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実家はあるけど非地元。地元観光初心者。

先月、子や僕自身の体調不良によりポシャってしまっていた帰省を3連休に実施した。今回も先週月曜くらいから子が鼻水を出すようになり、木曜あたりからは咳まで出ると言う事態に実施が危ぶまれたが、発熱などなく、元気に帰省。

ただ、「もしかしたら」の不安が拭いきれず、事前の新幹線チケット購入などは控えた。そのこともあり、当日は東京駅で新幹線のチケット購入のために長蛇の列に並んだのだけど、あの時間、世界一無駄な時間だなと再認識した。旅行者であるならともかく、事前に用意できるのにわざわざあの列に並んで時間を溶かすのが非効率すぎる。まあ、そうは言っても30分以内だし、事前に用意したチケットが体調不良等でキャンセルとなって払い戻ししなければいけないとかの手間を考えると並ぶくらい我慢するべきという考え方もあるかもしれないけれども。いずれにせよ、次回以降はやっぱりよほどのことがなければ事前購入を検討しようと思う。

今回の帰省は生憎の天気で、車窓に関しては壊滅的であったのだけど、その目減りした分の楽しみを補填する役割として、駅弁を投入することとした。

マーティマクフライ(バックトゥザ・フューチャー)が激怒しそうな名前のお弁当

その存在は知りながらも機会がなく食べることができていなかったチキン弁当とついにご対面。期待に胸踊らせながらの手合わせとなった。

いいよね〜
嬉しいよね〜

チキンライスと鳥の唐揚げ。その名に恥じぬチキンぶりである。しかもこの唐揚げ、好きなタイプの唐揚げだ。”好きなタイプ”とは言ったものの、唐揚げのタイプごとの名前ってついているものなんだろうか。片栗粉をまぶして揚げるもの、味付きの天ぷらの衣の液体(バッター液みたいなやつ)のもの、他にもたぶんいくつかタイプがあると思うのだけど、その全てを「唐揚げ」で一緒くたにするにはけっこう違う食べ物であるように思える。タイプごとに料理名を変えるか、流派を明確にして提供してほしい。

ちなみにこの”好きなタイプ”の唐揚げは僕の観測範囲の中では味付き唐揚げ粉だと思われるが真相は定かではない。氷川きよしがCMをやっていフニクリ・フニクラのメロディにあわせて「から〜あげ〜 おいしくつっくるなら〜 もみっもみ〜」のやつがこんなだったような気がする。

 

清々しいくらいに話が逸れたが帰省の話である。今回の帰省、地元のお祭りに合わせてのものとなっている。子にお祭りを見せてあげたいというのと、甥が幼児だった頃のお祭りの衣装がまだあるという話を聞きつけたため、それを我らが子に着せたものをこの目に焼き付けたいという控えめに言って親バカ的想いが行動原理となっている。

そんな欲望の実現のため、実家に当着し、早速祭り衣装をと子に着替えをうながすものの、自我の芽生えを迎えた子は慣れないものを身につけたがらない。残念すぎる展開に心を打ち砕かれたが、本人が嫌だというのであれば無理強いはできない。とはいえ、「それはそれとして、どうにかなりませんかね?」と、しつこく折衷案を出したところ、どうにかこうにか法被だけは羽織ってくれた。ひとまず今日はこれでよしとするかと祭りに繰り出したのであった。

地元のお祭りを、と鼻息荒く帰省はしているものの、その祭りの実態を僕はほとんど知らない。僕が地元にいる頃も毎年開催されてはいたのだろうけど、そもそも引っ越してきてその地に住み始めたよそ者だったうえに、地元に友達もいなかったのでお祭りに関してはまったくのノータッチ、なんならやっていたという記憶すらない。

一方で甥や姪はこの地で生まれ育っているため、祭りを非常に楽しみにしており、ナチュラルに参加をし、成人過ぎの今でも祭り衣装に身を包み祭りに参加している。その感じ、なんだか素直に羨ましいなと感じるのであった。僕からしてみたら実家ではありつつも地元ではない感覚で毎度帰省しているので”地元”というその向き合い方にそれを感じるのかもしれない。そんなことを思いつつ1日めの夜は更けていった。

山車の上にはありがたいものが乗っているという仕様

その中でも「岩」は斬新だなと思った。

明けて翌日。この日も子に祭り衣装を勧めてみるも断固拒否。しかし帰省の目的のひととつとなっている祭り衣装、これ以上譲るわけにはいかない。あれこれ交換条件を出してみたところ、祭り衣装のズボンだけ履くことを許容した。このチャンスを逃してはならない。一家総出で「かっこいい!」「似合ってる!」と褒めちぎったところ、「かっこいい」が刺さったようで、まんざらでもない様子となったため、気が変わらないうちにと素早くその他の衣装を装着した。

その姿と言ったらもう…ふだんこのブログでは親バカぶりを露呈しないよう心がけているのだけど、その姿勢を崩すほどに尊かった。危うくこの日が命日になるところだったほどである(死因:尊死)。

尊み過積載でこの日も祭りへ繰り出した。祭り会場各地では、祭り衣装に身を包んだ地元の子どもたちが細長い缶ジュース(200mlくらいのやつ)を飲んでいる。自分ではお祭りの思い出とか特にないのに、あの細長い缶ジュースを見るとお祭りだなと思う。なぜだか。

そして、その細長い缶ジュース(炭酸)を真上にぶん投げて、着地時に缶が損傷した箇所からジュースが噴き出てくるものを口で迎えに行って飲んでいた。お?それはやってた。お祭り関係なく。いつの時代も似たようなことやるもんなんだなと感心してしまった。

お昼のうちはそんな光景を見ながら適宜徘徊。お祭りはこの日が最終日で、夜には各種山車が一同に介すというマックスボルテージイベントがあるというのでそれを見に行くことに。会場へ向かった。

会場では山車が続々と集結してくる。山車は祭囃子を演奏するひとが搭乗しているのだけど、その他に般若の面を被って山車を引き回す衆を煽る(鼓舞?)役割もいて、その姿がなんとも神事だなと感じさせるものがあった。般若の他にひょっとこが乗っているケースもあって、こちらは動きがきちんとお調子者な感じでやはり引き回す衆を「がんばりや〜」みたいな感じで鼓舞しているように見えた。お面によって表情は消えているはずなのに、常に「雄々しい」「ひょうきん」の表情が定着しており、動きに相乗効果を与えているように感じた。うまく言語化できないのだけれど、お面があるからこその神々しさというものってあると思う。

ちょっと写真遠いけどこういうこと

見惚れているうちにすべての山車が集合。その姿は壮観であった。

フェスっぽさがある。いやフェスなんだけど。

前述のように、お祭りを意識せず過ごしていた地元時代だったわけだけれど、まさかこんなことになっていたとは。というか、こんなにひといるんだ、僕の地元。ふだん外を出歩いていてもひととすれ違うことなんてほぼないのにこれだけの人間が生活しているのだということにたまげた。こうしてフィナーレを目に焼き付け、興奮気味に帰宅したのであった。

今回地元のお祭りに初めてきちんと向き合ったことになるのだけど、その感想としては「なんともちょうど良い」であった。ちょうど良いくらいの賑やかさというか。うんざりするほど混雑しているわけでもなく、かといって過度に過疎っているわけでもない。全国にはこういう規模のお祭りが散在するのだろうな。そしてそれぞれのお祭りで僕の甥や姪のように自然にそのお祭を楽しんでいるのだろうと思う。我らが子もそんな体験をしてくれると良いなあなどと感じるのであった。

 




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