日本時間今朝未明のトランプ・プーチン会談。どうやら今後、ウクライナに領土割譲を迫る気配だ。CNNはこの会談で勝利したのはプーチンだと伝えた。

「米国入りの直後、トランプ氏のリムジンの窓から外を眺めるプーチン氏の笑顔が全てを物語っていた。西側諸国から孤立した数年間を経て、プーチン氏は世界最強の国に戻ってきた。
プーチン氏が前回米国を訪れたのは10年前。重要な大統領同士の会談で米国に招かれたのはそれよりもさらに前だ。ウクライナに侵攻した2022年以降、同氏は多くの首脳から孤立。大半の西側諸国から入国を拒まれ、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が発行される脅威にまで直面した(アラスカが首脳会談に理想的な場所だったのは、米国がICCに加盟していないことも理由の一つだ)。
しかしプーチン氏の孤立も、搭乗する航空機がアンカレジに着陸した時点で終わりを告げた。レッドカーペットを敷き、戦闘機による儀礼飛行を行い、米大統領自ら称賛の言葉を掛ける中、トランプ氏からのメッセージは明確だった。プーチン氏は孤立状態を脱した。笑顔で挨拶を交わす両氏の姿を、ロシアの国営テレビは「歴史的な握手」と歓迎した。
プーチン氏は依然として欧州の多くの国では招かれざる人物だが、世界一の経済大国にして軍事大国を統括するトランプ氏がプーチン氏を招待する決断を下したことは、他のどの指導者が試みるよりも外交的疎外に向けた取り組みの弱体化に効果を発揮する。
それはプーチン氏がトランプ氏の専用車に乗り込んだときに一段と明白になった。この異例の措置は、ロシアのリーダーが国際外交への復帰を果たしたことを一瞬のうちに印象づけたように見えた。重要な進展が何もない中にあっても、これはプーチン氏にとっての勝利に他ならなかった。]
この二人、大国を率いる責任があるにもかかわらず、過去の戦争や人権侵害事件を教訓にして築かれてきた国際秩序を率先して破壊している張本人である。
このかん、独立した機関として「法の支配」を保つために設立された国際司法裁判所(ICC)にも理不尽な圧力をかけている。
去年ICCが、ガザでの“戦闘”を巡ってイスラエルのネタニヤフ首相と国防相に戦争犯罪で逮捕状を発行すると、トランプ政権は今年6月、ICCの4裁判官に資産凍結など経済制裁を科した。
また、ICCがウクライナから子どもたちを連れ去った罪で、プーチン大統領に逮捕状を出すと、ロシア当局は赤根智子所長を指名手配した。

国際法が踏みにじられ、「力による正義」がまかり通ろうとしている。こういう時代だからこそ、かつてアジア各地を侵略した末に唯一の被爆国となった日本が平和について発信する意味はむしろ大きくなっているはずである。
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安倍氏以後捨てた「反省」よみがえり 神奈川県 高田正夫
これは今朝の朝日川柳の佳作で、きのうの全国戦没者追悼式の式辞で石破茂首相が「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばならない」と述べた式辞を詠んでいる。
首相式辞は、93年に細川首相がアジア諸国に「哀悼の意」を表し、翌年の村山首相が「深い反省」を加えた。その後、自民党政権時代を含め、長く踏襲されてきたが、安倍首相が13年に言及をやめて以来使われなくなった。今年、「反省」が13年ぶりに復活したのだという。

先月の参院選で、もうアジアへの謝罪も反省もいらないという参政党が大躍進したが、あの政党から当選したなかに南京大虐殺を「なかった」と否定する人がいる。彼らがいう「歴史的事実」の間違いを、我らが学生中研の先輩、笠原十九司さんが『女性自身』の取材で正している。
私のまわりでも「南京事件ってウソなんですよね」という人が増えている。中国における日本の加害を代表する「南京事件」は否定派の最大のターゲットになっているので、長いが全文引用する。
『女性自身』2025/08/13
【「信じてる人がまだいるのか」参政党・初鹿野議員 国も認めている「南京事件」を否定で批判続出…専門家は「歴史事実を誤魔化してはいけない」と警鐘】
7月20日の参院選で初当選を果たした参政党・初鹿野裕樹氏(48)の「南京事件」についてのXの投稿が波紋を呼んでいる。
初鹿野氏は6月18日、「南京事件」についての日本政府の公式見解に不満を訴えた元航空幕僚長の田母神俊雄氏(77)の投稿を引用する形でXに次のように投稿していた。
《南京大虐殺が本当にあったと信じている人がまだいるのかと思うと残念でならない。
日本軍は「焼くな、犯すな、殺すな」の三戒を遵守した世界一紳士な軍隊である》
“南京大虐殺”と呼ばれることもある「南京事件」とは、日中戦争最中の1937年12月、中国国民党政府の首都・南京を陥落させた日本軍が、南京の都市部や農村部で中国兵捕虜や一般市民らを殺害し、略奪行為などを重ねたとされる事件だ。
犠牲者数は不明だが、東京裁判では“20万人以上”、中国側の南京軍事法廷では“30万人以上”とされ、日本側の研究では“数万~20万人”などと推計されている。
問題の初鹿野氏の投稿に対し、Yahoo!ニュースのエキスパートで軍事分野を専門とするJSF氏が7月28日にX上で《歴史的事実なので虐殺を否定したら嘘ですね》とコメント。《当事者の証言など証拠が山ほどある》などと、初鹿野氏に反論した。
すると、初鹿野氏はJSF氏に対し《夢を見ているのですか?》と投稿。続けて、当時の中国にいた複数の旧日本兵から直接話を聞いたという別のXユーザーによる、南京事件は《確かにあったそうです》との投稿に対し、初鹿野氏は《当時の、中国の警察庁長官は否定しました》と反論した。
しかし、外務省のホームページでは「南京事件」について下記のように記載されている。
《日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。
先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました》
犠牲者の数については議論がわかれているものの、国も公式に「南京事件」を認めている。
そのため、現職の国会議員である初鹿野氏の歴史を改ざんするかのような主張にXでは批判が殺到した。
また、初鹿野氏によれば南京事件を《否定した》という《当時の、中国の警察庁長官》についても“誰?”“エビデンスは?”と疑問が続出した。
中国側が主張する「犠牲者数30万人」という数字について“過大”と指摘する日本の研究者は多いが、数字の誤りをもとに虐殺自体を「デマ」とする主張も後を絶たない。
そこで、初鹿野氏に1:「30万人」という被害者数ではなく、「南京事件」そのものが「なかった」という考えか、2:「当時の中国の警察庁長官」とは誰のことか、3:《当時の、中国の警察庁長官は否定しました》の出典、4:「南京事件」そのものがなかったと考える場合の根拠や理由を質問したところ、参政党から下記の回答が書面で寄せられた。
《各ご質問を総合した形で、初鹿野議員からの回答文をお伝え致します。
日本軍の南京入城時の南京の人口は20万人であったとされ、日本軍の南京入城で治安が保たれ25万人に増加したことが確認されております。そして、当時の南京の状況の写真は朝日新聞にも掲載されました。
また、当時の中国の警察庁長官であった王固磐氏も、南京の人口は20万人と明言され、安全区のジョン・ラーベ委員長も南京の人口を20万人と報告しております。
これらの事情から考察して、私は、ご指摘の投稿をXにしたものです。以上をもちまして、回答と致します》(全て原文ママ)
果たして、この初鹿野氏の回答は専門家の目にどう映るのか。今年7月30日に『南京事件 新版』(岩波書店)を上梓した、「南京事件」研究の第一人者で都留文科大名誉教授の笠原十九司氏(以下、括弧内は全て笠原氏)に話を聞いた。まず、笠原氏は“入城時の南京の人口は20万人”を否定する。
「否定論で意図的に持ち出される『20万人』は、南京の人口ではなく、虐殺を逃れ、“安全区”に避難した難民らの推定数です。南京戦前の南京城区(市部)の人口は100万人以上でしたが、日本軍の南京攻略が迫るにつれて富裕層から避難して、11月には蒋介石も南京を放棄して重慶へ続々と首都機能を移転させています。
’37年11月23日に南京市の市長が、すでに漢口に避難済みの蒋介石に送った書簡には“今の南京に残っている人は『50余万』”との報告があります。最後の公式な記録に占領直前の南京市の人口は『50余万』と残っているので、『20万人』は誤りです」
《安全区のジョン・ラーベ委員長も南京の人口を20万人と報告》についても、
「ドイツ人のジョン・ラーベが南京在住の外国人で組織した南京安全区国際委員会の委員長となり非常に良心的に難民区の救済に奔走するんですが、ナチス党員だったのでヒトラー総統に’37年11月25日付で”安全区”設置についての請願書を送っています。その中に、『目前に迫った南京をめぐる戦闘で、20万人以上の生命が危機にさらされることになります』と記されていたことが根拠になっています。
この『20万人』の数は、“安全区”に最終的には“20万人の難民が避難するであろう”という国際委員会側の推定計画であり、当時の南京市の人口ではありません。また、前述の南京市長が蒋介石に送った書簡にも、“将来は、およそ20万人と予想される難民のための食料送付が必要である”と書かれているので、南京市政府の予想と符合しています。この当時の“難民の推定数”が”南京の人口”にすり替えられているのです」
当時20万人だった南京の人口が《日本軍の南京入城で治安が保たれ25万人に増加したことが確認されております》という初鹿野氏の主張については、
「後に日本軍が調査して、老人や病人、幼児を抱えているなどの事情で“安全区”に避難できなかった市民が5万人いることが明らかになっただけです。日本軍占領下にも自宅などに留まっていた市民は約5万人いるという予想はされていましたが、日本軍による強制的な査問登録によって確認されたわけです。したがって、日本軍占領後に南京の人口が5万人増えたのではありません」
また、「当時の中国の警察庁長官」とは誰のことか、という問いには「王固磐」と回答しているが、《当時の、中国の警察庁長官は否定しました》という自身の主張には触れず、根拠となる出典も示していない。
「そもそも“警察庁長官”という呼び方の役職はありません。そして、日本軍が占領した時点で、政府の上官も漢口の方に撤退しているので、南京に国民政府はもうないわけです。ただ、治安維持のために南京に“警察隊”が残ったのです。初鹿野氏は“警察隊”のことを指したのかもしれませんが、この“警察隊”が日本軍に集団的に連行されている場面の写真がありますが、全員処刑されています。
また、念のため中国で最も権威のある徐友春主編『民国人物大辞典・増訂版』(河北人民出版社、二〇〇七年)というものすごく分厚い上下巻ある辞典で調べましたが、王固磐という名前はありませんでした」
初鹿野氏の回答にある《当時の南京の状況の写真は朝日新聞にも掲載されました》については、
「難民キャンプの入り口で、日本人が難民の子どもにわずかな硬貨や食べ物を配り、集まってきて喜んでいた様子の写真などが当時の朝日新聞に掲載されていましたが、“日本の正義”を強調するためのプロパガンダ記事で“ヤラセ”と言われています。こうして“日本軍は市民から歓迎されている”と報じたのです。これらのことは、難民の救済に奔走した南京安全区国際委員の外国人たちが日記や手紙に記録しています。その一方で、この間にかなりの日本兵士が裏の塀をよじ登り、難民キャンプに侵入して10名ほどの婦人を強姦した写真は1枚も撮らなかったといいます。
当時は厳しい陸軍の検閲制度があったので、日本軍に都合の悪い内容は報道できませんでした」
最後に、笠原氏は初鹿野氏をはじめ、「南京事件」そのものがなかったとする国会議員たちの言説に次のように警鐘を鳴らした。
「極東国際軍事裁判(東京裁判)において、松井石根中支那方面軍司令官は、『焼くな、犯すな、殺すな』の三戒を遵守させずに、日本軍の蛮行を放任した『不作為』の戦争責任を問われて死刑に処せられました。日本はサンフランシスコ平和条約の第一一条【戦争犯罪】で東京裁判を受諾(acccepts the JudgmeBTS)して、独立が認められたのでした。現在、日本の国会議員がそのことを無視し、無知としかいいようのない南京事件否定説をバラまいていることは、日本政治の国際的評価を貶めている行為にほかなりません。不都合でも歴史事実を誤魔化してはいけないんです」
(つづく)