以下の内容はhttps://takemyhands.hatenablog.com/entry/2025/03/24/202028より取得しました。


siraph旅2025 仙台と上越編

siraph Ghost Camp Tour 2025 DAY3とDAY4に行ってきた

 「推し活遠征」などという言葉も一般的となり、好きなバンドを追いかけて遠くに旅にでることもなんらおかしくない時代を生きています。

 3月22日(土)は仙台の中心市街地にあるライブハウス"enn3rd"、23日(日)新潟県上越市の高田地区の中心市街地のはずれにある"上越EARTH"を目指して、旅をしてきました。バンドが旅に連れ出してくれるのはありがたい。自分は人よりは旅好きだと思うのだが、単に旅をするために旅をするということがめっきり減ってしまった。家の周りに居たら居たで、何かとやることもある日々だから。だから遠くに用事があることは貴重。その用事に合わせて、旅をする。

 一つ前の喜多方の記事もsiraphが旅をさせてくれた例であるけれども。本稿では、仙台と上越の街歩きの話をさせてもらいたい。

 

1日目、仙台の旅 震災遺構のある荒浜地区へ

 仙台は当然に都会なのでたまに来る街ではあって、あおば通りをはじめとして中心地のいくつかの場所には出かけたことがあった。そこで今回は、3月で色々報道されていて気になっていたこともあり、海辺のほうに向かうことにした。

 地下鉄東西線の終点である荒井駅から、ドコモのシェアサイクルアプリで借りられる電動自転車に乗って数キロ海の方へ。震災遺構「仙台市立荒浜小学校」を見学した後、その隣に設置されている「避難の丘」、「JRあらはまフルーツパーク」を訪れ、震災遺構「仙台市荒浜地区住宅基礎」、そして海岸(旧・深沼海水浴場)に立ち寄った。

 荒浜小学校の館内の展示については、充実のウェブサイトが設置されているのでそちらを見てもらいたい。

arahama.sendai311-memorial.jp

 

 私はもともと街歩きが好きで、観光というでもなく人が住んでいるところの道端をただてくてく歩いてその空気を吸うだけみたいな時間も贅沢で大変良いなと思っている。もちろん歩きや自転車で回れる範囲は大した距離ではなく、車社会の街にあってはそれで人の生活の何割も知ることはできないわけだが、街が持っているその時どきのダイナミズム(動的に変化していくものであること)を感じることが好きだ。これは、完成すれば一定のレベルでフィックスされる芸術作品や建築(朽ちない限り)とは異なる。街は営為であり、変化するという前提がある。

 荒浜小学校の展示が見せてくれるもの、特に、4階の一番奥の部屋に展示されている地震から津波、そして避難までの時間軸上の記録と、住民の語る回顧録ビデオは、街のダイナミズムのうちもっとも極端なもの、すなわち”一瞬での破壊”を伝えている。

 

 

 教室のベランダや、屋上から見渡す今の荒浜の風景には、かつて百数十人の小学生を抱える街があったとは想起できないほど、なにもない。展示によれば、確か当時世帯数としては800くらいがあったとか。約15年が経って、集落が津波リスクの低い場所に移動していったこと自体はなんらおかしくないものの、これだけの規模の土地が未利用のまま残されていることに驚くとともに、とはいえじゃあ何ならここに在ることができるのか?安易なアイデアしか浮かばない。この地区は、1933年にも津波に襲われ、その時は現在の仙台市中心部近くまで水が達した記録があるようだが、その記憶がやがて失われ、防風林の近くまで半漁半農の市民が住居を構えるようになったという。

 

 

 旧・深沼海水浴場は細かいきれいな砂浜の海岸だったが、震災後閉鎖され、大きな堤防ができたものの、海水浴場は再オープンされていないという。風が強い午後だったからかもしれないが、見渡す限りサーファーなどもおらず、堤防の上でぼんやり語り合う地元の人と思われる方、ランナー、犬を遊ばせている人が、ぽつぽつ。かつて海岸沿いに生い茂っていたと思われる防風林は歯抜けになっていて、津波の襲った10mくらいまで枝葉のない木が並んでいるが、風よけになるわけもなく、陸から海に向かって猛烈な風が吹き込んでいた。防風林自体は再建中で、海水浴場の近くに多数の植樹が見られたが、実際に街を守るほどに木々が育つにはまだまだ長い時間がかかりそう。

 一瞬の悲劇によって、多くの住人の命とともに生活の基盤たる機能を失ってしまった街。そこからまっすぐ伸びた道路を向かい風のなか気合で西に走って戻る。かさあげ道路を一つ抜けると水田が広がり、さらに走ると東北自動車道のそばには工場や倉庫と思われる二次産業の建物があり、民家はぽつぽつ。その濃度がやがて高まってゆき、きれいなマンションが見え、地下鉄荒井駅につく。

 その道のりは、自分の地元の地方都市(というか田舎)と大して変わらないんだけど、海のそばの生まれ変わらない空間がなんとも哀しい。津波から人命を守る対策は蓄積されており、その土地に居ることがたちまち命を脅かすわけではない。ただ、数十年に一度海水をかぶるところに、財産を蓄積することはできない。だから、仮に似たようなことが起こるとしても耐えられること、あきらめられることに土地を使うしかない。

 それにしたって。一見さんの私に何も言うことはできないんだけど。

 

2日目、上越の旅 直江津と高田

 翌日、仙台から新幹線で大宮に戻って北陸新幹線に乗り換え、上越妙高駅へ。そこからえちごトキめき鉄道妙高はねうまライン」に乗り換えて、日本海沿いの街、直江津へ。ライブハウスはその途中駅の高田にあったのだが、なんとなく、海が見たくなって。太平洋の次の日に日本海を見に。

 

 

 駅前の中心市街地は、雪よけと思われるミニアーケードが敷設されつつも日曜日は大半のお店は営業しておらず、たまらないさびれ具合。低層の建物がずーっと続いているが、必ずしも自然が混在する田舎という感じではなく、やはり街なのである。しっかりと建物が密集する街が1.5kmか2kmほど、海岸ぎりぎりまで続く。前日訪れた荒浜地区は、海岸沿いから2kmほどのかさあげ道路まで、ほとんど民家は再建されていなかったが、直江津は海岸から道路を隔ててすぐまで住居が建っている。防砂のためか、塀こそ高めだったけれど。

 

 

 じーっと海岸に滞在したわけではないので人の様子はよくわからなかったけど、海岸沿いの駐車場には10台は軽く超えるほど地元の車が止まっていて、カップルや家族連れ、釣り人なんかもそれなりに居た。静かな海ではあったけど、寂しい海とはまた違う、生活の海か。

 


 訪れるまでまったく知りも気づきもしなかったのだが、直江津には大きな操車場があり、たくさんの線路が敷設されていたり車両が止まったりしていた。駅のホームには撮り鉄もぱらぱらいた。私も撮り鉄か?線路の奥に雪山がうっすら見えるのがエモい。田町では摂れない栄養があります。

 鉄道もまた街の形成の重要なキーとなる営為。上越地区のこのあたりの列車は、北陸新幹線の開通時にJR東日本から第三セクターに経営移管され、現在は「えちごトキめき鉄道株式会社」という会社によって運営されているという。この車社会にあって、地元の多くの人は自家用車で移動するんだろうけれど、私のような外のものや、ビジネスでやってくる出張者など、そして車を運転できない年齢の方などは、こういった公共交通を頼って中距離の移動をさせてもらう。これがなくなってしまったら、たとえ新幹線があっても容易にライブハウスにはたどり着けないし。直接的な因果関係を観測することは極めて難しいけれども、観光の動機、新しいビジネスの流入動機として縁の下の力持ち的な効果を持っていると言えるだろう。

 

 

 直江津から妙高方向に戻って高田の街に降りると、そこはまた想像以上にしっかりした街だった。駅もめっちゃおしゃれだし、駅から少し歩いたところに東西それぞれ数百メートルにわたるアーケード街もあった(お店はほとんど休みだったけど)。

 

 おそらく多くの方は車で郊外にあるショッピングセンターなどに出かけて暮らしているところ、中心市街地がしっかりしているのには驚いた。どうしてだろうと思っていたら、この街にもともとあった「高田城」というのは松平氏による60〜75万石ともいわれる越後高田藩の藩庁であったという。ビッグシティじゃん。お城の本丸が焼失したのは1870年とのことだが、それから150年以上にもわたってきちんと街の営為が受け継がれているのがすごい。

 どういう産業があるんだろうと調べてみると、出るわ出るわ。上越市内には、信越化学工業直江津電子工業などの子会社も)、ブルボン、日本曹達などが工場を構えているらしい。そして訪れたときには気が付かなかったけど、直江津には世界最大の無印良品のお店がある。産業の足腰が強すぎる。こういうポイントは、街歩きでは見えないこと。下調べして、車で街を走り回らないと見えてこないことだなー。中心市街地だけを歩いていると、どうしても休日特有の寂しさを感じてしまい、しーんとした印象を持ち帰ってしまうんだけど、真の営為はよそ者の街歩きからは見えないところにあるよね、という当たり前の事実を突きつけられます。

 高田城址公園のなかには、閉館時間を過ぎていたので見学できなかったけど博物館や美術館もあり、また3〜4月には日本三大夜桜なお祭りも行われるらしい。三大にランクインするのは凄い。江戸時代に3000本もの桜の植樹が行われたとのこと。お城の本丸が残っていないのがなんとも残念だけれども、これだけのレガシーを備えているのだから石破政権の地方創生予算かなんかでちゃちゃっと再建しちゃえばいいのに(軽い)

 城址のまわりに立派なお濠があって、おそらくこれ蓮ですよね?枯れた茎が湖面にびっしりと残っていて。夏になってこの蓮が咲いたら、めちゃくちゃキレイだろうなと思いました。桜も見てみたいし、蓮も見てみたい。(siraphのキーボーディストで地元出身の)蓮尾さんの街だ!!この日は残念ながら曇っていたけれど、奥に見える雪山も迫力があって素晴らしかった。土地や街が持っているパワーを感じた。人が居付いて、産業が根ざして、街が続く”持続可能性”の片鱗をみた。当たり前にずるずる続いていく東京にはない、土地ならではのエネルギーだと思う。

 

ユートピア・コスモス」

 最終目的地のライブハウス上越EARTHは地方らしく、地下ではなく1階部分で音出しできる物件。天井もめちゃ高い。物件に「ユートピア・コスモス」という看板がかかっていて、なにかと思って調べてみるとどうやらかつてはゲーセンだったとのこと。隣の敷地には元・レンタルビデオショップなマクドナルドもありましたけど、かつてはここに青少年たちの文化が集積していたのですね。いや、ライブハウスがあるから、今もそうか。

 上越EARTHというライブハウス自体はSince 2005とあって、割と最近(???)つまり蓮尾さん上京後にオープンした箱であるようだけど、もしかしたら格ゲーマー・蓮尾少年がこのユートピア・コスモスに通っていたのかも?しれないですね。夢があるなあ。

 

 高田の街を歩きながら考えていたことは。これだけしっかりと市街地があって、お城があって、そういう街に暮らしていて、エレクトーンを習って、めちゃめちゃ上手で。そういう18歳が、どうしても音楽に打ち込みたくて東京に飛び出していくっていう、その飛び出す推進力がやっぱり凄いなっていう。地元でまあるく収まる慣性が強く働いている街だと思ったんです。信じられないくらいさびれていれば、危機感で飛び出せるとかもあるのかもしれないけど、そういう感じじゃなくてちゃんと持続している地方都市だったから。でもそういう、なんとなく生きれる慣性の法則を打ち破って、東京に出てきてくれた蓮尾さん、素晴らしい方だし、素晴らしい音楽だし、なんかもう、素晴らしいなって。語彙仕事しろ。

 だって素晴らしい人格者で、ご家族も素敵で、エレクトーンの先生や地元のお友達などもライブにたくさん集まって、調和の人じゃないですか。でも曲とコードの不協和、違和感からの、やっぱりそれが( ・∀・)イイ!!っていう、異常性がありすぎるのに一周回って完全に調和してるのやばくないですか。歌メロ美しすぎるのにバッキングのピアノの音おかしいんですよ。どうしてそうなった。でもそれじゃなきゃだめで。

 いや、そんな音楽性と街とのあいだには特に関係はないかもしれないんだけど。

 なんというかこう、これてよかったです。

 この記事、いつになく音楽バンドとしてのsiraphと関係なくてすごいね。まあ、いいか。結論としてはー 旅をしました。また旅に出たい。

 

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(追記)

siraphへの感謝

旅の間にこんなことを投稿した。

 

 まー私は、音楽家(バンドマン)とおよそなにか共通言語を持つ人間ではないのです。ピアノは10歳で卒業。ガリ勉で生きてきました。大学院生のとき、下北沢の餃子の王将で「おれ中卒だからおごってやるよ」って某ベーシストの人にライブの後おごってもらったことあります。全力で親のすねをかじって生きてきましたし、相対的におそらく挑戦もしていない人生であります。今の仕事を今後辞めずに続ければ、おそらく経済的安定も続き、住宅ローンもたぶんそんなにおばあちゃんになる前に返済もできてしまうでしょう。

 そういうふうに、守りの人間だから、旅に出ることは重要なのです。知らない土地に行き、知らないものを見て、自分の中の守りきって淀んだ空気を入れ替えたい。きっかけがないと換気さえも忘れてしまうから、連れ出してくれるあなたは、私にとって重要です。

 そしてステージを観て、身体を揺らして、客席に向けられた照明が眩しいから目をつぶって、俯いて頭振って、髪の毛がボサボサしてきて、ようやく、ほとんどない共通言語が重なったときに、自分も飛び出していきたい、そういう人に憧れてずっとやってきたじゃないか、そんな衝動と対峙するわけです。

 私はおそらくこれからもおよそ音楽家(バンドマン)と共通言語を持つことはないかもしれないけど、せめて飛び出していったということだけは、そこだけは戦友になりたくて、自分なりに飛び出せるように、自分なりに尖れるように、そんな感じでやっております。

 どうやら、ハイスイノナサschool food punishmentを通じて、照井さん、蓮尾さん、山崎さんと出会ってから16、7年くらいになるようなのですけど、10年くらい前からですかね、自分なりに飛び出そうとして、遠くの国に引っ越してみたり、神﨑風花さんと同じ年に大学戻ったり、結果が出ているのかよくわかりませんが、そういうことをしていて。バンドマンのようにクリエイティビティを社会に投げつけるほど、大きな成果は出せていないように思いますが、なんというか、遠くの街までライブに行くことは、自分自身の飛び出し角度を調整するような行為だなと思って。

 最近ほぼ毎日くじけてますけど、あらためて飛び出し角度のチューニングさせてもらったんで、また引き続き頑張ります。

 私的なことだし、具体を書いていないからなんも伝わらないですけど、そういう感謝を記したくなったので。ありがとうございます。

 旅情にしても、想いにしても、書かないと溶けて消えて忘れてしまうので書きました。引き続き応援します。ありがとうございます。




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