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コスモロジーの創造1

 節気は穀雨穀物の成長に欠かせない大事な春の雨が降る時節だ。

 きょう20日から初候「葭始生」(あし、はじめてしょうず)。25日から次候「霜止出苗」(しもやみて、なえいずる)。5月1日からが末候「牡丹華」(ぼたん、はなさく)。田植えの準備がはじまり、百花の王、牡丹が咲いて植物の世界はにぎやかになる。

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 梅の木には実が膨らんできた。若葉があざやかだ。

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 先日、ブラックホールの撮影に成功したことに触れた。。

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 私たちはすごい時代に生れあわせたものだとつくづく思う。ここ数十年で、宇宙の誕生からこれまでの歴史を、かなり詳しく認識できるようになったのだから。このタイミングで、人間として生きることができたことに感謝したい。

 そして、いまや科学の最新成果をもとに、さわやかに生きるためのコスモロジーを創ることができる、というより創るべき時代になっていると思う


 世界・宇宙にどういう秩序・条理・法則があるのかを体系的に語る言葉、あるいはそれによって語られた体系的な宇宙観を、人類学や宗教社会学などではコスモロジーと呼んでいる。語源的には、古典ギリシャ語の「コスモス」と「ロゴス」の合成語で、訳すとほぼ「宇宙観」「世界観」に当たる。「人生観」のベースである。


 人はコスモロジーなしには生きられない。理論化、体系化されていなくても、みなそれぞれのコスモロジーにもとづいて感じ、考え、行動しているはずだ。

 これまで、人類のコスモロジーはすべて宗教が提供してきた。どの宗教も、この世がどうやって生じたか、どういう秩序になっているのか、その中で人間はどういう存在なのか、そして自分はどう生きるべきなのかを教えてくれていた。死んだあとどうなるのかについても宗教は明確に答えを提供していて、人々は心の深いところでは、安心して生き、死ぬことができた。


 近代の合理主義=無神論が登場すると、人々を支えてきた宗教的コスモロジーが否定されるこの世には神も「大いなるもの」もなく、自分がすべて。だから、自分の幸せ、利益、楽しさだけを追求すればよい。他の人に迷惑をかけない限り(他人から恨まれると結局は自分が不利益をこうむるから)、何をやってもいい・・・こう考える人は、宇宙(この世界)はみな偶然であり、バラバラな存在から成っているという近代の考え方、コスモロジーをベースにしている。たとえ、そう自覚していなくとも。


 しかし、近代のこのコスモロジーには救いがない。宇宙がバラバラな物質の寄せ集めだというコスモロジーからでてくる生き方は、ニヒリズムとエゴイズムにならざるを得ない。宗教では、すべてが単なる物質の寄せ集めだとはならない。ある宗教では、森にも岩にも神がやどり、別の宗教では、この世のものはみな神が創造したものである。あらゆるものに意味があるわけである。

 物質そのものには意味はない。大きな石と小さな石がぶつかって、小さな石が砕け散ったとして、そこに善悪はない。人間も含めて、すべてが単なる物質の寄せ集めだとすれば、善悪の根源、つまり倫理も失われる。「なぜ人を殺してはいけないか?」という疑問にさえ答えることができない。これについては10年以上前のブログで書いていた。

takase.hatenablog.jp

https://takase.hatenablog.jp/entry/20080502 

 

 さて、どうしたものか。ふたたび考えてみたい。
 近代合理主義の波で否定された宗教に戻ることはもうできない。自分で意識的に宗教に替わるコスモロジーを作ることが求められている、今はそういう時代でもあると思う。

 そこで利用できるのが、最新の宇宙認識だ。それをもとに、とてもさわやかに生きることができるコスモロジーを形成することが可能である。そのことを私の師、岡野守也先生から教わって深く納得したので、おさらいもかねて書いてみようと思う。
(つづく)




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