兵庫県知事選での斎藤元彦氏と稲村和美氏が、トランプとハリスにダブって見える。
民意が民意を追放したような、何ともいいようのない感覚に襲われた。「既得権益」と闘う改革の士のイメージ作りはまさにトランプ的なのだが。日本でも危ない風が吹いてきたのか。
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北朝鮮の工作員、辛光洙(シン・グァンス)は、1980年に拉致した原敕晁(ただあき)さんに成り済まして韓国に入り、85年に逮捕された。スパイ罪で死刑が確定するが減刑されて無期となり、金大中政権で1999年末に恩赦を受け、いわゆる「太陽政策」のもと北朝鮮へと送還された。

辛光洙を含む63人の「非転向長期囚」が北朝鮮に送還されたのは2000年9月2日。
「非転向長期囚」とは獄中で「帰順」(転向)しないまま刑期を終えた元服役囚で、スパイ(工作員)が49人、ゲリラが14人、平均年齢は75歳だった。この送還は北朝鮮が以前から要求してきたもので、「離散家族の再会」とならぶ、この年の6月の南北首脳会談で決まった目玉政策だった。
板門店に続く道路には、朝早くからプラカードや横断幕を用意した人々が集まり、規制する警備隊ともみ合っていた。朝鮮戦争で捕虜になったり、戦後、北朝鮮に拉致された人々の家族だった。辛光洙らの送還は、北朝鮮への一方的すぎる譲歩だと抗議に来たのだった。
その中に朴春仙(パク・チュンソン)さんの姿もあった。辛光洙ら「非転向長期囚」を乗せたバスが通り過ぎるとき「辛光洙!原さんを返せ!兄さんを返せ!」と朴さんは大きな声で叫んだ。バスはスピードを緩めることなく一瞬で通り過ぎ、辛の顔は見えなかった。

2002年8月1日、警視庁は辛光洙の逮捕状を取った。警察は拉致の立証が難しいと判断し、原敕晁さんの旅券や免許証を不正に使用したとして旅券法違反、出入国管理法違反、免状不実記載容疑での逮捕状請求となった。
同年9月の日朝首脳会談で金正日が拉致を認め、「責任ある人々が処刑された」と説明。これを受けて十日後の9月27日、警察庁は辛光洙を国際手配し、身柄の引き渡しを求めていくことにした。
釈放されてから北朝鮮に送還されるまで、辛光洙はソウルの支援者の施設に住んでおり、その時期に私たちは直撃取材をしている。日本の警察は北朝鮮への送還直前、辛光洙が事情聴取に応じるよう韓国政府に文書で要請したのだが、辛に拒否されて実現しなかった。
辛光洙が1985年に逮捕されたとき、原敕晁さん拉致も判明していたのである。日本の警察はもっと何かできなかったのかと歯がゆく思う。辛光洙が日本国内に広く築いた協力者ネットワークにはほとんど手がつけられていない。
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【辛光洙と朴春仙さんの会話】 つづき
辛光洙:私を反逆者にさせようとしているんじゃないか。そのような話を私の前ですること自体が失礼だ。いくら厚かましい人だって、人の前ではそんなこと言うんじゃないよ。
俺はバカじゃないんだよ。俺を育てて大学まで卒業させたのは誰か。最後まで恩に報いるのが人間なのに。それなのに今、私を育て大学まで勉強させてくれた祖国が俺を裏切った? ばかばかしい。(ここはほとんど日本語で語っている)
朴春仙:分かりました。それは置いてきます。U(娘)がくれたの。
(注)「それ」とはお土産のこと。Uは辛光洙と同居経験がある朴さんの3人の子どもの一人。
辛:Uもなにも、私は要らない。お前が送ったものは一度も開けずに送った人にそのまま返送した。そのまま返送したら、もう二度と送っちゃいけない。ずっと送り続けたら、これは日本語で言えば「嫌がらせ」よ。
朴:分かりました。じゃあ先生は、私が裏切ってめちゃくちゃにしたと思ってるわけ?
辛:なぜ、朝鮮に忠実な人を冒涜するのが裏切りじゃないんだ。生きても死んでも朝鮮のために生きるというのに。この歳になって、私一人をおいて、日本、韓国の安企部、警視庁が手をつけられないから後ろで操っていることは分かっている。私が生きているから、死ねば操り人形の価値がなくなり、死のうとまで決心しているのに、ここまでやって来て。
たとえばH子。H子の家に何度か行って、H子が嫌だと言えば行かないはずだよ。私が政治的な目的で、私がどんな人だか知ったら。15年間こんなことをし続けて。一番悪いよ。
朴:先生は私が裏切ったと思ってるの?
辛:安企部に売り渡した方元正(パン・ジョンウォン)よりももっと悪い。方は私を売り渡して、韓国から1億5千万ウォンをもらった。しかし、ヤツはそれ以来、男らしく僕の前に現れたことがないよ。ヤツだけじゃなく、彼の全家族が、私がその家に荷物もお金も預け、それを返してくれなくても、話さず、自分たちが全部所有してしまった。また、その人を通して僕が何億円というお金を南朝鮮に送ったのに。
(注)ここに出てくる方元正は辛光洙の配下で、1985年、辛に先立って韓国で逮捕されている。彼の自白から辛が逮捕されたとされるが、「1億5千万ウィン」で「売り渡した」と非難してこの事実を裏付けている。また、億単位の対南工作資金を韓国に送るなど「大物工作員」の片鱗を見せている。
朴:先生、とにかくもらってください。
辛:人間というのはね。
朴:私が裏切ったん違う!(泣く)
辛:裏切り・・・
朴:先生、北朝鮮はまともな国じゃないでしょ。じゃあなぜ・・
辛:その話をなんで僕にするんだ。
朴:だから先生が、あの国で任務を受けてたずさわったけど・・北朝鮮は変ってしまったんですよ。私のために変わったんじゃなくて事実そうなってるじゃない? 先生が分からないと思って言ってるんですよ。
辛:ぼくはバカじゃないんだよ! このような本を書く能力のない人が、他の人が書いておいて自分の名前だけ貸してあげたというそんな人が、私に「朝鮮の人は飢え死に」、そこでは私を裏切っているのに、私が、辛がバカになって朝鮮を信奉していると。思想転向させようと・・
朴:違います。真実を分からないとだめだって言ってるのです!
辛:真実を知っている。朝鮮を捨て、日本の奴らの手先になれと言ってるんじゃないか。
朴:違います。
辛:なら、なぜそんな話をするんだ。
朴:先生、興奮しないで。血圧が高いんだから・・
辛:血圧・・血圧と何の関係がある?
(注)激しく罵られながらも、「先生」の体を心配する朴さん。「ソウルの冬は寒いから」と辛光洙への衣類などのお土産を日本で買い込んでやってきた。朴さんは、辛光洙がいる部屋に入る前、髪をとかし、取材班に見られぬようそっと口紅を塗っていた。工作員という立場はあっても、もしかして心では分かりあえるものがあるのではと期待したのかもしれない。辛と暮らした3年間が人生でもっとも幸せだったという朴さんの心情はとても複雑だったろう。
(つづく)