
昔、新田次郎さんの小説は読みました。
中井貴一さん主演の大河ドラマのベースとなった「武田信玄」。
4冊の分冊で結構なボリュームがあった記憶があります。
その後「武田勝頼」も読み、こちらも3冊と長編です。
どちらも読み応えがありましたが、その後に「武田三代」という作品も読みました。
こちらは短編小説だったと思います。
いずれの本もすべて処分したので手元にはないです。
今更紙の本を買うつもりはないですが、Kindle電子書籍だと結構なお値段ですね。
最初こちらの本を見たとき、真っ先に思い浮かんだのが新田次郎さんの「武田三代」です。
これらを読んでいたので、今回の本を読んでみて、大体のところはわかるというか、思い出すという感じでした。
ただ大きく違う点があります。
新田次郎さんが書かれた時代の武田家の歴史考察から随分と変わった部分があります。
まあ、新田次郎さんの小説はエンターテイメントとして武田信玄を主人公にしたり、武田勝頼を主人公にしたりした物語です。
一方今回読んだ本は小説ではなく、史実を考察しつつ、筆者の考えなどが書かれています。
なので登場人物としてのセリフなんてものはありません。
あくまで歴史的、学術的な本で、そういう意味で面白くないです。
一般的に情報量として、信虎・信玄・勝頼の三代では圧倒的に信玄がボリュームがあって、信虎は信玄の引き立て役となっている場合が多いです。
そして勝頼は偉大な父を超えられず、越えようとして無理をして自滅した愚か者として描かれることが多いように思います。
その当たりは書き手がそう思って描いているだけなので、実際は不明ですが、史実だけを追いかけ、それによってこの三人がどういう人物であったのかと言うのがわかります。
史実から自分なりの3人の武田当主を想像するということですね。そこは本当に収穫です。
ちなみに「武田信玄」の大河ドラマの当時、PCではあの光栄(現在はコーエーテクモ)が信長の野望の新作「信長の野望 戦国群雄伝」を発売しました。
今や大河ドラマのCGにも参加する光栄、社長のペンネームでもあるシブサワ・コウですが、この頃はまだまだ小さな会社だったと思います。
「戦国群雄伝」は、今でこそしょぼいゲームに見えるかもしれませんが、武将を扱え、野戦と攻城戦という2つの戦が楽しめるという初代「信長の野望」からは随分と進化し、その後のシリーズにも大きな影響を与えたと思います。
当時はPC8801というファミコンクラスのCPUのパソコンでこのゲームを楽しんだものです。
当然、大河ドラマの影響で武田信玄を選択しますが、信玄軍団の武将たちの優秀さはすごかったです。
武田信玄はもちろんのこと、山県昌景、馬場信房、高坂昌信、山本勘助、内藤昌豊、なんていう軍師クラスの人材がゴロゴロいて、それらの武将の戦闘力がとても高かったですね。
弱小大名に彼らが一人でもいれば随分と戦況も違ったでしょう。
ともあれ、当時は結構ゲームで楽しみました。
脱線しました。この作品では長篠の戦いの知識が上書きされました。
かつて私が学生の頃、教科書にもあったように、鉄砲vs騎馬の戦い。
あるいは兵農分離vs農民兵。
あるいは新時代vs旧時代などいろいろな事が言われてきましたが、よく言われていたのが織田信長が考案したとされる「三段撃ち」。
鉄砲隊を三段に分けて、前列が射撃が終われば後列に周り、弾込めが終わった中列が前列に行く。後列の部隊は中列に周り射撃の後の処理が終わったあと弾込めをする。
こうやって間断なく打ち続けることで大勝利を導いたと。
これを事実ではなく、江戸時代に書かれた小説をベースに今まで信じられていたことで史実はそんなことを示していないということでした。
そして武田騎馬軍団ですが、精強だったのは間違いないですが、全部が全部馬に乗って縦横無尽に駆け巡ったわけではなく、しかも当時の馬はサラブレッドと比べると小型でポニーのような馬だったとか。ちょっとあまり格好いい話ではないですね。
更に武田軍も鉄砲はおそらく1000丁ほどは揃えていたようですし、鉄砲自体が戦の主流であることを認識していたようなのです。
新田次郎さんの小説では、勝頼は鉄砲の威力を認めつつも騎馬武者で突撃すれば守りの弱い鉄砲隊を簡単に崩せると踏んでいたようなシーンがあり、武田騎馬軍団の強さがことさら強調されています。
この本では、最新の長篠の合戦の研究により、鉄砲vs騎馬の戦いで負けたのではなく、兵数から言っても武田軍は劣勢であり、勝敗はある程度しかたがないものとしています。なにせ兵数でいうと連合軍の半分以下ですから。
それならなぜこれほどの大戦になったのかという点についても、織田・徳川連合軍にうまくおびき出されたのが武田勝頼ということです。
そして長篠城は奪えず、攻め手の武田軍は敗北し、撤退もままならない状況で正面にいる連合軍を打ち破るしかなかったためという考察ですね。
そして精強な騎馬で鉄砲軍団を突破するしかなかったのですが、自軍の鉄砲の弾薬が尽きて射撃できなかったのと引き換え、織田軍団は物量が豊富で、射撃は終わることなく続けられたようです。
当時から鉄砲の威力は認識していましたが、弾薬も貴重である程度鉄砲が打ち終わると乱戦になると踏んでいたのでしょう。
新田次郎さんの「武田三代」や「武田勝頼」に書かれている物語とは印象が変わってしまいます。
武田勝頼は無能な武将ではなく、有能でしたが、外交的な駆け引きという点では信長に叶わないとも感じます。
外交なんて結局は背後にある武力がものを言うというのは現代社会も同じ。
当時信長包囲網というものが何度も作られてはいるものの、強大な武力=経済力を擁する信長はやっぱり強かったということでしょう。
長篠の合戦敗戦後も武田家は新体制の中であれこれ外交を尽くします。
そして北条家と別れ、上杉の結び、最後は織田家とも和睦しようとしたのですが、和睦をちらつかせて時を稼ぎ、織田包囲網を格好撃破。
経済的に圧倒している織田家は外交的にもうまく立ち回りました。
武田三代の中では勝頼の部分が最も分量が多く、武田家滅亡についての考察がありました。
長篠の戦いで敗れたものの、信玄時代の武将は一新され、そこからが本当に勝頼の時代が始まったと考えていいでしょう。
信玄が死んで2年で長篠の戦い。そこから滅亡の1582年まで7年持ちこたえたともいえるかもしれません。
長篠の合戦とは、「新戦法対旧戦法」ではなく、豊富な物流と物資を誇る西国、畿内を背景にした織田とそれに乏しい東国の武田の戦い、つまり西と東の激突といえるだろう。むしろ、物量の齋藤側面こそ重視すべきである。
と著者の平山優さんは述べています。
高天神城も武田家滅亡の原因の一つです。
よくあるのが信玄も落とせなかった高天神城を落として増長した勝頼という説です。
もちろんそういった部分もあるでしょうが、そもそも信玄は以前に高天神城を一度落としています。
それよりも信玄の残した言葉にあるように「戦は、五分をもって上とし、十分をもって下とす」とは違って、勝頼は勝ちすぎた、勝ち急ぎすぎたのでしょう。
戦に次ぐ戦で民の心は離れていき、最後は「そして誰もいなくなった」というところです。
戦国最強大名と言われていた武田家はあっけなく滅びました。
しかし武田家が滅亡した3ヶ月後には織田信長が本能寺に倒れるわけですから、この時代の歴史は本当にダイナミックで魅力溢れていますよね。
もう一つ、信虎です。
信玄を描く小説は多く、新田次郎さんの小説でも信玄が主役なので父を追い出したのは父信虎が悪者でないといけないわけで、ことさら悪く書かれています。
まあ、書かれ方がめちゃくちゃなものもあり、その理由として当時の文献に信虎が鬼呼ばわりされている箇所があります。
ただ、当時の信虎の立場はどことも結んでおらず、甲斐という貧しい土地柄で四方八方敵に囲まれています。
その大変さをそばで見ていた2代目の信玄は活かしたのでしょう。ただ孫の勝頼には全くわからないでしょう。
そして信玄も晩年版図を拡大し、天下に号令するために京都に向けて進発しましたが、これはあくまで晩年であり、父を追放した当時は甲斐の小さな領主に過ぎません。
版図拡大を信濃に求めたのは今川、北条との甲駿相三国同盟の成り行きから当然ですが、そこが躓いた原因とも思います。
上杉謙信という戦国時代最強の武将と事を構えるわけです。川中島で何度も凄まじい戦いを繰り広げ、お互い消耗していました。
貧しい甲斐から信濃、上野、駿河と版図を拡大したのはすごいことですし、上杉謙信との戦いも勝てなかったものの、負けませんでした。
政治的には勝っていたことを考えると、そこは大したものだと思います。
ただ、はじめから天下を目指していたか?というとそれは晩年のことでしょう。
おそらく戦国大名として、天下ではなく領地を増やすということに必死だったと思います。隙を見せれば奪い取られる時代ですし。
とりとめのない話となりましたが、歴史小説ではないものの史実を忠実に教えてくれた書籍です。
研究家はさらにマニアックな部分まで突き詰めるのでしょうが、私たちはこれでもう十分という気がします。