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言葉が声になる、その直前の温度

 前橋文学館「最果タヒ展」での青柳いづみさんの『恋と誤解された夕焼け』の朗読会のことを、ちくまのエッセイに書きたくて、やっとそれが書き終わったので、ここにも書きます。
  
 私は「つらら」という詩を『恋と誤解された夕焼け』の中で特別に思っていて、それを読んでもらえたのが幸せだった。読んでもらえたというより、一人の透き通った人間の存在みたいな形になった詩を聞くことができて幸せだった。私にとって詩は、声の手前のもので、言葉よりは肉体に近いものなんだけど(脳の中の肉声、みたいなもの?)、青柳さんの声ってそんな声に聞こえる。だから、「つらら」を読んでくださるのを聞いてみたかったのです。
  
 それから「死なば諸共とろろ」。私は詩を書いているときの私に、書かない時間の私は絶対に勝てない、と思っているところがあり、そのことをいつもは忘れているのだけど。青柳さんの朗読で、私はいつも、詩を書いた瞬間の私に再会する。詩を書いた瞬間の私に、今の私が心臓を奪われるような感覚になる。私は、あの時に書こうとしたことの全てを思い出せるだろうか、それはわからないけれど、こうやって、思い出せなくても、再会する瞬間があって、それは贅沢なことだと思う。特に「死なば諸共とろろ」は、書いていた時にだけ見えていた光のようなものを、聞いていて確かに思い出せて、なんだか、私より、青柳さんの方が私だった。
  
「彗星の詩」の「きみを微塵も奪わない私の手を。どうか取って。」という一文を私はとても大切に思っていて、その分(なのか、それなのに、なのか、)それはいつも書き途中のように心の中で微かに震えていたのだけど、それを青柳さんの朗読で聴いた時、やっと書き終えた感覚になった。
言葉が声になる瞬間って、私からすると大きな夢だな、と改めて思った。
  
青柳いづみさん、ありがとうございました!
お越しくださった方もありがとうございます!
  
前橋文学館の展示は9/21までです。水曜はお休みです。




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