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よど号が帰国をめぐる動き2

takase222010-04-30

三浦さんはよど号についてジャーナリストの高沢氏が書いた『宿命』を書評したさい、こう書いていた。
《この岡本武の妻、福留貴美子さんは、「よど号犯」の妻の中で、おそらくただ一人の「拉致被害者」である。岡本武が、最後にはメンバーと対立し、ついには粛清されていったのは、おそらく福留さんは、他の思想的にも北朝鮮シンパである妻達と異なっていたこと、彼女にとっては到底信じられない主体思想や、受け入れがたい工作活動を押し付けられることに心底からの抵抗感を抱いていたことだろう。この妻の精神が、いつか岡本武の「洗脳」を解くことに繋がったのが、逆に二人にとっては悲劇をもたらしたのではないだろうか。福留さん救出を日本政府が本格的に取り組む事は、よど号犯による世界的な工作活動解明・それを命じた北朝鮮政権の犯罪性を暴くことにも繋がるはずである。日本政府は福留さん拉致事件究明、救出に全力を挙げる事が北朝鮮に大いなる打撃を与える事をどこまで認識しているのだろうか?》
たしかに、福留さんは政治にはあまり興味を持っていなかったようだ。高校では剣道部に入り卒業後は警備会社に勤務した。警察官採用試験を受けたこともあったといい、政治的にはむしろ保守的だったと推測できる。福留さんは文句なしに拉致被害者と言っていいと思う。(写真)
実は、他の妻たちも、グラデーションの違いはあるが、みな騙されてよど号犯に嫁いだという面があるのだ。
福留貴美子さんのお母さんが亡くなって2ヶ月たった2002年3月、かつてよど号犯の妻だった八尾惠氏は、よど号犯の妻、赤木恵美子の公判で証言に立った。そこで彼女は、北朝鮮に渡った経緯を暴露した。
チュチェ思想に惹かれていた八尾氏は、総連の青年活動家に「3ヶ月くらい短期留学のような形で北朝鮮に行かないか」と誘われた。そして平壌で、よど号犯の一人と強制的に結婚させられた。旅券も取上げられ北朝鮮から脱出することはできない。労働党の事実上の命令で拒絶できる状況にはなかったという。
同じ頃、バタバタとよど号犯は結婚相手を決めていた。
八尾惠氏の結婚式が1977年5月4日、その前日は赤木志郎・恵美子の、翌5日は田中義三・協子の結婚式だった。
八尾氏は98年の『週刊新潮』(11月28日号)の手記で、「もし、私が北朝鮮に行く前に、彼らが私に求めていた『結婚』という本当の目的を知っていたら、決して行こうとはしなかったでしょう」と書いている。
こうして、よど号犯は全員が結婚するのだが、妻たちはみな、あらかじめ結婚を知らされずに北朝鮮に送り込まれ、よど号犯に「あてがわれた」のである。
よど号については拙著『拉致』講談社文庫の第8章「よど号グループの秘密工作」を参照)
妻たちは子どもができると、海外へ「工作」に出された。子どもが人質だから、北朝鮮は彼女らを安心して外に出すことができたのである。その第一陣が78年で、福留貴美子さんともう一人の妻だった。
誘拐され強制結婚させられた女性たちは、よど号犯の妻となって、今度は拉致する側に回る。この被害と加害が合わせ鏡のようになっている構造もまた、拉致の悲劇と表現してよいだろう。




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