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和田春樹氏はなぜ私に謝罪したのか―拉致報道を巡る誹謗中傷の真相その3

 私は和田春樹・東大名誉教授への手紙(11月13日付)で、次のように書いた。

 《ジャーナリストにとって、「捏造報道を行った」という汚名は致命的です。大きな組織のバックがない私たちに頼れるものは「信用」しかありません。「信用」を失うことが職業人としての「死」を意味することは、研究者でも同じではないでしょうか。

 かつて、ある古代史研究者が、自分が埋めておいた石器をあたかも地中から発掘したかのように見せかけた捏造行為を行い、学会から追放されました。もし、和田さんが、「史料を捏造する研究者」とレッテルをはられ、それが世間に通用したとしたら、東大名誉教授のままでいられますか。》

 言うまでもないが、これは脅しの類ではない。学者とジャーナリストに共通する職業倫理を正面から問い、一片の根拠も示さぬまま、憶測だけで「捏造」と中傷したことに強く反省を求めたのである。

 というのも私は、四半世紀も前の2001年に、「ここが事実誤認です」「ここは当事者に確認すべきです」と、具体例を挙げた長文の手紙を、和田氏本人に送っている。そしてきちんと取材したうえで議論を展開してほしいと要請していたからだ。

 それだけに、2020年代になってから立て続けに、名指しで「捏造ジャーナリスト」呼ばわりされたことに唖然としたのである。

 では、なぜ和田氏は私を「捏造ジャーナリスト」に仕立て上げようとしたのか。

 理由は単純だ。安明進氏の「ニイガタの少女」目撃証言の信憑性を、何が何でも否定したいからであろう。ならば、日本における拉致問題の「原点」に立ち返ってみよう。安明進証言とは、一体何だったのか

 横田めぐみさんの拉致疑惑が表に出る決定的な契機となったのは、二人の元北朝鮮工作員の証言だった。

 まず一つ目が、いわゆる「石高リポート」の「工作員」である。

 現代コリア研究所が発行する月刊誌『現代コリア』1996年10月号に、「私が『金正日の拉致指令』を書いた理由」と題する短い記事が掲載された。そこには、拉致問題取材の草分け的存在だった大阪・朝日放送のプロデューサー、石高健次氏が、韓国の情報機関・安企部幹部から聞いた情報が紹介されている。

《その事実は、九四年暮れ、韓国に亡命したひとりの北朝鮮工作員によってもたらされた。

 それによると、日本の海岸からアベックが相次いで拉致される一年か二年前、恐らく七六年のことだったという。十三歳の少女がやはり日本の海岸から北朝鮮へ拉致された。どこの海岸かはその工作員は知らなかった。少女は学校のクラブ活動だったバドミントンの練習を終えて、帰宅の途中だった、海岸からまさに脱出しようとしていた北朝鮮工作員が、この少女に目撃されたために捕まえて連れて帰ったのだという。

 少女は賢い子で、一生懸命勉強した。「朝鮮語を習得するとお母さんのところへ帰してやる」といわれたからだった。そして、十八になった頃、それがかなわぬこととわかり、少女は精神に破綻をきたしてしまった。病院に収容されていたときに、件の工作員がその事実を知ったのだった。少女は双子の妹だという。》

 これを、「石高リポート」における「工作員」情報と呼ぶことにする。石高氏は1995年6月23日、ソウルで安企部高官からこの話を聞き、当該工作員への直接取材を求めたが、「接触は不可能」と告げられたという。おそらく韓国側に寝返ったあと二重スパイとして現役の任務についていたのだろうと推測する。

 この証言内容は、横田めぐみさんの失踪状況にみごとに一致していた

① 拉致時期は「アベック拉致の一年か二年前」。アベック拉致は1978年、めぐみさん失踪は1977年。

② 年齢は「十三歳の少女」。完全に一致。

③ 「クラブ活動(バドミントン)帰り」。状況は一致。

④ 「双子」というキーワード。めぐみさん本人は双子ではないが、双子の弟がいる。

 そして、この拉致疑惑が一気に表舞台に噴き出したのが、1997年2月3日(月)である。

 この日、『産経新聞』朝刊と、同日発売の週刊誌『AERA』(東京都内では1日土曜に発売)が、めぐみさんの実名と写真を掲げて拉致疑惑をスクープした

 同日、衆議院予算委員会では西村眞悟議員が両記事を引用して拉致被害者救出を訴え、NHKがこれを中継。夕刊、夜のテレビニュースが一斉に後を追った。

 事態が大きく動き出した決定的な一日だった。

 あまりにも出来すぎたタイミングだったため、「事前に仕組まれた謀略ではないか」という声まで上がった。韓国の安企部と日本の「反動勢力」が結託した陰謀だとの非難もあった。

 ここでは詳細に立ち入れないが、この急展開は「仕組まれた」ものではなく、偶然のなせる業だった。『産経新聞』の阿部記者、『AERA』の長谷川記者、西村眞悟衆院議員いずれも互いの動きを全く知らないまま2月3日を迎えていたのである。

 突破口を開いたのは、横田滋さんが、早紀江さんら家族の反対を押し切って、実名公表を決断したことに他ならない。13歳の少女「横田めぐみ」の実名なしには、このようにメディアや政治の場で大きく取り上げられることはありえなかった。

 さらにその週の土曜の2月8日。私たちが4日にソウルで取材した安明進証言が、テレビ朝日の報道番組『ザ・スクープ』で放送された

安明進氏

 安明進氏はその女性を工作員学校で自分の目で見ており、私が見せた『AERA』と3日付『産経』新聞のめぐみさんの写真に「見覚えがある」と反応した。拉致実行犯は安氏の指導教官で、「あの女性は幼い頃自分がニイガタから拉致してきた」と語ったという。
「ニイガタ」というキーワードが出てきたが、クラブ活動や家族構成についての情報は持っていなかった

 つまり、石高リポートの工作員と安明進氏は別人であり、ここで複数の証言が出たことになる。ただ、前者が安企部幹部を介した「また聞き」の情報なのに対して、安明進氏は匿名とはいえテレビカメラの前で語られた直接証言である。証拠能力から言えばはるかに高い。

 政府は2月7日付で、西村眞悟議員の質問主意書に答弁書を出し、「拉致されたか否かについては確認されていない」とした。石高リポートの工作員の証言だけでは拉致は「確認」されない、という判断を示したのである。

 だがその後、5月1日の参議院決算委員会で、政府はめぐみさん失踪を北朝鮮による拉致と認定し、「全体で七件十人」と判断したことを明らかにした。警察庁は3月14日、ソウルで安明進氏から事情聴取を行っている。彼の証言が決定的な根拠になったことは明らかだった。

 安明進証言は、政府の公式見解を変え、横田めぐみさんの拉致認定へとつながったのである。北朝鮮、朝鮮総連、社民党、日朝友好促進派など、拉致疑惑を何としても否定したい側からの批判と攻撃が安明進証言に集中するのは当然だった。

 日朝国交正常化を推し進めようとする和田春樹氏もまた、安明進証言を運動にとっての大きな“障害物”として葬り去ろうとした。その一環として、安明進証言を世に届けた私たちの行為を「捏造報道」として攻撃したのであろう。

 安明進氏は「ニイガタの少女」目撃証言で一躍脚光を浴びた。とくに2002年9月の日朝首脳会談で横田めぐみさんの拉致を金正日が認めた後は、連日のようにメディアに出演し、スターのような扱いを受けた。しかし、あの歴史的な証言から10年後の2007年7月、彼は覚醒剤の所持・使用・密売容疑でソウル市内で逮捕され、その語消息を絶つ。まさにローラーコースターのような人生だった。

 次回は、これまで語られなかった、安明進氏取材の核心に触れるエピソードを紹介しよう。安明進氏の「ニイガタの少女」目撃証言の信憑性について、私はどう判断したのか。そしてなぜ私は彼を匿名で登場させたのか。

(つづく)




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