下書きをたくさん放出した。2021年1月の記事たちは、巨大な恋愛妄想に囚われた躁状態の人間が書いたものなので、読むとおそろしくて仕方ないため、公開できない。下に貼ってるのはたぶん2021年の夏の下書き。
・わたしが世界と接続するのに他人は必要ないし、何のコミュニティに属することも必須じゃないのに、わたしの生存にはほかの人間全員(生きてる奴も死んでる奴も)が関わっていて、わたしの存在もほかの人間たちの生存になんらかの形で寄与したり、場合によってはだれかの生存を阻んだりしているわけで、たとえわたしが今ここで自殺したって、わたしが生きたことや死んだことが何かに影響を及ぼすのを止めることはできない。いや、そんなん知らんし!気が狂いそうである。わたしと世界の間にはなんの契約もないし、支配-被支配の関係にあるんでもなく、包み込む役割をたがいに委ねあいただ循環しているのに。人間が生命を維持するのには社会が必要っぽいし、わたしの生き死にはそれ自体が、同じ社会の中で暮らす誰かにとって暴力でありうる。わたしはフォトモザイクアートのなかの写真みたいなもので、たんなる一枚の写真なんですと言ったって、職務を放棄しますと言ったって、絵の一部であることをやめられないのだ。
・「あらゆる場所から浮遊し」た「一人」どうしのコミュニケーションって、瞬間的ないしは置かれたそのコンテクスト上においては、互いに傷つけあうか傷を舐め合うかしかないと思っている。時間的・空間的な拡がりの中に位置づけられてはじめて2択じゃなくなる。ひとつの衝撃が反芻されるうち別の文脈に接続されて、だとか、それらいくつかが縫い付けられて、みたいな。モールス信号みたい。分解したら点いてるか消えてるかしかない。