蜷川実花監督の「Diner ダイナー」を観てきました。蜷川実花のことはほとんど知らないけれど、蜷川実花らしさを感じる映画でした。ストーリー展開はありきたりで、セリフやオチもかなり野暮です。説明のしすぎで、登場人物にわざわざそこまで言わせなくてもいいのになあというかんじでした。ただ、美術・演出が強引にそれらをカバーしています。物語はストーリー展開がすべてではないと改めて感じました。どうも、インクです。

先生だって文章が書けない
先生だって文章が書けない
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) July 8, 2019
1学期の終わりも近づき、世の先生方は成績表の作成に追われています。成績表の作成は大きくふたつに分けられます。ひとつは、学習成績を数字で評価すること。もうひとつは、学習をふくめた普段の様子を文章で評価することです。1クラスは約30人、多いクラスでは40人にも及びます。その子どもたちに、ひとりずつ成績をつけていきます。大変な作業であることは容易に想像することができるでしょう。
中でも文章作成は、それはまあ大変です。限られた文字数の中で、いかにその子の1学期を総括した文章を書けるかが求められます。当然のことながら、書けたら即印刷というわけにはいきません。学年の先生同士でチェックし、その後、教頭・校長のチェックが入ります。管理職のGOがかかったら、そこで初めて印刷をすることができるのです。
この相互チェックのタイミングで、他の先生の文章を読むことになるわけですが、まあ読みづらい文章がたくさんあります。どうしても、その先生を貶しているように見えたり、「自分は書けている」と調子に乗っているように見えたりするかもしれませんが、これは事実です。先生だって文章が書けません。世の中の多くの人は、「自分は文章が書ける」と思い込んでいますが、文章というものはそんなに容易いものではないのです。
撮って満足ダブレット
撮って満足ダブレット pic.twitter.com/7JrLeA24yE
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) July 13, 2019
上の写真はダブレットの19AWのパーカーです。目視では真っ黒な四角い枠が貼り付けられているだけなのですが、フラッシュを焚いて撮影すると写真のようにおどろおどろしいイラストが浮かび上がります。技術としては決して目新しいものではありませんが、これを服に落とし込むところがまさにダブレットらしさですね。
当然の構造として、制作にコストがかかるものほどリスクを取りづらくなります。言い方を変えれば、作るのにお金がかかるコンテンツほど失敗を恐れてチャレンジしづらくなるということです。
実際に著作物を売り出した経験はないので、具体的にどのくらいのコストがかかるのかは知りませんが、「本」の出版と「映画」の公開を比較すると、間違いなく「映画」の方がコストがかかると思います。さらに言えば、その作品に携わる人の数も多くなるため、より失敗することができなくなります。きっと「服」というコンテンツは、「本」と「映画」の中間くらいに位置するのではないかと勝手に想像しています。言わば、十分に「失敗するわけにはいかないコンテンツ」に分類されるということです。
そんな中で果敢にチャレンジを続けられるのが、ダブレットのすごいところだと思います。「これをやろう」と言い出すデザイナーはもちろんですが、それにGOを出す上層部も、デザイナーを信じて協力するまわりの人間も本当にすごいと思います。
リスクをとれないところから新しいものは生まれません。まさに教育業界がその代表です。残念ながら今の教育業界でダブレットは売れません。みんなユニクロを着ています。売れないダブレットは店をたたみ、ユニクロは店舗を拡大していくばかりです。教育業界よ、ユニクロを悪く言うつもりはないけれど、ダブレットを殺してはならないよ。
偏りこそが人の魅力になりえる
偏りこそがその人の魅力になりえる
— INK@小学校の先生 (@firesign_ink) July 7, 2019
なぜキラカードを子どもたちが欲しがるかというと、「珍しい」からです。そしてその珍しさは当然のことながら、そのカードの価値になります。「希少価値」というやつです。
ダイヤモンドがなぜあれほど高価なのかというと、「珍しい」からです。そしてその珍しさは当然のことながら、そのダイヤモンドの価値になります。「希少価値」というやつです。
考えてもみてください。カードなんてただの紙切れです。ダイヤモンドなんてただの炭素です。これらが価値をもつのは「珍しい」、その1点につきます。
きっと人間だって同じです。珍しさに価値が見出されます。これまで、偏った珍しい人間は、「学校」という場所を中心として徹底的に淘汰されてきました。出る杭は打たれるというやつです。しかし、近年はYouTubeを中心としたプラットフォームの誕生により、その「偏り」が少しずつ陽の光を浴びるようになってきました。カードの輝きがくすむことなく、ダイヤモンドが経年劣化することなく、その価値が分かる人々に見つけてもらえるようになってきたのです。
こうなると、これまでの常識はガラっとひっくりかえります。まわりと歩みをそろえる能力に長けた人間や、歯車として優秀な働きをしてきた人間は、価値を失い淘汰されていきます。その人にしかできない、その人だからこそできる、そんな「偏り」が大切になってくるのです。
学校で排除されるその「偏り」が、孤独に苛まれてきたその「偏り」が、あなたの魅力になりえる時代がきています。そのために必要なことはひとつだけ。発信しよう。TwitterでもブログでもYouTubeでも何でもいい。発信しよう。あなたの「偏り」が大きければ大きいほど、まわりに人が集まってきます。
出る杭打たれて裏側貫通