなかったと思う。
前回レビューを書いた『ノルウェイの森』も、成功の鍵は直子の「美」にかかっていたのだ。
それを、トラン・アン・ユン監督はやや妥協した感がある。
当初は原作に近い21~22歳前後のキャストを考えていたらしい。
だが、なかなか見つからなかった。
そこへ、映画化の話を聞きつけた菊池凛子の事務所から電話が掛かってきて、送られてきたビデオを見て決めたようだ。
『バベル』などで国際的に有名になった菊池凛子を起用すれば、海外での評価にも影響を与えるとの考えもあったかもしれない。
それが間違いであった。
トラン監督は、もっと、徹底的に、自分の考える直子にぴったりの女優を探すべきだった……と思う。
『最後の忠臣蔵』に話を戻そう。
桜庭ななみの起用を褒めたが、他のキャストもなかなか良かった。
瀬尾孫左衛門役の役所広司。
『十三人の刺客』のすぐ後だったし、前作とは対極にある世界観の作品であったので、演技は難しかったと思うが、さすが役所広司、実に巧く演じていた。
可音への恋情にも気づきながら、それを抑え、ひたすら可音に仕える姿には感動させられた。

寺坂吉右衛門役の佐藤浩市。
役所広司と対等に渡り合える、役所広司と同等のオーラを発している俳優ということで、彼のキャスティングもハマッていた。
役所広司が相手ということもあってか、なんだかいつもより若々しく見えたし、安心して見ていられた。

大石内蔵助役の片岡仁左衛門。
出演場面はそう多くはないが、どのシーンも重要な場面ばかりなので、誰にでもできるという役ではなかった。
討ち入りに行く大胆さと、下臣を想う懐の深さ、繊細さを、片岡仁左衛門は貫禄の演技で見せてくれた。

元夕霧太夫・ゆう役の安田成美。
孫左衛門とは、16年前に孫左衛門が生まれて間もない可音を抱いて、この地にやって来て以来の付き合い。
母親を亡くした可音を可愛がり、行儀作法から読み書き芸事まで、一分の隙もなく教えたゆうは昔、島原で全盛を極めた太夫であった。
可音の仮の「母」として、また孫左衛門を密かに想い続ける「女」として、静かな中にも艶のある演技に心惹かれた。

音楽を担当した加古隆の哀切なメロディーも心地よかった。
エンドロールは、この加古隆の創りだした曲が流れるのみ。
メッセージ性たっぷりの歌い上げるようなテーマ曲が流れる近年の風潮にはうんざりしていたが、歌のない静かな曲で映画の余韻を楽しめるとは、なんと贅沢なことかと思った。
私だけでなく、この作品を見た誰もがそう思っていたのだろう。
久しぶりに、エンドロールの時に席を立つ人がまったくいなかったのも嬉しかった。
見終わって、感じたこと。
それは、忠臣蔵の後日談と思いきや、
孫左衛門と可音の極上のラブストーリーであったということ。

私が孫左衛門だったら、私もまた孫左衛門と同じように、あのラストの選択をしたかもしれない。