おはようございます。出先で文章を書くことも多いので、今となっては iPad が必需品になりました。これまでは分離式のキーボードをつかって書いていたのですが、サイズがすこし大きくて、いつもカバンからはみ出してしまうのが難点でした。
そして最近、意を決して一体型のキーボードを購入しました。トラックパッドもついており、サイズ感もベストです。これでもう、カバンからキーボードがはみ出すこともありません。いちいち箱からキーボードを取り出して、セットする必要もありません。
「よし、これでもう問題なし」と思っていたのですが、使っていくうちにひとつの不満がわき出てきました。それは「キーボードが邪魔」というものです。「いやいや、何を言っているんだ」と思われたかもしれませんが、本当です。キーボードが邪魔なのです。
iPad のいいところのひとつに「机のスペースをとらない」という特徴があります。しかし、キーボードが一体化しているせいで、その特徴が台なしになってしまうのです。キーボードがなければ、手前でノートを開いたり本を開いたりすることができます。ところが、キーボードがあれば、そのスペースを避けなければならなくなります。
電子書籍やメモとしてつかうときにも厄介です。いちいちケースから外さなければなりません。着脱をするのなら、一体化であることの良さが薄れてしまいます。上手にできていますよね。どこかで良い点をつくろうと思ったら、その裏では悪い点が自ずと生まれてしまうのです。テクノロジーはこの問題をどのように解決していくのでしょうね。どうも、インクです。
書く活動において子どもたちの鉛筆が止まってしまうのは大人の責任だと思う
書く活動において子どもたちの鉛筆が止まってしまうのは大人の責任だと思う
— インク@小学校の先生 (@firesign_ink) 2020年7月7日
「書くこと」ってとんでもなく奥が深いです。ひとことで語れるものではありません。と、こんなことを言っても多少の説得力が生まれるくらいには文章を書いてきたつもりです。1日に約2000字。それも、もうすぐで300日です。
今日はそんな「書くこと」についての記事なのですが、人は意外と「自分は文章が書ける」と思っています。日本語がつかえて文法を理解している。だから書ける。そう思っているのです。ところが、残念ながら「書くこと」ってそんなに簡単ではありません。
学校の先生だからといって、文章が書けるとも限りません。学期末になれば、成績表に200字程度の所見を書くわけですが、まあ変な文章がたくさんあります。もちろんお互いにチェックして修正してから配布するんですけどね。「助詞がおかしい」とか「主語と述語が一致していない」とか。ザラにあります。
「先生がそんな文章を書いていいのかよ」と思うこともありますが、仕方がないと言えば仕方がないんですよね。だって、日常生活の中で文章を書く機会って意外とありませんからね。ラインにせよツイッターにせよ、今はショートメッセージが主流です。長い文章を書くことなんて滅多にありません。手書きで文字を書くとしても、せいぜいメモ程度でしょう。
そんな人たちに「文章を書け」と言う方が無茶なのです。はじめにも述べたように「書くこと」はどうも軽んじられる傾向にありますが、そんなに簡単に書けるものではないのです。

そんな難しい「書くこと」を、学校の先生は子どもたちに教えなければなりません。自分が書けないのに教えなければならないのです。だからこそ、子どもたちに「型」を与えようとします。「はじめ・なか・おわり」とか「起承転結」とか「頭括型」とか「尾括型」とか「双括型」とか。型を教えていれば、簡単ですからね。授業もそれらしくなります。
今年度からリニューアルされた新しい教科書にも、型に関する記述や例文が増えたように思います。「これとおなじように書けばあなたも書けるよ!」と、こういうわけです。しかも、実際にそれで原稿用紙は埋まります。だって、型は決まっているわけですからね。題材にあわせてちょちょっとことばを入れ替えれば、それらしい文章が書けてしまうのです。
そこで、先生は満足します。「書くことが苦手なあの子が原稿用紙を埋められた!」と手を叩いて喜ぶのです。そして、その子自身も喜んでいるはずだと思い込み、原稿用紙を埋める経験を今後も積み重ねていけばいいと思ってしまうのです。

しかし、残念ながら子どもたちは型に当てはめて文章を書くことに喜びなんて感じてしません。書きたくもない文章を書かされて、教科書の例文をそのままコピーさせられて、大人からやいのやいの言われて、休み時間も削られて。ようやく原稿用紙が埋まった。もう二度と書きたくない。そう思ってしまうのです。
書き終わったときにどれだけ褒められたとしても、ほとんど何も感じません。書く過程でなんのおもしろみも感じていませんからね。「やっと書き終わった!遊びに行こう!」でおしまいです。その時点で書き手と文章とは切断されて、一生懸命書いた原稿用紙がただの紙になってしまうのです。とりあえずマス目が埋まればいいわけですからね。書いたあとのことなんて知ったこっちゃありません。
そうならないためにも、先生がコメントを書いたり、友だちと読み合ったりする時間をとるわけですが、それもまたつまらないんですよね。書いている時点でつまらないのに、読んでおもしろいはずがありません。こうして子どもたちは書くことから離れ、ついには嫌うようになってしまうのです。

かく言う筆者も、子どものころは「書くこと」になんのおもしろみも感じていませんでした。指定された文字数を埋められればそれでOK。あとはいかに内容を引き伸ばしてマス目を埋めるかの勝負。そんなふうに思っていました。きっと当時の文章を読み返してもまったくおもしろくはないでしょう。よい子を演じて、大人の顔色をうかがったそれらしい文章を書いていたのだと思います。
ちゃんと「書くこと」をおもしろいと思うようになったのは大学生になってからです。正直な文章を書けば、ちゃんと評価してくれる大人たちがいたからです。卒業論文なんて、まあ楽しかったですね。期待されていたのか呆れられていたのかはわかりませんが「あなたは好きなように書けばいい」と言われたので、思う存分好き勝手書きました。今でもときどき読み返すのですが、やっぱりおもしろいんですよね。
結局「書くこと」でいちばん大切なことは「ひとり目の読み手である自分自身がおもしろいと思えるかどうか」だと思っています。書いている当人がおもしろいと思っていないのに、ほかの人が読んでおもしろいと思うはずがないのです。
学校の先生はこの感覚を子どもたちにもたせてやらなければなりません。読みたいことを、書けばいい。型に当てはめて書かせることで、それが実現できると思いますか。無理やり原稿用紙を埋めさせて、それが実現できると思いますか。
子どもたちが書けないのは、子どもたち自身に書く力がないからではなく、大人が書くことを嫌いにさせてしまっているからなのではないでしょうか。
- 作者:田中 泰延
- 発売日: 2019/06/13
- メディア: Kindle版
【お知らせ ①】
今週もやります。第4回 こきけんよう。15日(水)20:15から。40分ポッキリの1本勝負。週の真ん中の目印にラジオ感覚でいかがでしょう。参加希望はツイッターのDMへ。

【お知らせ ②】
第2回「らぱいんざWORLD」の開催が決定しました。らいざさん(@rize_up_high)と らぱんさん(@lapinHSP)といっしょにゲストを招いておしゃべりします。第2回ゲストは、第1回ゲストである イスップさん(@bstogs1)にテレホンショッキング形式で紹介していただいた にょんさん(@EyzNo)です。ちなみに筆者はまったくといってもいいほど絡みがありません。おもしろくなることは間違いありませんが、はたしてどうなることやら。
現在、聞き手を募集していますので、興味のある方もない方も、イヌもサルもキジも、画面の前のあなたも、ぜひご参加ください。参加希望はツイッターのDMにてお受けしております。自分なんかが行ってもいいのかなという考えは捨てましょう。あなたのご参加をこころよりお待ちしております。
