siraphの新譜"Ghost camp"がリリースされました。おめでとうございます!
表題曲のghost camp超良いので聞いて下さい。往年のオサカナファンも泣くと思う。ライブ始まりそうな感じがするから。
配信はこのあたりから
前の投稿に書いたツアーのときと、あとツアーファイナルの東京キネマ倶楽部公演と、Annabelさんが「Ghost Camp」という言葉に込めた想いと背景のお話をされていて、私はそれにひどく共感して、ああこれはなにか書いておかないと!と思っていたのですがなんやかんやと時間が過ぎてしまい。
でも、せっかくのGWなので、やっぱり書こう!と思って、筆を執りました。いや、筆は持ってない。
物理のない、感情や言葉や概念だけの存在になる
一語一句を記録・記憶できているわけではないのだが、Annabelさんがおっしゃっていたのは ―人と人との関係性ではどうしても見た目を含む五感由来の情報から逃げられない。Annabelさんであれば、女性、ハーフ(、びじん)とか。だけど、本当は、そういう情報なく、ただ魂(人間性?感情?)だけで向き合って、それだけでもわかりあえるのが理想で、そういったノイズのない純粋な関係構築をイメージして「Ghost Camp」という言葉を選んだ。魂だけが集まってキャンプをしているような。
私ね、その言葉を聞いて過去一Annabelさんに共感したんです。
ちょっと違うルートかもしれないけど、私も、フィジカルを脱ぎ去った形で人と向かい合いたい欲求があるんですよね。それも結構強く。だから10代の頃からインターネットにいたのかもしれない。インターネットにいたら、あえて明かさない限り、性別も、職業も、出身地も、顔かたちにおい、何もわからず、ただ言葉だけで接することができるじゃないですか。
そういう、余計な情報を捨てて人と知り合うことのできるインターネットが好きだった。自分は、特に10代の頃は、自分のフィジカルに色々問題があってコンプレックスも大きかったので。
文字だけでやり取りしあって、わかりあって、あとから会う関係も好きだった。そういう知り合い方をした人のなかから、何人かの親友を持ち、長い付き合いの人も増えた。インターネットで出会った人とあとから物理的に出会い直して、物理的なところに問題が生じたために疎遠になった人はいない(と思う)。物理的な情報をすこし割り引いて見る優しい関係性があったと思う。

物理的な自分の形状で、得をする人もいれば、損をする人もいる。私は直感的に、(ちがうかもしれないけど)Annabelさんはその姿で得をすることが多いだろうと他人から思われること自体に対し、いやだと思う気持ちがおありになるんじゃないかな?と思った。ちがうかもしれないけど。あるいは、siraphというグループの中に居て独りだけ女性であることの座りの悪さが、物理を脱ぎ捨てればもっときれいに統合できるのではないか?とか。まあ、私の想像に過ぎないけれども。
でも私自身も、昭和の女として社会でうごうごやっていくなかで、インターネットの中にいれば意識せずにいられた男女差の問題などを、実社会ではつきつけられて、うまく処理できなかったりしてきたので(つまり、昔はもっと働くって男社会で、男が働く前提でデザインされた社会に後から入っていくようにやってきたので。うまく統合できなかったし、社会の側を自分の力だけでは変えられなかったので、働き方改革が浸透するまでは大変苦労した)。
キャンプをしたと思えるほど、ことばを交換することは難しい、のか?
「キャンプ」ということばにも実際のところ結構深い意味があるなあと思って。
私は泊まりのキャンプってしたことがないんだけど、結構親しくないとキャンプってできなくないですか?(そんなことないのかな)そもそも人と泊まってる時点で結構仲良し。一緒に御飯を作ったりとか。お酒を飲んで語ったりとか。ただの飲み会の関係から一歩進んでますよね。そういう、普通より一歩進んだ深さの人間関係が結べている状態をあらわすとしたら、深い言葉だなあと。
そういう関係性じたいが、もはや私クラスになってくるとレアだから!歳をとって、ライフステージが変わって、自分の周りの人も家族をもって、子どもをもって、若い頃のように気軽に呼び出して無目的に語らうことは少なくなった。私のおひとりさまレベルはずんずんと濃縮して、一人で平気なのか、それとも一人耐性が高まりすぎたのか、わからなくなる。人と語り合うって何?!
そういうなかでも、こうして、ブログのようなところに物理を脱ぎ捨てた私が感情を叩きつけることはできている。10代の頃から何も進歩していないけれども、私という名の幽霊のソロキャンプ、最低クオリティの自分語りはできている。
私は誰のためにも書かない。読み手を想定せず、とにかく自分の思ったことをそのまま出すことが重要。そういうふうに書いてきた。だからこの文章は、キャンプ用エピソードではないんだけど、でも、ghost camp materialとして物理を捨てた情報交換に流すう◯こ💩としては機能可能なようにも思えるんですよね。
この文章の読み手は、私の顔を知ってるかもしれない。年齢も。でも、実のところ私のこと、詳細を、殆ど知らないですよね。
へーって思ったり、共感したり、こいつ何なんだ?って思ったり、即ブラウザを閉じたり。そういう、物理を介さないこころの交流が、あるかもないかも。10代の頃むずがゆくソロキャンプを楽しんでいる中に、何人かのソウルメイトをみつけた。そういう奇跡のGhost Campを私は知っていて、それが2025年に再現可能なことなのかわからないけど、でも確かに、物理がなくても情報だけでわかりあえることって、あったんですよね。
このブログを読んでいるかもしれないsiraphのオタク同士は(あるいはメンバーは?!)、少なくとも顔は割れているので、物理から開放された関係性をこれから築くことはもうできないのですが。
でも多くの人は、本名も知らないし、仕事も知らない。家族のことも知らないし。そういう関係性だから、ある意味、siraphのオタクが福島の蔵で飲んでいるのとかが、Ghost campだったのかなー?とか
思索はまとまらずに広がるし、結論もないけれども。
なんか、勘違いかもしれないけど、バンドメンバーってファンのことを強く思っているのかもしれないな、とか。物理的制約を外したら、意外とこころはそばにいるかもしれないな、とか。
不思議な気持ちになるんですよね。良作なんです。そういう気持ちになるGhost camp、みんな聞こうね。