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母の死

 私事だが、5月12日(月)の朝、入院中の母が亡くなった。享年95。

 容態急変の報に私が病院に駆けつけたのは12日の9時40分。ベッドに一人いるので、寝てるんだなとそばに寄ると、スタッフが来て「9時20分に心停止しました」とのこと。おだやかな顔だった。朝ごはんを半分食べたあと、急に意識が遠くなりそのままスーッと逝ったという。全く苦しまなかったと聞き、ほっと胸をなでおろした。

一人暮しをしていたころの母

 私のきょうだい三人がみな東京在住であることもあって、20年近く前に山形の田舎から夫婦で東京に移住したのだが、やはり都会は肌に合わないのか、行ったり来たりの暮しが続いた。13年前に父が亡くなってからは、東京の団地に一人住まいをしていたのだが、去年2月に体調を崩してからは入退院を繰り返していた。

 去年10月下旬、意識が混濁して緊急搬送され、集中治療室に入って危ない状態になった。以前からトラブルを抱えていた心臓と腎臓が通常人の1割しか働いておらず、ぎりぎりのバランスの上に何とか生をつないでいると医師に説明され、もう最期が近いと、子どもや孫など親族は頻繁に見舞いに通いはじめた。私も多い時は週に2回ほど母のもとに通った。おそらく大人になってからこの時期が母ともっとも密な交流ができたと思う。

 年明けから母は驚異的な回復を見せ、食事を摂ったり話したりできるまでになった。母はベッドで歌を歌ったり、ひ孫たちの見舞いに喜んだりしていたが、4月19日、私たち子どもが病院から呼び出され「ここニ、三日がヤマです」と言われた。今日か明日かと覚悟したが、そのあと母は5月11日の母の日までがんばった。

 ここ一カ月ほどは、本人も死期を悟ったのだろう「もう逝きたい」と言い始めた。さらに「いい人生だった。思い残すことは何もない」とも言った。子どもの私の目には、母が人生に満足していたとはとても見えなかったので意外だったが、病院のスタッフにも母が同じことを言っていたと亡くなったあと聞いた。本心だったと信じよう。

死後駆けつけた親族に経過を説明する医師。「いい人生だった」と医師にも言っていたそうだ。

 母は愛情の表現がヘタで、私たち子どもとも様々な軋轢や誤解が生じ、母から「おまえとは絶交だ」と言われたこともある。ただ、子どもや孫など親族のために良かれという主観的な思いは非常に強くもっていた。母の死に顔を見ていると、この人がいなければ、また、母が父と結婚していなければ、今の自分も自分の子どもたちもこの世にいないのだなあ、と当たり前のことがしみじみありがたい気がしてくる。母は亡くなってご先祖の一人になったが、ご先祖とはいるだけでありがたいものである。

 母が亡くなった翌々日、ちょっと変なことがあった。

 母の死化粧をチェックし葬儀会場を下見しての帰路、川そばの道路に大きな蛇がいた。長さは150センチ以上で緑色のきれいな蛇。そばの河原は藪が深く、蛇がいても不思議ではないのだが、野生の蛇を見るのはたぶん20年以上ぶり。珍しさにしばらく見ていて、写真を撮ろうとスマホを取り出したら、サーっと物陰に隠れてしまった。

 亡くなった人が、蝶やホタルなど小動物になって現れるという話をよく聞く。死後の魂とか、その手の話は信じない私だが、ひょっとしてあれが母だったのかも、と思った。ちなみに、母も私も巳年生まれである。

 きょう18日は、母のお別れ会だった。私を含めて母の子ども3人および孫7人とその連れ合い、ひ孫3人に母の甥など親族だけ20人の葬儀で母を送った。95歳という大往生で、みんな事前に覚悟ができていたこともあり、和やかな会になった。私は生前の母を撮りためた映像を23分に編集して上映。母のお茶目なコメントや動作には何度も笑いが起きた。孫の一人はウクレレでアメージンググレースを歌った。葬儀でウクレレを奏でるとは不謹慎と言われるかもしれないが、久しぶりで親族が和気藹々と集う楽しい機会になったことは母も喜ぶと思う。母の死が、なかなか会えない親族同士を引き寄せてくれた。このことも母に感謝したい。

私が喪主としてあいさつ。家族葬に親族が集まった。

孫やひ孫が棺に花を入れる

 私の知り合いに、若いころ、親の死によって人生を大きく転換した人が二人いる。人間いつ死ぬかわからないのだから、やるべきこと、やりたいことを真っ直ぐに追求しようと新しいことに挑戦したのだ。一人は紛争地ジャーナリストに、もう一人はマッシャー(犬ぞり操縦者)に。とても普通の人に勧められる「職業」ではないが、つまり、それほど、親の死が「自分の生き方はこれでいいのか」と問いかけてきたということである。

 私の場合は、母が大往生だったから事情が違うが、母が「いい人生だった」と言って亡くなったことは、自分の人生についても考えさせられるものがある。

近くの畑にジャガイモの花が咲いていた

 




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