
金曜日の夜から、長女が子供を連れて遊びに来ていた。
孫ももう2歳半になった。
よく喋るし、元気よく走り回る。
「ジイジ、ジイジ」
と私に一緒に遊ぶことをせがむ。
他人に「ジジイ」と言われれば腹が立つが、孫に「ジイジ」と言われると嬉しいのだから勝手なものだ。
48歳の配偶者も、「バアバ」と呼ばれて喜んでいる。
ということこで、ジイジは孫と遊ぶことになり、本日の登山はお休み。
今日は、孫と日がな一日遊んでいた。
こんなのんびりした日曜日もなかなか好い……と言いたいところだが、そうはいかず、結構疲れた。
2歳半とは言え、あの小さな体から湧いてくる限りない体力には驚かされる。
何かひとつ気に入ったことがあると、それを何度もしてくれとせがむので骨が折れる。
本当に疲れるのだ。
今日は、山に登るよりも疲れたかもしれない。(爆)
でも、孫と遊ぶことができるという幸せは、何ものにも代え難い。
長女ともいろんな話ができて楽しかった。
山に登っていないので、今日は久しぶりに「ブックレビュー」。
レビューという程のものではないが、最近出逢った本の話でもしようと思う。
中学3年生まで野球少年だった私は、それまで勉強はまったくしなかった。
本もほとんど読んだことがなかった。
高校を受験し、奇跡的に受かった高校には、私とは異質の生徒が集まってきていた。
当初、彼らとの会話がかみ合わなかった。
というか、会話についていけなかった。
話している内容がよく解らなかったのだ。
彼らはよく本を読んでいた。
大江健三郎や安部公房や開高健などの作家の名が次々と発せられる。
それまで小説などまったく読んでいなかった私は、まったくのチンプンカンプンで、途方に暮れた。
私の前の席にいた級友が、私に分厚い原稿用紙を差し出しながら、こう言った時には度肝を抜かれた。
「僕が書いた小説なんだ、読んで感想をもらえないか?」
本を読むだけでなく、小説まで書いている奴がいるなんて……
それからだ、私が本を読むようになったのは……
彼らのレベルに追いつくのに必死だった。
一日一冊を日課とし、純文学を中心に、手当たり次第に読破していった。
授業中も読書をしていた。
そんなことでもしなければ、彼らに追いつけなかったからだ。
だから高校の成績は常にビリだった。
(追試を何度受けたことか……トホホ)
だが、本を読んだ数だけは、急上昇。
読んだ本が増えるに従って、義務的にやっていた読書であったが、その面白さにも目覚め、それからは勉強そっちのけで読書に没頭するようになった。
高校2年生の夏休み、名古屋から4歳年上の従姉が遊びにやってきた。
その時、本好きの従姉から、一冊の本を貰った。
「新幹線の中で読んできたけど、読んでしまったから、あげる」
と言って渡されたのは、五木寛之の『デラシネの旗』であった。

それまで純文学中心に読んできた私は、エンターテインメント系の小説はまったく読んでいなかった。
初めて読む五木寛之の小説は、抜群に面白かった。
実に新鮮な体験だった。
それ以降、五木寛之の作品を集中して読むようになった。
ちょうどその頃、『五木寛之作品集』(全24巻・文藝春秋)が刊行され始めた。
親友Nの家でその作品集を毎月購入していたので、配本される度に私もちゃっかり読ませてもらった。
だから作品集に収められている作品はすべて読んだ。
小説も良かったが、エッセイもすこぶる面白く、どの作品もむさぼり読んだ。
その後も、私は、五木寛之作品の良い読者であった。
途中、休筆期間はあったものの、これまで大いに楽しませてもらった。
五木寛之ほど旺盛な創作欲のある作家はそういないのではないだろうか……
それは、78歳になった今も、衰えを知らない。
昨年末に刊行された小説『親鸞』も、これが本当に80歳を目前にした作家が書いたものなのかと思われるほどパワー溢れる作品であった。
親鸞という宗教家の小難しい話かと思いきや、活劇本と言っていいほどの、アクション満載の超面白本だったのだ。
ということで、五木寛之の本が出ると、私は必ず読むようにしている。
50歳を過ぎてからは、もっぱら図書館で借りて読んでいるが、
8月31日に刊行された『僕が出会った作家と作品 五木寛之選評集』も、
いつものように図書館に予約して読んだ。
そして、思いがけなくも、そこで私は、かつての私と出会ってしまったのだった。
(と、ここまでは敬称略)
高校生になって読書に夢中になり、高校在学中に、友人を真似て、私も小説を数編書いた。
大学時代にも数編書いたが、そっれきり小説を書くことはなかった。
その後、社会人となり、結婚し、子供が生まれ、本は相変わらず読んでいたが、小説を書くことはなかった。
30代半ばの頃、小学生だった長女が交通事故に遭い、3ヶ月ほど入院した。
毎日、仕事が終わると私は病院に駆けつけ、ずっと娘につきそっていた。
娘が眠っている時などに、私はぽつぽつとノートに文章を書き始めた。
それは、次第に物語となり、原稿用紙60枚ほどの短編小説となった。
それを私は地元の新聞社が主催する小さな文学賞に応募した。
そしてそれは思いがけなくも三席に入選し、刊行された文学賞の作品集で活字になった。
読んだ人達からの反響もあり、それから私は趣味として小説を書くようになった。
翌年、同じ賞に応募し、今度は一席となった。
一席になった作品は、県代表として、もう1ランク上の文学賞に自動的にノミネートされることになっていた。
そして、その文学賞の選考委員の一人に、五木寛之氏がいたのだ。
選考委員は、五木氏の他に、純文学作家と、純文学系文学評論家、それに大衆小説家の計4人。
その文学賞の選考会で、私の作品は、五木寛之氏の逆鱗に触れるのである。
「逆鱗に触れる」とはちょっと大袈裟かもしれないが、当時の私はそう感じた。
主催する新聞社の文化部記者がわざわざ私に会い来て、選考会における五木氏の言葉を私にすべて伝えてくれたのだ。
物の考え方、言葉の使い方、小説に向かう姿勢など、全てにおいて否定された。
もうかなり昔のことなので、その時の気持ちを思い出すことは難しいが、正直あまりショックはなかった。
単に私が鈍感なのかもしれない。
それよりも、五木氏に自分の小説を本当に読んでもらったのだという喜びの方が大きかったように思う。
その文学賞の選評は、文藝春秋の純文学系雑誌『文學界』に載った。
そこで五木氏は、受賞作を褒めるよりも、私の作品を批判することに誌面を割いておられた。
酷評にしても、それは嬉しかった。
選評も、ひとつひとつ思い当たることがあったので、納得できた。
五木氏からは批判されたが、他の選考委員の推薦もあり、その賞で私の作品は「佳作」となった。
だからというワケでもないが、この出来事は、私にとっては結構好い想い出として残っている。
だが、兎にも角にも地方の小さい賞である。
まさか『僕が出会った作家と作品 五木寛之選評集』という本に、その時の選評が掲載されているとは夢にも思わなかったのだ。
それが思いもかけず掲載されていて、五木氏のかの選評に、久しぶりに再会したのだった。
五木氏は「あとがき」にこう記している。
《作品を選ぶということは、同時に選ぶ側がためされることでもある。本当はおそろしいことなのだ》
《ここにまとめられた選評は、私の四十五年間の作家生活の里程標でもある。すでに物故された選考者、受賞者のかたも少くない。さまざまな感慨をおぼえつつ、この一冊を読者のもとへお届けする。この選評集は、私の個人的な私信のようなものなのだ》
さしずめ、私は、五木寛之本人から私信を送られた幸福者のひとりということになる。
叱られたにしろ、それはとても幸せなことなのだ。
叱られたいと思っても、直接本人から叱ってもらうことは、誰でもそう簡単にはできないことなのだから……
この本の中の「叱られている私」を、私は誇りに思っている。
50歳を過ぎてからは物を減らすことに専念しているので、本を買うことはほとんどなくなったが、この『僕が出会った作家と作品 五木寛之選評集』だけは手許に一冊置いておきたくなって、書店に買いに行った。
その時、『佐賀 文学の風景』(上原和恵・富崎喜代美・野口智恵子著)という本に出逢った。

佐賀を舞台にした文学作品を紹介した本で、6年間(隔週1回)佐賀新聞に連載されていた146作品を一冊にまとめたものだ。
上原和恵さん、富崎喜代美さん、野口智恵子さんの三氏が、代わるがわる1回につき1作品を担当。
単なる文学作品の紹介にとどまらず、舞台になっている場所の現在の風景や人々の様子までも描き出した労作。
松本清張『張込み』
司馬遼太郎『歳月』
江藤淳『一族再会』
笹沢左保『取調室』
井沢元彦『葉隠300年の陰謀』
森村誠一『海の斜光』
夏樹静子『幻の男』
吉田修一『悪人』
など、佐賀を舞台にした文学作品は意外に多い。
楽しく立ち読み(コラコラ)していたら、またまたドッキリ。
なんと、私はまたかつての私と遭遇したのだった。
長女が入院している時に書き始め、小さな文学賞に応募して三席に入賞したという、私の処女作と言っていい、かの作品が採り上げられていたのだ。
よくこんな作品を探し出したものだと感心しつつも、著名な作家の皆さんと並べられて掲載してあり、恐縮至極。
冷や汗がタラ~と流れてきた。
それでも記念にとしっかり一冊買い求め、帰宅した。
叱られている私、
冷や汗タラ~の私を見たい方は、
書店か図書館へ……(笑)
※『佐賀 文学の風景』の方は、紀伊國屋書店・佐賀店(ゆめタウン佐賀内)など、限られた書店にしか置いていないようです。