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友達ほしいので

この記事は、Kumano dorm. Advent Calendar 2025 - Adventarの22日目の記事です。

 

1. 京都を出る前に


 わたしは2020年入寮のOPで、総合人間学部6回生の女性です。つぎの春、京大を中退して京都を出ることになりました。2024年の夏に退寮してからも、寮に遊びに来たりKMN48を支配下に置いたりと、なんやかんや関わりを続けてきましたが、やっとちゃんと離れるタイミングが来たみたい。

 

 最後に友達を増やせるだけ増やして京都を発ちたいというか、話してみたかった寮生とかまだいっぱいいるんだよな…と考えたが、私は人見知りでめちゃくちゃ受け身のコミュニケーションしか取れないため、詰んでしまいました。そもそも、友達を作る努力をしなくても友達ができるだろうと見込んで熊野寮を選んだんだった。

 

 ではこれまでどうやって友達を作ってきたのかというと、大体はTwitterやブログに自分のありのまま全てを書き、それを読んで面白がってくれた人に話しかけてもらう、といった具合に。もしくは酒や脳みその勝手な動き、役割意識などの力を使って普段の自分ではないものになり、そいつに任せるというやり方を使うことも多々あった。ただ、これは飛び道具すぎるというか、あまりに体に悪く、加害的で、その先に続く関係も持続可能性が高くないので、やめていきたい!

 

 ということで初心に帰って、読んでくれた人と友達になるために、自分のことを書こうと思います。今年は特に、自分のどうしようもなさをどう考えてきたか、何に希望を見出してきたか、どうやって助けを求めてきたかなどについて、なるべく誰かの役に立つものを書ければと思っています。

 

 このブログに残っている過去記事とかも、よかったら読んでいってくださいね←実は移転しており、そういう星回りにもさまざま珍妙な自分語りを掲載しています。目を引くものがあればぜひ立ち寄って帰ってね(最近はずっとmixiにいるから、mixiに吐き出したものを転載していることが多い。マイミクのみんなにとっては新鮮味がないかも)。

 

2. 病気色の人生


 ここ10年ほどの流れは以下に記すような感じ。本当はもっと宝物のような瞬間や、楽しいことつらいこと言葉にならないことがたくさんあったが、一旦あえて病気や困難に焦点を当てて、パッと見暗めの(しかし、私の存在そのものが光であり、この人生は明るい)生き延び歴を紹介します。なぜわざわざ病気っぷりを軸にするのかというと、今年は医者や制度に助けを求めるために大量の資料を作成したために、使える素材がたくさんあるから。明るいのを一から書き直してもよかったんだが、少し面倒でした。手を抜くと人生が病気色になるという、よい例やね。

 

 

 中3のとき、友人に対して抱いていた被害妄想を爆発させてしまい、学校生活の中核をなしていた人間関係を、大破壊した。そのついでに自律神経も破壊してしまい、不登校ぎみになる。不定愁訴のデパート状態や希死念慮の始まりはこの頃だった。今思えば、私の境界性パーソナリティ障害然とした部分はここで初めて大きく表出したのだと思う。

 

 そして同じ頃、母も職場での人間関係上の悩みから自律神経を壊しており、私たちの症状は不思議とリンクしていた。これに象徴されるように、母子間のバウンダリーは当時かなり曖昧であった。「逆転したケア関係」という言葉があるが、私たち母娘の間でケアはぐるぐると回転し続けていた。

 

 登校習慣については高校入学を機にやや立て直したが、高2の終わりにまた人間関係で悩み、休みがちな日々に舞い戻る。欠席日数を減らすためになんとか7・8限にだけ出席するようなことも多かった。

 

 そんな中でも、大学進学は当然の選択肢として私の前にあった。私立中高一貫の自称進学校に通っていた私に、勉強以外のことは何もできなかった。それに、勉強ができると言っても、本来それに付随するはずの「まっとうな努力ができる」という能力に関しては万年落第生だ。幼い頃から「人間力が低い」「生活力がない」「お前みたいなやつこそ学歴は持っておかないと」と言われて育ってきた私は、自分がどうやら発達障害者っぽいぞ、ということには早いうちから気づいていた。そして高2で経験した飲食バイトでその疑いは確信に変わった。就活なんてできるほど、立派な18歳ではなかった。

 

 京都大学に合格した。熊野寮に入った。楽しかった。正確には1日おきに楽しくて、1日おきに寝込んだ。

 

 寮ではいろんなことがあったけど、思い出そうとしても思い出せないことがあまりに多い。私の記憶はやや曖昧で、時系列順には並んでおらず、精神状態や薬の影響でしか開かない箱、みたいなものに仕舞い込まれていがちだ。だいたいの時期には、私はお風呂に入るのが苦手で、洗濯が苦手で、トイレに行くのが苦手で、ご飯を食べなさすぎたり食べすぎたりしていた。時には過度な飲酒や自傷行為をしたり、それに他人を巻き込んだりしていたこともあるだろうし、自殺企図をしたり突然遠くに出かけてみたりもしたと思う。

 

 症状のようなものがひどかった頃に、大学の心理相談室を利用していた。大学の精神科医の先生に医師面談をしてもらい、紹介状を書いてもらって市内のクリニックにかかった。そこでは「双極性障害様の症状を呈しているが、それは2階建ての2階の部分で、土台に愛着の問題がありますね」と言われた。先生のしてくれた説明にはとても納得がいったし、もらった漢方は過緊張によく効いたが、通院は続かなかった。「病院に行くほど何かの症状が重いわけではない」と思っているか、やけに調子が良くて「症状」のことなんか頭にないか、そのどちらかだった。

 

 寮生活に関してもう一度振り返るなら、もちろん部屋のベッドで寝腐っていたばかりではなかった。たくさんの素敵で楽しいこと、自分だけのものではない苦しみ(これを味わえるのは、本当はとても素敵なことだ)、一瞬で価値観を変えられるような光景、いろんな色のまばゆい光が私の荷物になった。抱えるには少し重くて、降ろしてみると背中が寒くて、直視すると眩しいから今は少し、暗いところに保管している。

 

 熊野寮とあともう一つ、私の長い学部時代の、基地になっていた場所がある。アルバイトとして関わってきた、重度訪問介護の支援現場だ。私はとある利用者さんを4年ほど担当していて、その人の生活に入らせてもらうことを通じて、生活の仕方を学んだ。

 

 私には、生きるということがよくわかっていなかったのだと思う。私の生活は常に時間の流れの中に溶け出していて、1日をどう捉えていいか分かっていなかった。そして、自分が自分の人生を動かす主体であるという意識があまりに希薄だった。何歳までには死んでいるだろうとか、どうにもならなくなったら死ぬのだろう、としか考えていなかったし、そもそも、なんにも「自分のもの」だなんて感じたことがなかった。頭の中のよくわからない物質に支配されて思考のモードが完全に切り替わる感覚、もう覚えてもいないような小さな傷に吸い寄せられて止まる時間、理由もないのに緊張する体、そのどれも「自分のもの」だなんて思えるわけがなかった。

 

 結局、大学にはほとんど行けなかったが、訪問介護の利用者宅にはどれだけよれよれの状態でもタクシーに自分を押し込んで向かった。支援時間中だけは、人の形でいられた。他人の生活リズムの中で、他人の手足のように動き、他人の家の掃除や洗濯をして、他人のやかんでお茶を沸かして、そしてやっと、生活がわかるようになった。人はみんな自分で自分の世話をして生きている。それに困難が伴うような場合であっても、誰かや何かの支援を受けながら、自分の世話を続けていくのだ。福祉の世界では、どうやらこれを自立というらしかった。私は利用者さんの生きる姿やその生活から、援助希求のやり方、自立して生活するということがどういうことかを学ばせてもらった。

 

 そして休学して重訪バイトに専念し、現場でまあまあ主戦力となったり、やっと精神科通院を開始したり、退寮してシェアハウス暮らしを始めたり、家族関係で衝撃の事実が発覚し続けたり、なんやかんや復学したり、制度に助けを求めまくるもやはり学校へのトラウマか、体が学業を拒否しまくり挫折したり、突然高卒としての就活をやってみたら内定、やったー!といった感じで、慌しかった・・・ここ数年間のことは、羅列以上に良いやり方で整理することが、まだできない。

 

 とにかく、重度訪問介護の仕事だけは長く続いており、通院と服薬習慣が安定したことや、夜勤を辞めたことで生活リズムが安定した。シェアハウス暮らしは寮生活よりも精神の健康によかったし、恋人との関係も、私にしては安定していた。様々な要因がうまく噛み合い始め、前に進んでいると思える日々ではあった。ただ「大学に行けていない」という一点が、ずっと胸につかえて苦しかった。

 

 明らかに自分には頑張れない環境に身を置いて、「頑張れていない」状態で居続けることから、自分を解放してあげなければ、他の何をどう整えても無駄だと思った。重度訪問介護の仕事を通じて、人は他人に許されるために生きようとするべきではない、他人の許しなど必要ないとわかったのに、私は誰かに許してもらうためにずっと自分を縛りつけていた。そろそろ、許そうと思った。

 

 あと、率直に言えば、これ以上変な履歴書を作りたくなかった。就活は苦しかったけど、みんながやってることを少し体験できて嬉しかったな。みんながやってることを、自分もやってみたい。そんな子供のようなことばかり考えている自分を、こうやってあやしながら生きていかなければならないのは少し億劫だ。でも、存在を誰かに許してもらう必要なんてなくて、最初から許されて生まれてきた、と感じられるようになるためなら、手のかかるこの自分の世話を、諦めないでいようと今は思っている。

 

 

※診断について

主治医の見立てでは、ガチ躁鬱ではないが、愛着の問題から二次的に発生している、躁鬱・ADHD境界性人格障害複雑性PTSDらへんに重なる病態の何かだろうということで、一旦診断としては双極性障害Ⅱ型+ADHD(明記されなかったけど概日リズム睡眠・覚醒障害も併存)らしい。考えられる選択肢の中だったらその診断名が一番支援受けやすそうだもんな。解離もあると書かれている。生きていくためならレッテルでもなんでも使えるようになりたいし、その道具に飲み込まれないようにしたいねー。

 

3. 人生が病気色の人に伝えたいこと

 

 公的制度や学内支援機関は、早くから利用するのがおすすめ。「まだそこまで困ってない」「自分なんかより困ってる人が使うべき」という考えは捨ててください。予約の連絡とかができる多少元気なうちに初回面談などを済ませていれば、その後のメールのやり取りとかで肩肘張らなくてよくなり、気持ちが楽になります。

 

【こんな制度があるよ】

○学内支援

・合理的配慮申請(DRCに行こう)

・学費免除申請

(ピンチ!制度廃止撤回を求めるオンライン署名はオンライン署名 · 「京都大学独自の授業料免除制度廃止」の撤回を求めます #独自制度存続 - 日本 · Change.org

・小口短期貸付など(奨学掛に聞いてみよう)

公的支援

自立支援医療制度

障害者手帳

障害年金

生活保護

・生活福祉基金貸付制度

他にもいろいろ使えるものはあると思うので、後述のDRCなどで相談してみてください。

 

【こんな学内支援組織があるよ】

・心理相談室

: 臨床心理士さんがいる。とにかく傾聴してくれる。精神科でゆっくり話を聞いてもらうことは基本的に難しいので、ここで聞いてもらうのが一番だと思います。私はセルフカウンセリングのようなことをやりすぎて、古傷をほじくりすぎることがあるので、もっと心理相談室を活用して安全な環境で記憶や思考を整理するのに役立てればよかったなと思っています。頼めば医師面談もしてもらえるはず。

・DRC

: 人によるけど、ざっくり精神保健福祉士さん的な人がいるイメージでいいと思います。心理相談室より実務的な相談に乗ってくれるところ。障害者手帳とか持ってなくても相談できるよ。私は実際、履修計画の相談に乗ってもらったり、お金関係のさまざまな手続きをその場で一緒に進めてもらったりしてきました。合理的配慮申請もここからできるよ。

 

【援助希求のコツ】

・とりあえず窓口を探して飛び込む。電話、メールよりも表情などで困っていることを察してもらいやすい。

・メールをしなければならない時、とりあえずchatGPTに投げる。最低限の推敲だけをしてそのまま送る。

・自分がすでにかなり図太いという自覚を持ち、それを長所として生かす。これを読んで「参考になる」と感じてくれている人は、きっと遠慮しいで損してきているだろうと思うが、そんな苦しい状況で生き延びているということは図太さのポテンシャルが高いはず!生かそう。

 

 

 病院について。どんな薬出してくれるかとかが気になると思うけど、まずは診察室に圧がないことが私にとって最優先事項だった。圧がない病院について、具体的なおすすめは直接聞いてくれたら教えます。

 

【通院のコツ】

①毎週/毎月決まった予定のある日を選び、その予定の後に行く。

→これをやることで、布団の中からではなく、もう動き始めている状態から病院を目指すことができる。もごもごしてしまい前の予定をこなせなかったとしても大丈夫。通院より優先すべき予定はない。

②話したいことをある程度メモしていく。

→「緊張や萎縮で言いたいこと言えなかった‥」を防げる。思考がまとまらないときも、それをそのまま書いて印刷して持っていくと、状態をわかってもらいやすい。話したいことがない日は、なぜ話したいことがない日々が続いていると思うか話してみる。

③通院を飛ばしてしまったときは、なるべく早く電話をする。

→あんまり怒られることはないから大丈夫。

④ついている診断との整合性などを気にしすぎることなく、今一番困っている症状についてきちんと話す。

→たとえば発達障害の疑いでかかっているとしても、こだわりや忘れ物の話しかしてはいけないわけではない。眠れなくて困っているならそれをまず話そう。

 

 

【詰んだ時に踏むべきステップ】

①なんらかの相談援助を受ける

②助言通りに生活を変えてみる 

→ 無理だわね〜

③精神科等に通院し、投薬治療を受けてみる 

→ マシにはなるけど無理!

④合理的配慮申請など、使える制度を全部使う。他人に頼りやすい仕組みや、自分が変わらなくても回る仕組みを作る 。

→ かなり耐えはじめる。

 

 そして①〜④を無限に繰り返す。時間はかかります。時間がかかることを受け入れるのにも時間がかかる。空元気でやっていくしかないこともあるが、このステップを繰り返していると、「マシにする」や「助けを求める」が上達します。

 ①②は結構苦しいが、何を変えることができ、変えることができないのかがはっきりするため、おすすめです。

 ③については、副作用などで体がしんどいかもしれないこと、また期待したほどの効果を得ることができずがっかりするかもしれないことが懸念点。私の実感としては、薬が解決してくれる問題はそう多くありません。ただ、②や④をやることができるような素地を作ってくれることがあります。

 ④に関しては、図太くなることが重要。なんか世界って結構「言ってみるもんやな」って感じだから。そして、図太さを磨くために①〜③のステップが重要なのだ!

 

 

おまけ なんかの時に書いていたやつ


 私が薬を飲んで大学やバイトに行こうとしたりすることははっきり言って負けで、自立は負け方を自分で選ぶことでしかないと思う。みんな負け方を選んで自分の足で立ってるのはほんとに偉いけど、あくまで負けてるんだということを自覚してないから敗者の中で揉めるんだと思う。今の社会の仕組みは数少ない勝者に利益をもたらすもので、勝つためには仕組みを肯定して迎合して、同じところで生きてきた人たちを踏んづけて成り上がるか、仕組みをひっくり返して勝つための闘いをやるしかない。ただ、負けでも自分で負け方を選んで決断して生きてる人はみんな偉いと本気で思う。そう思っている自分を肯定したいだけかもしれない。自分は活動家になれない。

 

 活動家になれない、活動家になるような人を消費することしかできない。ほんとは活動家に惹かれるなら芯から獲得されて共に立つ同志になるしかない。████さんは活動家じゃないから、芸人だから、私が芸人にならなくても面白くなくてもファンになっていいし、いくらでも消費できる。


 ↑こんな感じの文章を日頃から書き溜めているのですが、友達ほしいから2025年まとめ - そういう星回りを作成したのでよかったら読んでください。役には立たないと思いますが…

 私がずっとやってきた、全てを書くという自傷行為かつ生存戦略です。内容は、欲望、性的消費、フェミニズムの実践について考えたこと、愛着と恋愛、自分の中のサブパーソナリティ同士に信頼関係がない、などの話です。おまけ。

 

 




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