9月末にいわゆるサラリーマン的な仕事を辞めました。
大胆かつ慎重に長期間に渡って地味に準備をしてきて決行したことなのですが、こちとら地味に20年近くに渡ってサラリーマンをしてきたわけで、辞めて1日の時間が自由であり続けることに対して未だに全く慣れず、本当にこれで良かったのかよくわからなくなっており、その戸惑い感を書き記しておこうと思う(一息)。
バンドマンへの憧れ
ところで小田急線沿線の新宿に近いエリアの主要駅ってどうしてどこもこんなにノスタルジックなのですかね。駅から伸びる道が細くて、両側に、チェーン店と個人商店とこぢんまりとした飲食店と価格が怪しい八百屋が軒を連ねていて。
特段、下北沢などに縁があるわけではないのですが、やっぱり学生のころとか多感な時期にしょっちゅう通って、いいことや悪いことがあったり、終電逃すドキドキを抱えながらお酒を飲んだりしたからなのですかね。あるライブのあと、打ち上げに誘ってもらってあすこの餃子の王将に行って、あるベーシストの人からめちゃくちゃ説教されてさ。当時大学院生で、(研究室が忙しかったから)バイトもしてなくて、親のお金と奨学金で学業を回しつつも(でも)夜は遊んで暮らしていて。それにしたって理系の院生なんてきたねー女だったに違いないのですが、つまり遊び慣れた女とはまた違うなにかだったと思うのですが、そんな私に中卒の彼は「俺たちは君みたいな人がきっちり社会をまわしてくれてるから小さなライブハウスでベース弾いて酒を飲んで暮らしていけるんだ。社会の方は任せたぞ」と言って、チャーハンと餃子とビールを奢ってくれた。レバニラも食べたかもしれない。
最近彼はどうしているかなと思って調べてみたら、某アニメ系IPのハウスバンドとして超大箱でガンガン演奏する、完全にすごいプロミュージシャンになっていて、つまり最近の私の社会支え具合と比べても明らかに向こうのほうが凄いということになっていた。おいおい。
とにかく、その時私が思ったのは、私のような人間はバンドマンからそう見えているんだな、と。学歴偏重型の生き方といいますか。

標準的ライフコースの行き先は「組織」
私は音楽が好きだったけど、辛抱強く演奏の練習をする根性もなかったから、バンドマンになりたいと思ったことはない。学歴を武器にして当時の学生が叩く門は「組織」である。
最近では、能力のある大学生はいきなり起業したり、ワーホリ行ったり、組織に就職する以外にもいろいろ選択肢があると思うのですが、いかんせん当時はめちゃくちゃ景気が悪かった。デフレのせいでハンバーガーが59円だったころの話です。
慎ましく就職することは当然で、就職できない人も大勢いた。就職留年は典型的な職探し手段。ポストバブルの流れを汲んで、前向きにフリーターを選んで経済的に困窮する人も普通にいた。私は、辛抱強く就職活動をする根性もなかったから、4,5社落ちたところで辛抱たまらんと思って、研究室に直接求人が来るルートを使って推薦で職を選た。まあ、妥協です。そういう方法では入社できない超花形企業への就職を目指して玉砕し、博士課程に進学する先輩も少なからず居た。私は冒険できなかった。女子だったし。社会に蹴り出される年齢が24なのか、27、28なのかって、だいぶ話が違う。学費のあてもないし。
いい意味でも悪い意味でも、ずるく、戦略的で、でも何も考えていない、楽な道を選んだと今でも思う。
勤めた先は給与がぱっとしなくて、大学の友人と手取りを比べると泣けたのでお金の話はしなくなった。すぐに激務になって無限に残業代が得られたのでお金に余裕ができ、昭和の女なので25歳にして即金で新車を買ったりした。
なんで楽な道を選べるのか。なんで楽な道を選んだのにお金に困りもせず生きてこれたのか。それは、「組織」というメカニズムがお金をパンピングして従業員に分配する機能を持っているからである。そして学歴(ここでは、大学名や、専門性や、学位のことも含む)とは、そういう分配機能のある組織のなかにすーっと入っていく通行手形になり得るのである。
「組織」のために私が売り渡したもの
組織と従業員の関係性はさまざまであるから、自分のケースを一般化することはできない。例えばビジネス書でよく取り上げられるキーエンスの営業なんかは、使える時間ギッチギチにアポを取って、毎日何を何分やっていたのか事細かに報告させられ、ルールを破るとめちゃくちゃ叱られて、でも決められた通りに仕事を進めればやがて大きな営業成績をつくることができ、すごく良い給与を得られると言われている。
私が働いてきた現場は、特段どうというルールもなく、また何回か転勤して所属が変わるとかなり文化が違ったため、サラリーマン現場あるあるとして面白い話は何もできないのだが、一貫して、いや、働いてきて何処かで気づいてしまってから・そう思うようになってしまってから、ずっと変わらなかった認識は、「この仕事は組織がやると決めたからやっている仕事なのであって、別に私がやりたかった仕事ではない」ということだ。
誤解のないように補足すると、自分は人から指示された仕事を粛々とやるみたいな立場ではなく、むしろ逆で、この事業を安定的に回していくためには組織にこういう作業・ルーティンを埋め込むべきである、という考え方で自ら手を動かす形でジョブ・クラフティングをし、仕事が回るようになれば自席を後輩に譲って自分は別のところにいく、ということを繰り返してきた。その仕事自体はときに大きなやりがいを伴うし、褒められも発生するし、昇進もする。積んできた経験を総合的に見て、悪くない仕事だったと思う。
ではなぜ、前述のような認識から離れられなかったのか。
それは、その事業をやると決めたのは組織であって私ではないし、私が頑張って事業が成功する結果を享受するのは、組織と株主と経営者と偉い人であって、私に分配されるおこぼれは無いにも等しい(大企業は多くのケースで頑張った人と頑張れなかった人の給与差は小さい)し、そもそもどうしても自分がやりたいことなどというものを他人様が作った組織で実行できることなんて稀だからだ。
ちなみに、「どうしても自分がやりたいこと」なんていうのは、ない。
もし、そんなものがあるならば、私はバンドマン(のよう)になっていた。バンドマンとは比喩である。やりたいこと、好きな対象にのめり込み、生活をバイトで支え、貧乏ぐらしをやむを得ないこととする。でもそういう生き方はしなかった。どうしてもやりたいことなんて無かったから。
さびしさの一側面、横顔
私は独身である。独身である理由は色々あるのでここでは割愛する。が、重要なのは、社会を構成する者の義務的な意識として、見合いのように結婚して、その相手と子どもをもうけ、子育てを人生の主軸にするような、そういう人生設計を自分はできなかったということ。若いうちに好きな人と結婚できていたらそうなれたかもしれないけど、その機会を作れず、あとから取り繕うように社会要請に基づく結婚にダイブできるほど、自分を捨てることはできなかった。昨今、そういう人は男女とも少なくないように思うけど。
とはいえ、いつ終わるかわからないけれどもまだあと何十年かありそうな人生において、パートナーと添い遂げるとか子供を育てるといった典型的タスクのない私は、何をして過ごすべきだろうか。私は定年までずっと組織に身を捧げるばかりで良いのだろうか。あるいは、「どうしてもやりたいこと」を見つけることさえままならなかった、【若くてパッパラパーな私×当時の半端ない不景気】へのカウンターとして、どうしても自分がやりたいことを発見し、そこにフルベットするような人生設計を図る。そういう時間の使い方によって、自分の時間を塗りつぶしていくことはできないのだろうか。
まー、そんなことを考えていたのである。
バンドマンにあこがれたなら、今何をすべきか
掲題の結論が「自分探し」だとしたら、流石にびっくりである。私も一応、自分を探すために職を辞したつもりはない。
具体的に何をしているか言うと身バレするかもしれないので言わないのですが、バンドマンに例えるならば、とにかくしっかり時間を作ってギターの練習をするということです。練習して、練習して、色んな人の演奏を聞いて、見て、自分でも練習して、練習した先に、自分だけが創り出せる音楽があるということを私はよく知っているので。
自分の分野で練習して、練習して、自分だけが創り出せるものへの到達を図ろうと思います。
いや、前述のとおり、自分は辛抱強く練習をすることを多くの場面で避けてきた結果としてこういう人生になってしまったという感触を強く持っているので、いまどうやら自分が向いていそうだなという異分野が目の前に現れたところ、全力で打っていこうやという気持ちなのであります。うまくいかなかったら路頭に迷うので、よろしくお願いいたします。
ということで、前置きは長く、重要なポイントは数行で終わりましたが、そういう感じで、実は最近時間があります。
よく「顔が忙しそう」「なんか忙しそう」「忙しいアピール以外なにしているの」等の言われ方をしていましたが、本当に時間があるので、よければ皆さん、会いましょう。